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この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
物凄い泥棒街
「私は今度の旅行の土産に何か買って行きたいと思いますが」
と、R君がM君に訊いた。
「お土産?支那のお土産と云うたら、大抵十の九まで骨董ですねぇ」
「その骨董が私は好きなんです。どこがいいでしょう?」
「ぢゃ何と云うても泥棒街に限りますよ」
「やっぱり泥棒街でしょうか。ぢゃ今から其の泥棒街へ行きましょうか」
と、R君は今度は己れを見た。己れは気味の悪い街もあるものだと思うた。
「泥棒街て、泥棒がウヨウヨ住んでいるんですか」
「いいや、そんな訳じゃありません」
「ぢゃ、泥棒が何かを売っているんですか?」
「いいや。泥棒の他所からかっぱらって来たものを売る店です。つまり泥棒して盗んで来たものを売るんです。だから安いんです」
「一体支那の警察は何故それが贓品だと知って黙って居るんでしょう?」
「そこらが支那の支那たる国です」
と、平然としてM君は答えた。何と云う妙な街だろう。薄気味悪い街だろう。われ等は今その泥棒街を目がけて馬車を走らせた。
馭者は次第次第に昼なお物騒な汚い街へと馬の尻を叩いた。そのあたりへは馬車の来るのは珍しいと見えて、汚い労働者風の凄い眼が道を避ける度に我々の身の上に凄い光を放った。一人や二人の時には左迄には感じなかったが、四人五人と荒くれ者が固まっているのが一番恐かった。彼等は我々の姿を見ると、ヒソヒソと何かを耳打ちした。その様が突然後ろからパッと襲撃する相談の様に思われて仕方が無かった。隙を見せたらきっと彼等は飛び付いて来るに違いない。そんな眼つきをして彼等は見守っていた。
然し馭者が「ハヨー、ハヨー」と云う声をかけると、不思議にも躊躇なく側へ避けてくれた。荷車でも懸命になって道をあけてくれた。そこらは日本人の荷車の図々しく又、意地悪い故意の企てと違っていた。きっと彼等は相当身分のあるものと見たのであろう。そして其の身分あるものに無礼すると許さぬぞと云った様な掟に戦いているんではあるまいかと思われた。彼等はだから馬車に乗っている者を見ると、羨望よりも寧ろ略奪を考えた。馬車に乗る様なものは相当の金を名ならず懐にしているだろうと思うている。実際また彼等から見ると、たしかに馬車に乗る相当の金を所持しているに違いないのだ。
彼等の生活費は一日十銭あればいいんだと云う。十銭さえ得てしまえば楽に喰えるんだと云う。如何にも左様らしい所がある。何故ならばあの味の美味い真瓜(梨瓜)などは、日本などでは一個十銭もするのが、支那では五厘位しかしあい。その梨瓜を日本人でも大抵の者は好くが、支那人は殊に大好物と見えて、大道の真中を梨瓜を喰って歩いている。歩いていないものは店の前に立って齧っている。皮も剥かないで其のまま食べる者が多い。相当身なりのいい支那人までが体裁を忘れて梨瓜に口を動かしている。
饅頭だって一銭出すと、五つもくれると云う。大きい饅頭だ。そんなことを考えると十銭で一人の生活が出来ると云うことは決して嘘じゃないと思うた。
夏に支那の巡警の一ヶ月の俸給はどんなものかと訊くと、一ヶ月三円六十銭位だと云う。つまり一日十二銭だ。だから普通の生活費よりも二銭多い訳だから、そりゃ巡警になりたがる者が多いと云う。加うるに支那の巡警になると泥棒を捕まえても、賄賂を掌へ載せられると、そら逃げろと、急に逃がしてしまう相である。物騒千万の話だ。
支那人は儲けさえすればいいんだと云う。例えばここに反物を仕入れたとする。そうすると急に相場が上がって前に買った価格よりも二倍になったとする。日本人だと慌てて前に買った反物の正札を、二倍上がった価格に訂正してしまうが、支那人は決してそんな事はしないと云う。前に買った時の値段よりも幾分でも儲けさえすればきっと手放してしまう相である。ここらが日本人の方が性が悪い。
又、支那人には決して沢山金を持っていると云うことを見せられぬと云う。たとえば露店へ入ってこれは幾らだと云う。フーンと云って一円紙幣を出して、これをやるから負けろと云うと其の紙幣を見たが最後急にヘナヘナとなって十円の物が一円でも買えると云う。それ程金を見ると支那人の野性がグワッと目覚めて来る。だから買い物をする時でも、何の時でも凡そ支那人に多額の金を所持しているということを目の当りに見せるのが一番危険だと云う。その金欲しさの為にパーンと遣っ付ける相である。よくそれが為に殺される憂き目に遭った者もあると云う。
今、泥棒街へ入ろうとした時、M君は以上の話を聴かせて、財布の中に若し多額を用意しているのであったら、その大部分は何処かへ隠しておいて、出来るだけ財布の中は間に合うだけしか入れて置くなと注意した。二人は慌てて十円紙幣以上をそっとポケットの内懐へ仕舞い込んだ。
くすんだ様な城門を潜って、鬼気迫る様な薄暗い街の一つへ入ると、M君は馬車を急に止めた。ここが泥棒街だと云う。成程其の名の通り凄いところだと己れは気味悪く突然襲われやしないかと云う懸念を抱きつつ下りた。R君は既に一度来たことがあると云う自信で虚心の様であった。
そこには小さい店がズラリと並んで居た。
「君は骨董は?」
「骨董?名からして嫌いだ」
「フーム、支那の骨董を見本へ持って帰って見い、珍しがるぞ。そして又売って見い、きっと儲かるぞ」
「何と云われても嫌いだ。何だか黴の生えた様なものを有難がって手に取って珍重がるものの気が知れない。
「君はハイカラ当だから、骨董なんか向かぬだろう」
と、到頭R君は自分の趣味の中へ僕を引き入れることを止めてしまった。
