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この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
カフェーで歌う支那娘
汽車が奉天で止まると、二人は下りた。二人とは僕とR君である。直ぐステーションと同じ建物のヤマトホテルへ入って行った。すると支配人の淵田さんが「やァ」と、声かけながら近寄って来た。淵田さんと僕は大連から三里離れた星ヶ浦で既に逢っていたんだ。その際私は云うた。
「近いうちに奉天へ参りますから、どうぞ宜しく」
「ええ、是非来て頂きたい。奉天には珍しい場所が沢山ありますから」
こう云うて、二人は手を握って別れたんだ。それから私は満線の至る方面を見て、愈々この奉天へと乗り込んで、今や再会の笑みを交わしたのであった。
「あれから一寸、廿日も経ちますねぇ」
「早いものですねぇ」
と、云ってると、其処へ満鉄の制服を着た見るからに温かい感じのする人がツカツカと入って来た。
「伊藤さん、伊藤さん」
と、淵田さんは急に呼び止めた。
「ええ」
と