第一に入ったのはやっぱり骨董店である。古道具がズラリと陳列してある。掛物もうづ高く積んであった。新しいものて一つもありやしない。
よっぽど好きだと見えて、R君は涎を流さん許りにして或いは仏像、或いは珍石を一々手に取りながら熟視した。つまらないから僕とM君とは立ち話をして、彼の選択が早く済むことを待った。
「私は先日も此処へ内地から来た日本人を案内して来たんですよ」
「左様ですか。誰です?」
「吉岡(仮名)さんです」
「ホウ、あの人を」
「ええ。そしてやっぱりこの店へ入ったんです。この店の主人は色々な物を見せたんですが、どうもどれもこれも気に入らなかったんです。すると主人はしばらくはヂッと吉岡さんの顔を見たまま考えていたが、突然それじゃきっと貴方のお気に入るに違いないものをお目に掛けましょうと云って、奥へ案内して行きました。私も通訳ですから一緒に入りました。すると主人は奥の方の間の戸棚から何やら巻いたものを持って出て来るんです。何をみせるんだろうと、二人とも瞳を凝らしていますと、主人は徐に其れを拡げました。我々は其れを一目見て思わずきまりの悪い思いをせざるを得なかったのです。貴方は抑々それを何だと思いますか」
「多分支那の〇〇でしょう」
「左様です、〇〇です。」
「吉岡さんはどうしました?」
「果たして主人の予言通り珍しいと云いました。それ御覧なさいと云わん許りに主人は微笑していました。然し其の値があまりに法外なので、到頭買わずに出てしまいました」
「左様ですか。私もちょっとそう聴くと見たい様な気がしますねえ」
「訊いてみましょうか。有るかも知れませんから」と小首を傾けながら、
「ありましょうきっと。一寸お待ちください」
と、云うてM君は一人でツカツカと奥へと進んで行った。そこには主人らしい者は座っているのが、此方からでも眼に付いた。
M君は二言三言その主人と話し合ったかと思うと、此方へ聴こえる様な声で、
「ある相ですよ」
と、云った。それではと己れは行こうとして急にR君にこの由を告げた。するとあれほど骨董好きの君も、骨董は後回しとばかり、急いで僕と一緒になって奥へ入って行った。すると主人はやをら立ち上がって奥の戸棚からその巻物を引き出して来ながら、我々の眼の前でサッと広げて見せた。そこにはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。私は買って見たいと迄思わなかったが、試みに値段を聴いた。
「二十五円だと云います」
「二十五円、フーム高いや」
と、己れは首を振った。その意志は直ちに先方へ通ぜられた。
「ぢゃ幾らだとお買いになるんです」
と、先方は逆襲して来た。己れはM君だけにこう云うた。
「ねぇM君、正直に云うと僕はこんな物は値段の如何に拘らず買う気はしないんだよ。こんな物と云うものは参考の為に見るのが関の山で、所有している者じゃありませんよ」
「御尤もです」
と、M君は仕方なしに御尤もですと云うた。
「しかし私の美術観はお陰で豊かになりましたよ。全く日本に於いては見たいと思うても見られない物ですからねえ。さぁ君、何とか旨く云うて濁してくれ給え」
「それぢゃ八円にしろと云うて、駄目だと云うたら、ぢゃ止しますと云いますから、くれぐれも財布から金を見せてはいけませんよ」
と、注意しながら、M君は先方へ此の旨を伝えた。果たして先方は他の物と違って此の品だけはとてもそんな値じゃと首を振った。首を振ったのが幸いだった。三人は其れを機会に表へ出た。但しその内私だけは道路へ出てしまった。いつまでもああした中にヂっと待っているのがこの上もない苦痛であったからだ。
私はブラブラと、少し大胆になって一軒一軒覗いて歩いて見た。五軒目に至って私の足は思わず止まってしまった。そこには支那独特の耳飾りが硝子窓の中に綺麗に並べてあったからだ。私は最初それを何だろうと思うた。女の時計の鎖の装飾じゃないかと思うた。然し其れには余りに短い物であったから、フと首を傾けてしまった。色々考えている揚句やっと耳飾りだと云う事に気が付いた。支那女人の耳飾り。私は思わず中へ入って見た。それらは殆ど新品であった。泥棒して来た物を売っているものなら、きっと小売店へ渡らぬ先に、卸屋からでも盗んで来たものであろう。
己れは東京への土産に此の耳飾りが或いは面白いかも知れぬと思うた。きっと珍しがるだろうと思うた。然しよく考えて見ると、こんな物を貰っても、貰った人は日本人である限りどうすることも出来ないだろうと案ぜられた。買ってみたい様な、買ってみたくない様な気持ちに捉われて、暫く硝子をすかして見いっていた。
金に真珠を鏤めたものや、銀に珊瑚を鏤めたのや様々であった。人工真珠らしいのもあった。金ばかりのもあった。耳飾りの店て東京のどこにも無いからと、私は注意深く見ていた。
店の者が傍へ来て頻りに何かを云うたけど私は一言も発せず(発せ得ないのだ)、黙々としていた。あまり「どれがお気に召して」と云わん許りに、あれやこれやと手に取り上げては僕の顔を見たから、ムッツリとした顔を作って、其のまま出てしまった。随分面の皮の厚い所業である。物凄い泥棒街へ来て其の不敵さは我ながら上出来であった。
R君は何をしているんだろう。まだ出てきやしない。あんなに古臭い物がどうしてありがたいんだろう。人の趣味と云うものは実に様々だわいと思いながら、暫く立っていたが遂にその姿が見えなかった。折角愛好おかざる顔付しているのを、邪魔しに戻るのもお気の毒に存じ候えばと思うたので、仕方なしに又一軒の店へ思わず入ってしまった。
そこはやっぱり骨董店であった。私は思わず入ってしまったので、店にいる者に対するの手前上、無理にも何かを見なくてはならなかった。そこで、あれこれと唯眼をくれていた。
所が其の店は妙な店で何かを買わなくちゃ無手で出られない力をどこかに持っている様に思われた。その証拠に私の足がどうしてもその店から抜けなかったからである。そんな店というものはよく日本の銀座あたりにでもある。ただ何となしの力、こう云うより外はない。強いて云えば店の魅力とも云うであろう。私は今その魅力にかかってしまった。
だから私は仕方なく安いもの、安いものと物色した。所が私はそこに、柱につるす花活けの、陶器から成立した蝦の姿を見出した。どうかして値段を知りたいものだと思うている所へ、幸せとでも云うのであろう、丁度そこへM君が、
「随分探しましたよ」と、云いながら入って来た。
そこで其のM君に早速値段を訊いて貰うと、案外安い。それぢゃと云って買おうとすると、
「ただし其れは対になっていますから、一つでは困る」と云う。其れぢゃ仕方がない二つを買おうと云って、其のまま云われた金を出して渡して、品物を受け取った途端、己れはさァ失策ったと叫んだ。
「どうしたんです?」
と、M君は吃驚して己れの顔を見た。
「僕ね、余り安かったから負けてくれと云うのをツイ忘れてしまって、云い値のまま出してしまった」
と後悔の色を見せた。
「私もうっかりしてました。どうも済みません」
と、M君は頭を掻いた。
「二人が外へ出た時、R君は何やらブラ下げて此方へ丁度歩いて来る所であった。
「オヤ君も何か買ったね」
と、R君は僕が新聞紙に包んだものを持っているのを見て云うた。
「どうもツイ君の趣味に犯されてしまった。一方が良い良いと云うていると、知らず知らずのうちに、それに同化していくものだと云うことを、今僕は痛切に感じた」
「趣味と云うものは左様して次第に培われて行くものだよ。何だい?」
「後で見せるよ」
左様云うて又二~三軒ブラブラ覗いた。僕は苦虫つぶした様に、再び同化圏内に入らない様に、其の時からは外に許り立っていた。泥棒街の夕暮れとでも云おうか、日は次第に傾きを見せた。「帰ろう帰ろう」と、まだ見て行こうとするM君を強く己れは引っ張った。そして再び馬車に乗った。名は物凄いが、着て見れば普通の商店と余り違って居なかったことも、又驚きの一つであった。
馬車の中で、己れは買った包みの紐を解いて見せた。するとR君は其れを手にしたかと思うと、いきなりプッとふき出しながら、
「つかませられたね」
と、云う。どうした事だと訊くと、
「これは日本製で、日本から輸入して来たものだよ。こんなものは日本の何処の店にもザラにある。ウハッハハ」
と、高らかに嘲り笑った。
己れはスンでのことに地面へ其れを叩きつけようと思うた。然し其れには今買った許りだと云う惜しさが断行を躊躇せしめた。その代わり己れは牛の糞でも踏んだようにグニャリとした顔をしてしまった。
「ぢゃ君に與ろうか」
と、R君に云うた。
「却って迷惑だよ」と、R君は首を振った。
「ぢゃ君に與ろうか」
と、M君を見た。M君は俄かに首を向こうへ反らしてしまった。
持って迷惑、投げは推しい。仕方なしに己れは、此の旅に来て始めて味わった不快を心の中に漲らしながら、それからは口も利かず黙って馬車の中に揺られていた。
後に私は其れを開原にいる弟に與えてきた。弟は「こんな物を貰っても少っとも礼は云わぬぞ」と云うて、不承不承受けた。凡そ世の中にこんな馬鹿を見たことがあろうかと思うた。
己れは其れからと云うものは骨董の骨と云う字を聴いてもゾッとした。危うく同化されかかって早くもこんな失敗が目を覚ましてくれたのが、却って或いは勿気の幸いと云うものであったかも知れない。
左様でなかったら、私は或るいは其の後とんだ高い物を、何が拍子で掴ませられたかも知れない。泥棒街だとで、無気には忌避してはならぬ。私には良い経験を與てくれた。
弟が其の蝦を手にした時、それをヂッと見て、
「オヤこっちのに足が日本足りない。折れた跡がある」「オヤこっちのには又、ここへ罅が入っている。満足な者て一つもありやしない。大体柄にもないものを買うからだ」と、兄貴め散々な目にあわされた。
私は今でも骨董と云えば直ぐあの泥棒街へ乗り込んだ時のことを想う。
この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
舟遊びの艶姿
道路へ来ると、又喧々囂々を極めている。実に姦びすしい。真瓜を売るもの、齧って歩くもの、大声あげて怒鳴るもの、それを見て笑っているもの様々だ。
己れ達は支那通のM君を控えているから、万が一喧嘩を吹っ掛けられても、言語が通ぜぬと云う不便もなく、何かと心強い思いがしていたので、割合に動ぜなかった。異様の眼付をして見るものあれば、ヂッと睨み返して威風堂々を示しておさえつけて遣った。
突然小さい支那の汚い風体の子供が裸足のまま我々の前後左右を囲んで、頻りに何か哀願する態度を示した。
「何を云ってるんだろう」
と、M君を顧みると、
「なぁに乞食ですよ。一人に遣ると、ドッとあっちこっちから押し寄せて来るから、見て見ぬ振りをしてお通りなさい」
と、云うから、己れは急に見て見ぬ振りしてトッと歩いた。子供の乞食が何時までも五月蠅くついてきた。然しこっちは何時までも教えを守って見て見ぬ振りを続けた。
少しく進んで行くと、其処には龍を飾らせる遊覧船が幾つもあった。まるで支那の錦絵そのままな雅到の深い舟であった。そして支那人好みの濃い色彩で、ごってり塗り立ててあった。舟の中は二間に仕切られ、屋根付きであった。覗いて見ると卓や椅子があった。一間の方はアンペラを敷いてあったのみだ。
珍しいのでヂッと立ったまま見ていると、所謂船頭やしいのが三~四人、交々押しかけて来て「どうか俺等の舟に乗って下さい」と云うて、各自の舟を自慢相に指さしながら、せがんだ。あんまり懸命に勧めるので、何となしに一寸乗って見たい様な気になった。
「乗って見ようか」
と、己れが云い出した。
「ウン乗ってもいい。支那気分はこんな所に胚胎しているから」
「よし其れぢゃ乗ろう」
と、己れは答えて、真っ先に舟に乗った。R君M君之に続いた。
船頭と云うても若い。二十二~三歳だ。余程日本人を相手にしていると見えて、いきなり、
「舟は愉快ですよ」
と、日本語で云うた。
「あッ、君は日本語が出来るんだね」
「ええ少し許り」
「日本にいたことがある?」
「いいえ、でも日本語は知っています」
「日本語を知っていると、金が余計に儲かるからだろう」
「御戯談を」
と、御戯談をと云うまで、彼は日本語は鮮やかなものであった。
舟縁に腰を下ろしていると、船頭は出船の用意をした。人が急に黒だかりになった。何が珍しいんだろう。どうも其の見ている様子が、舟に乗る様な人は、余程身分のある人達に違いない。どれ顔見てやれと云ったげな風が見えた。だから己れ達は事ここに及んでは、身分ある顔付をせざるを得なかった。
「オイ君は急に済ましたぢゃないか」
と、君が云うた。
「シッ、身分ある顔付しろよ」
「一体何事が起ったんだい?」
「何でもいいから、天井を仰げ。半分喫みさしの煙草を放って、身分ある者の意義を全うした。
あとで、「何故君はあんなことを云うたんだい?」と訊いたから、実はこうこうで身分ある人達の様に見惚れていたからだと云うと、道理で君は諸葛孔明みたいな顔をしたんだナと云うた。
船頭が舟を動かす前、早くもわきへ遣って来て、「ビールは要りませんか。料理は要りませんか」と、勧めた。要らない要らないと手を振ると、それではと、又例の如くお茶と西瓜の種を持って来た。いよいよ舟が動き出した。
池はゆるやかな小川続きであった。その小川の縁を棹さされた。次第に雑音から遠ざかって人の影もない小丘を右に見て行く。森とした気持ちになる。玄宗が楊貴妃を失うた瞬間見たいな淡い気持だ。
フと己れは前ぽへ我々と同じい型の舟がゆるやかに漕がれて行くのが眼に付いた。その舟は舟遊びを目的とするらしく、いともゆるやかに、恰も動いているのか動いていないのか解らない位ゆるやかさであった。我々の舟は直ぐ追い付いてしまった。追い付く拍子に期せずして、先方の乗客の眼と、此方の乗客の眼とは一致した。どっちも好奇心はこういう場合に必ず働くものだ。そして微かながらも遊船同士と云う一種の楽しみがお互いに萌していたことも否むことが出来ない。
先方の舟には支那の貴族らしい一家族が乗っていた。真白な絹で頭に金を飾ったのは夫人であろう。その側に可愛い顔をした同じく真白の装いは其の子女であろう。その又側に一団となって固まっているのは侍女に違いない。みな女ばかりであった。
かれ等の人達はこうした遊船がきっと唯一の楽しみなのに違いない。卓の上には様々の珍味佳肴が所狭しと許り並び立てられてあった。
われわれの舟は次第に其れ等から遠ざかった。再び静寂さが四辺を包む。先刻まで耳にも付かなかった棹さす音が、はっきりぢゃぶぢゃぶと水の音を立てて進んだ。
川が終わると今度は池の真ん中に出た。支那の貴族の住家らしい大きな家が岸の彼方に見える。自動車の走るのも見える。人と人とが歩いているのも解る。池の藻の青色が陽に輝いていた。
舟すすむにつれて、向こうの方に大きな五色に彩やす龍の口から噴水が天に沖していた。それは見たこともない大きな噴水で、又珍しいものであった。それが強い日光を受けてあらゆる色彩が其の龍を包む丸い輪郭に陽炎を造る時、何とも云えぬ壮観且つ美観であった。
舟は其れに次第に近づきながら、島に沿うて進んだ。島から幾つも池へ飛び出た断橋があった。その断橋に舟が触れる様に棹さされると、待っていましたと許り、幾人となしの子供が哀願の情を示して、幾分の貰いをと懸命にせがんだ。己れは余りの其の哀れな様にいとど憐憫の情を催し、財布から銅貨を取り出すが早いか、ポンと投げて、
「それッ船頭いそげッ」
と、素早く遠ざかってしまった。子供の乞食たちは其の銅貨を我こそは手に入れんものと互いに棒倒しに相争うていた。
「ねえ君、君」
と、突然己れは船頭を呼んだ。そろそろ退屈を感じたからだ。
「一体まだまだ永く乗っているのか」
「ええ、やっと半分しか来ません」
「半分?フーン」
と、己れは急にガッカリして、急に二人を顧みながら、
「どうだ、そろそろ飽きが来ない?」
「飽いたね」
「僕も飽いたね」
と、二人は云うた。みんな無為に時を舟で過ごしているのが惜しくなったのだ。
「ぢゃ下り様か」
「ウン、下り様」
と、忽ちにして賛成、賛成だ。
「お下りになりますか」
と、船頭はこの会話を耳にして、棹さす手を止めた。
「ウン下りる」
「左様ですか。それぢゃ向こうの橋へ付けますから」
と、急に棹に力をこめて、グイグイ舟を進めた。舟は橋へ来てピタリと止まった。
僕から真っ先に島へ飛び上がった。賃銭を払うとなると、少ないと云う。凡そどれだけ沢山與えても最初は必ず「少ない」と云って難癖を付けるのが、彼等の通弊だと云う。
「何をッ」と、M君が進み出て、
「どうして少ないんだ?この前他の舟に乗った時、全部一周してさえ、これだけだったぞ」
と、躍起になって怒鳴りつけた。所謂強さと云うものを見せたのだ。すると早くも物見高いと云おうか、附近にうろうろしていた支那人がたらがり集って来た。己れは気が気でなかったけど、M君は案外平気だった。
「これで十分だ」
「その代わり酒代として少し下さい」
と、船頭もこの日本人は通だと見てか、存外早く折れて出た。
「酒代?」
「ヘイ、大抵貰うことになっていますから」
「それでは」
と、M君は僕を顧み、小さい声で
「一円位遣って下さい」
と云う。
己れはこの船頭眼不都合なことを云うと睨みつけながら、両替で持っていた支那の一円紙幣を渡した。睨みつけた所、とても身分ある人達でない。
島の中には先刻眼に付かなかった新たな物に又眼が付いた。緞帳の下がっている中には手品があるんだと云う。頓狂な声を出しているのは、中に蛇使いがいるから今のうちにお入りなさい。人間の首を巻いている最中だと喚いているんだと云う。
チンチンプカプカと頻りに囃し立てている。色んな物売りが道路に並んでいる所、日本の露店と大差が無かった。
向こうの方の幾十となき天幕の中から、野獣の様な人間の叫びがドッドッと押し寄せる様に聴こえてくる。わめきたてる様な、争い打つ様な異様な声だ。外には汚い野獣の様な男が右往左往する様が手に取るように聞こえる。
「何だろう」
と、己れは立ち止まった。
「下流社会の市場みたいなものです。あんな所に入り込むと、飛んだ目に逢いますから、およしなさい」
と、M君は己れの足が其の方へ進むのを怖れて、早くも止めてしまった。
再び己れ達は先刻入ったカフェーの裏口へ来た。
「もう一度入って見ようか」
と、己れは二人を唆して見た。
「強つい思し召しだね。白状せい。あすこの女に参ったんだろ」
「白状する。あすこの女に参ったんだ」
「ぢゃ入って遣ろうか」
「ウン入ってくれ」
一同ドヤドヤと裏口の橋から入って行った。男ボーイの先刻僕等に給仕した男が、ニヤーリと笑って再び招じた。そのニヤーリと笑った其のニヤーリが如何にも皮肉ぶったニヤーリであった。己れは何だか心の中を見透かされた様な気がして、視線をそらしながら椅子へ座った。
何と云う幻滅さであろう。そこには歌姫はたった一人しかいなかった。而も其の取り残された歌姫は、私の一番魂を恍惚させた其の人では無かった。私は淋しい顔してしまった。
きっと他の客に連れられて他へ行ったのに違いない。そして彼等はさぞ今頃は楽し相に囁き合っているに違いない。美しい約束がそこで結ばれているに違いない。
金さえ出せばどうにでもなる。あの女もやっぱり其の一人だと思うと、淡い悲哀が胸いっぱいに拡がって来る。
あの細い身体が野獣の如き支那の男共に次第次第に虐まれて行くのかと思うと、労しい気がしてならぬ。きっとその虐みの為に、あの美しい容色は次第に色さまされて行くであろう、光が失せて行くであろう。年齢もとって行くであろう。
どう云う運命がかれ等の上を招来導いて行くものであろう。私は労しくてならない。運命の神よ、人類と云う大きなものの上に、かれ等が支那人とは云わず、又日本人と云わず総ての上に恵を與えてくれ。私は其の恵みが、一度相見たいと云う純愛の彼女の上に、殊に深からんことを祈る。
私は彼女の名も知らぬ。そして再び来ないこの巷と別れを告げて去って行くのだ。名を知っているかつてさえこんなに彼女の上を案ずるんだもの、名を知っていたら、いつまでもいつまでも彼女の名を呼び続けているに違いない。
ああ、幸福と云う字よ、彼女の総てを包んでおくれ。
左様なら、ああ、左様なら。
この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
カフェーで歌う支那娘
汽車が奉天で止まると、二人は下りた。二人とは僕とR君である。直ぐステーションと同じ建物のヤマトホテルへ入って行った。すると支配人の淵田さんが「やァ」と、声かけながら近寄って来た。淵田さんと僕は大連から三里離れた星ヶ浦で既に逢っていたんだ。その際私は云うた。
「近いうちに奉天へ参りますから、どうぞ宜しく」
「ええ、是非来て頂きたい。奉天には珍しい場所が沢山ありますから」
こう云うて、二人は手を握って別れたんだ。それから私は満線の至る方面を見て、愈々この奉天へと乗り込んで、今や再会の笑みを交わしたのであった。
「あれから一寸、廿日も経ちますねぇ」
「早いものですねぇ」
と、云ってると、其処へ満鉄の制服を着た見るからに温かい感じのする人がツカツカと入って来た。
「伊藤さん、伊藤さん」
と、淵田さんは急に呼び止めた。
「ええ」
と、其の人は立ち止まった。
「そら先日お話しして置いた他見男さんです此の方が」
「ああ、左様ですか。先日中新聞で拝見していて、もう此方へいらっしゃる頃だと、お待ち申して居りました。」
と、云う。淵田さんと僕を顧みて、
「此方は伊藤さんと云うて、故伊藤博文公の実施です」
と、紹介した。二人は手を握った。荷物をボーイに持たせて二階の部屋へ上げさした儘四人はバーへ入って座った。
色々と話を聴いて見ると伊藤君は法学士だけど、今駅員の見習いに来ているんだと云う。何故駅員の見習いに来ているかというと、こうせぬと、後日人の長たるに及んで、下情に通ぜないでは困るからだと云う。実に感心な人だ。
此の感心な人を何れ後でゆっくり話し合うことにし、取り敢えず僕と、R君の二人は、敬意を表する為に満鉄公所へと顔を出すことにして馬車を命じた。
満鉄公所まではかなり長かった。馬車の走る所、悉く洋館であった。洋館に非ずば立派な商家であった。かねて奉天の町は立派だよとイヤと云う程聴かされていたから、別に珍しくも思わなかったが、馬車が一歩これからが支那街だと注意された所から、ダラリと模様が変わった。
第一支那の巡警(巡査)が二十歩毎に必ず附け剣で立っていた。あらゆる装飾が朱や赤や紫や青で濃厚に彩られていた。無数に支那人が往来していた。肉の焼いたやつや煮たやつ、それに汚い饅頭を、あちこちの店頭に売っていた。また奇異な感に打たれたのは一つの城門へ入ると、そこに街があり、町が尽きるとまた城門があり、城門が尽きるとまた街と云う風に、いくつも幾つも城門があった。R君の説明によると、素破敵の襲来っとなると、ピタリと早くも一方の門を閉めて他の侵掠されるのを防ぐのだと云う。又強盗、人殺しのあった場合、どこへも遠方へ逃げられぬ様に、片っ端から締め切ってしまうのだと云う。それは昔のこと。今でも夜の十二時を過ぎると、彼方此方の門がピタリピタリと閉ざされるから、夜の十二時を過ぎたら、帰ろうにも帰れぬと云う。イヤそれよりも物騒でとても歩けたものじゃないと云う。更に夜遅く歩こうものなら剣を擬して巡警に誰何され、よく言葉が通ぜぬものなら、飛んだ目に遭わされ、拙手にマゴつくと大変な目に遭うと云う。どっち道、夜が更けてからブラブラするのは支那人が危険なのみか、巡警までが危険だと云う。支那の巡警は金さえやれば、どんな強盗でもサッサと逃がしてしまうと云う。ビクビクする話ばかりだ。
己れ達は真昼中であったから、次第次第に支那街の奥へ奥へと馬車が入れて行った。見る人、見る者悉く支那人だし、言葉は「お前」の外、知らぬので、薄気味悪くて、早く着いてくればいいと思うた。
そのうち、賑やかな所を一寸曲がって静かな所へ来た。そこに何だかお寺みたいな建物があった。満鉄公所が此処だと云われて、二人は下りた。よくもこんな四囲みな支那家屋にかこまれた所に、恐くないものだと思うた。
公所に入って所長のK氏にと、名刺に出すと直ぐに通された。
「よくこそお出で下さいました」
と、云う。
「奉天では何処をご覧になりたいと思いますか」
と、向こうから質問だ。
「それに就いて、殆ど支那人の様に、支那通と謳われた有名な貴方の意見を聴きたいと思いまして参りました」
と、此方も巧妙に遣って退ける。
「左様ですか。こりゃ参った。アハッハ」
と、K氏は豪傑笑いを天井高く張り上げながら、
「貴方はどんな所を見たいと思いますか」
「珍しい所を見たいと思います」
「左様ですか。そして賑やかな所がいいんですか。静かな所がお気に向くんですか」
「そりゃ私は華やかな空気の所が好きですから」
「左様ですか。それじゃ支那街にある東京の浅草と云う所をご覧なさい。きっと貴方は満足されるに違いありませんから。そして其れが一番支那と云うものを早く知るに近道ですから」
「そりゃ願ってもない場所です。是非御便宜を與えて欲しいものですねぇ」
「わかりました。それでは此処に外語の支那科出身のM君と云うのが居ますから、その人に案内させましょう」
と、云いながら、どっかとした椅子から腰を上げて、立ち上がりながら呼鈴を押した。すると間もなく長身の支那ボーイが入って来た。
「M君に一寸此処へ来る様に」
と、云うと、其の志那人は日本語が解ると見えて、畏まって下がって行った。入り換りに小柄な若い日本人が現れて来た。
「おうM君、実は此の方達はこういう人だ」
と云って名刺を見せながら、
「支那の浅草街を君案内して上げてくれないか」
「ハッツ、解りました」
「それでは直ぐ、外出の用意をして来てくれたまえ」
M君は急いで出て行った。其の間K氏は色々と支那のことに就いて話をした。己れが支那人の学校を見たいものですねぇと云うと、それはいとお易い御用、いつでも紹介状を書きますからと快く引き受けた。
「もし我々に時間の余裕が出来ましたら、是非その切は」
と、云っている所へ、M君が「ぢゃ出掛けましょう」
と再び入って来た。それではと立ち上がった。
三人は再び支那馬車の人となった。M君は馭者が「どっちへ?」と振り返る毎に、支那語で巧妙に右を廻れ、左に行けと云うた。
そのうち、群衆で身動きも出来ぬ場所へ馬車が入って来た。馭者が頻りに大きな声で「危ないッ、注意しろ」と怒鳴りながら進めた。その度に人々は驚いた様に除けた。除けた拍子にヂッと見上げた。
「日本人だ、日本人だ」と、彼等がわめいていますよと、M君は平然として云うた。もう之れ以上馬車をすすめられないと云う場所へ来て、M君も、「この辺で下りましょう」と云うて、自分から真っ先に下りた。私は直ぐに続いた。
「馬車は帰しましょうか。それとも待たせて置きましょうか」
と、M君は訊いた。
「待たせて置いて貰いましょう」
と、答えると、M君は何やら馭者は頷いて、ハヨーと云った様な声を出しながら、馬を一隅に御して行った。
三人はポカンと立って右顧左顧した。その時その道路より一段高い地所の所から、頻りにワッワッと云う歓声が聞こえる。そして其の四囲から見物人が伸び上がって何かを見ている。
「何だろう?」
と、己れはM君を顧みた。
「運動会か、何かの競技でしょう」
と、M君は答えた。
「見ましょうか」
と、僕は支那人の運動会とか、競技とかを未だ見たことが無いから、珍しく思うたので左様云うて見た。
「とても見てられないでしょう。あの通り塀で囲んでありますから」
「どうかして、一寸見たい様な気がしますねぇ」
「それよりも、こっちを見た方がいいでしょう。一寸御覧なさい」
と、僕の視線を一方へ注がした。
そこには実に大きな池があった。池の中には島があった。島には幾つとなく大きな建物があった。その建物はあるものはカフェー、あるものは寄席、又あるものは浪花節ではあく、チャンチャン節であった。プカプカチンチンと実に賑やかだ。支那一流の騒々しい音を立てていて、耳を聾するばかりだ。何を鳴らすとあんな得体の知れぬ音色が出るんだろう。
濃厚な色彩と、此の音色と、そして支那人の顔ばかり見ていると、何だか奉天には日本人が住んで居るととても思われぬ、まるで別天地、所謂純粋な支那街の人となってしまった様に思う。
同じ奉天でも日本人の住む場所と、支那人の住む場所とは全然異なっている。ここらへ来ると、本当の支那街である。右を見ても左を見ても支那である。私は奉天にはこういう所があるのかと驚いてしまった。何だか今まで見たことも聴いたこともない空気だったから好奇心のうちに、云うに云われぬ嬉しさが、私の心の中を一杯に占めた。
ちょうど自分たちの立っている前に一つの橋があった。その橋を越えて又、橋があった。橋が二つあった。その橋を越えた正面がカフェーらしかった。
「あれは支那のカフェーですか」
と、M君に聴くと、左様だと云う。折柄その建物の欄干に若い支那美人が四~五人現れて頻りにこっちを見ていた。
「オヤ、こっちを見ている」
と、己れは云うた。
「君に見惚れているのかも知れない」
と、R君が云うた。
「左様かも知れない」
と、己れは軽く受けて、
「あれ等が何だろう?」
と、訊いた。
「日本の所謂女給だよ」
「フーム、支那美人の女給て珍しいねぇ。入って見ようか」
「うん、入って見よう」
「入って見よう」
男は女には兎角脆いもので、一人も不賛成を云わぬ。
三人は橋を渡って其のカフェーへ入って行った。そして一隅に席をしめた。そこへ男のボーイがお茶と西瓜の種の煎ったのを、持ってやって来た。ほかに又、果物や菓子等又、酒だのと持って来たが、M君はそんな物は要らないとはねのけた。M君の話によると、風体が上等客と見ると、註文もせぬ物を持って来て勧めて見るんだと云う。とても喰われた物じゃありませんから、要らぬと云って首を振って遣ったと云う。
首を振った時そのボーイは、こりゃ金にならぬぞと苦笑して、持って来たものをそのまま持ち去って行ってしまった。
お茶に西瓜の種を煎ったのは、どこへ行っても必ず出すものだと云う。云わば、お茶と種とは付きもので、お茶と云えば種、種と云えばお茶で、夫婦みたいにお茶と種は切っても切れぬものになっていると云う。
僕等は其の種を歯で割って、その中にある油の強い実を取り出しながら、口で嚙んではお茶を飲んだ。種は美味いと云えば美味いし、美味くないと云えば美味くないとも云えた。然し何故だか兎に角、手持無沙汰でいることも出来ぬから、仕方なしに嚙み割っては実を取り出した。
「あの美人達は何故給仕してくれないんだろう」
と、己れは不服面をして云うた。
「ウン、さっき僕は女給と云う名称を付けたが、あれは過失であった。支那のカフェーには女給と云うものが居らぬ。その代わりああ云う女が必ずいる」
「どうも変だね。ああ云う女は何の為に居るんだろう?」
「その問題が直ぐ解決される。まぁ、黙って見ていたまえ」
と、M君が云うたから、己れは隅の方に一団になっている其等の美人の方へ眼をくれながら黙って居た。
すると、軈て正面の極く小さい舞台(二間四方位)の所へ、美人の一人がツカツカと上がった。胡弓を持った男が其れに続いた。女は客性の方を見て立った。男は座った。
何をするんだろうと見てあれば、男が胡弓を構えたかと思うと、巧妙な音を出した。それに連れて年若い女が歌い出した。スイスイパアパア、スイパア、スイパア、サスイホウミイと、得体が解らぬ歌だけど、その声の高下振りで上手か下手かが略解った。いい声とも又悪い声とも我々には略判断が出来た。暫く彼女はスイスイパアパアと歌った。
「一寸可愛い顔をしているねぇ」
と、己れは云うた。
「幾歳位だろう?」
と、君も云うた。
「十六位でしょう」
と、M君は答えた。
彼女は歌い終わると、ツカツカと段を下りて来た。そして一人の男ボーイと一緒に客席を廻った。客席で茶を飲んでいた支那人の客は思い思いにボーイの持っている籠の中へ幾分の金を投じ入れた。
やがて其れ等の者は僕等の席へも来た。己れは財布から小さい銀貨を取り出して、多分これだけ位入れて遣るんだろうと思うて投じて遣った。別に礼言を延べるでもなく、彼女は其の次の席へと行った。
こうして、一通りの客席を廻って、其の喜捨を受けながら、又自分の席へと帰って行って、椅子に座った。そして他の女と小声で何かを話し合った。
支那のカフェーと云うても、日本のカフェーと殆ど変わりはない。椅子席であることもボーイが白いものを着ていることも全く同然であるが、この女の歌を歌うということが、実に珍しい。お寺の寺男もどきに喜捨を集める事も面白い。
「ただ歌を歌うだけで、彼等の職務が終わるんでしょうか」
と、己れは又質問を出した。すると、M君はニタリと笑って、
「貴方にも似せぬ事をお聴きになりますね。凡そ早い話が此の手を御覧なさい。裏と表とがあります。それと同じく人間にも裏と表とがあります。況やこんなところに居る女ですもの十人は十人まで」
と、云いながら次の様な話をした。
こう云うカフェーへ入って来る者は、大抵この歌姫を見に来るんだと云う。そして若し気に入った女が歌を歌うと、その女の為に過分の喜捨を與えるんだと云う。ただ喜捨のみで済む様であれば平穏無事だが、喜捨のみで済まぬから人間と云うものは浅ましいものだと云う。どうするのかと訊くと、若し気に入った女だナと思うと、歌が済んでからどこかで食事を共にしようと云うて連れ出すんだと云う。殆ど其れを又否まないと云う。連れ出した上、約束通りどこか近所の相当な料理店に連れて行って御馳走するんだと云う。御馳走した上、あとは男と女だもの、落ち着く先は大抵想像が付くでしょうと、M君は云うた。
「だから、女が歌っている間、この客席にいる支那人たちは身動き一つせず、ヂっと彼女の一挙一動を見ているじゃありませんか」
と、M君は急所を抉り、
「このカフェーには有名な美人がいるんですよ。蓮榮と云うて、それはそれは容姿柳腰の極美を尽くした美人が居る。それが出て歌い出すと、みんな嬉しがって眼を細うして聞き惚れますよ」
と説明が堂に入ったものだ。
「その蓮榮と云う女の顔を知っていますか」
「いますとも」と、伸び上がって、それ等の一団が座っている方へ眼を走らせたかと思うと
「今、あすこには見えません」
「ぢゃ何処かへ客に連れられて行っているに違いない」
と、己れは早速新智識を応用した。
「きっと左様に違いない。そう云う美人は所謂引き手数多で、殆どヂっと落ち着いて居られませんよ」
と云う。
「そんなに美人ですか」
「そりゃ素敵もない美人です。支那式の誇張な言葉を以てすれば、一度び顔を拝す垂涎三千丈、恍惚魂飛中天ですよ」
己れは左様聴くと、どうかして見たいものだと、頻りに好奇心が動いた。
「それじゃ、そんな呼物の美人が始終不在じゃ客種が遠ざかりませんか」
「いいえ大丈夫です。一遍自分があそこで歌うて再び又あそこへ立つまでの順番に少なくとも二時間あります。だからその二時間が経てば必ず戻って来ますよ」
「二時間あれば食事は出来るだろうが、それ以外の行動は?」
「それは何れ閉場てからの事になるんでしょう」
「それは何処で、二人は囁くんですか」
「彼女の家へ連れて行くこともありましょう。又外にイタチの道はイタチで、それ等の行くべき適当な家がありましょう」
「じゃ、カフェーが終わってから、今日は何処で待ち合わそうち云うことに予め示し合っているんでしょうか」
「左様でしょう」
と、M君はでしょうと逃げて、
「そんな事は米国でも英国でも又日本でも支那でも、異性の行動は洋の東西を問わず、略相類似てしていると思いますよ」
と、M君は洋の東西を担ぎ出して、うまく深刻な質問を避けてしまった。
「左様かも知れんねぇ」
と、僕等も洋の東西を問わずにおさえつけられてしまって、それ以上の質問は出来なくなってしまった。
今度は代わりの女が舞台に立った。己れは先刻立った女は美人だと思うていたのに、それに遥かに優る美しい女であった。年齢の頃は十七~八。眼のパッチリした、絵の様な女であった。成程本当の支那美人は素敵に美しいもので、とても日本にいて想像していても想像が付かないと聴かされていたが、この女なんかどうかい、この艶麗さはと、恍惚してしまった。
その女の声は恰も陽春の小鳥の鳴く様に美しかった。澄み切った中に、哀調切々なるよじょうを帯びた実に佳い声であった。時々溶ろかす様な目付きが、云うに云われぬ味があった。
「あれも有名な美人ですよ」
と、M君は云うた。
「左様だろう。あんな美しい支那の女は生まれて始めて見た」
と、己れは其の美に恍惚としてしまった。
M君はこの時支那ボーイを呼んで、何やら小声で訊いた。ボーイも小声でM君の顔を見い見い答えた。やがて去って行った。
「何を聴いたんだい?」
と、己れはM君の顔を見た。
「あの女は〇〇円だとさ」
と、彼は答えた。
「きっとあのボーイはそのうらにシコタマ自分への心づけを付け加えて、日本人だと思うて、吹き過ぎたな」
と笑った。
「〇〇円!ホウ」
と、己れは唯笑った。
彼女は歌い終わると、矢張り先の女が為した如くに男のボーイを連れて、客席を廻った。己れ達の所へ来た時に、己れは先の女の時に喜捨したよりも、多分を奮発して、籠の中へ、之れ見よがしに一寸女の顔を見ながら投じ入れた。女はチラとその額を見て、ニッと心持嬉しい表情を見せながら又次へと廻って行った。そして総てを終わると、再び自分の席へ戻って行った。
私が與えた額が、今客席へ廻って、與えられた額の内で一番多額であったが為めか、或いは其の多額が彼女に一番深い思し召しがある證左と見たが為か、座ってからの彼女の麗しい眼は私に許り注がれた。私も彼女の眼が外へ注がれるよりも、此の私に灌がれたことが私を一番美男子と思うての秋波に違いないと、この日本男子愉ろしく自惚れてしまって、寄らば靡かんと云う風情を充分に見せた。その証拠として己れは、先方がスーッとながし眼をくれると、己れもスウとながし眼を遣った。先方がニッと笑むと、己れもニッと笑んだ。凡そ二人は相隔たっていて、言語通ぜぬ同志としては最上の手段を講じた。相隔てている身の上として之れ以上施すの業がなかった。己れは密つと小手で招いて見ようと思うたが、他の支那客の眼を憚って、それを止めてしまったことは、今にして思えばまkとに以て無念残念の至極で御座る。
喜捨を先の女に与えたよりも多額に与えたと云うことは、彼女が先の女よりも美人であったからだ。誰でも美の前に絆されることは人情である。どうも人情と云うものは兎角財布を軽くせしめるものだから困る。
支那客にもハイカラの洋服を着ているから一見日本人と見当が附かないが、どこかに我々と違った所が、日本人と区別させる。どこが違っていると云われても、口で云うことの出来ぬ違った所がある。日本人の我々でさえ時として見当違いすることがあるから、毛色の異った外人から見たら、全く区別が附きかねるだろう。
私をして無理に何処が違っているかを、指摘せよと云うたら、第一額が違う。日本人の額は何処かに勢いと云うものがあるが、支那人には勢いがない。次には髪の毛だ。支那人の髪の毛は一対に棒立ちしている。次には又その歩き振りである。股の開き方が支那人の方が変だと思われる。
客種の善悪はよしや洋服を着ていないでも、一見して解る。着ているもので、中の部か、上の部かは見当を附けることが出来る。上の部らしい顔だナと思うと、果たしてボーイがお菓子や果物を抱えて飛んで行く。
支那人と云うものは音に名高い吝嗇な者だと聴いていたが、女の顔を見惚れに来る時には決して吝嗇でない。その証拠には余り風体のよくない者でも、喜捨を與える時には菓子は食わないでも、女の歓心を買う金だけは思い切って投げ出すから、ああ洋の東西を問わず男と云うものはどうして斯様も女には脆いものかと云いたくなる。
随分心残りの思いがしたけど、お茶ばかり飲んで三十分も四十分もヂッとしているのは、日本男子の潔しとせざる所だと、飛んだところで日東男子を思い出して、急に立ち上がった。立ち上がったけど、足が急に外に出ない。幾度か人情の機微に捉われて、「あれは美人だなアー、きっと僕にきつい思し召しがあるに違いない。僕だってこの通りだよ」と云わんばかりに、後を振り返り振り返り、最後にニッと笑みを與えて、今度は急に男らしい態度を見せるべく、スタスタと歩調を勇敢に運んだが、心の中はちっとも勇敢でなかった。其の女のこと許り思うて、千々に物を想い詰めていた。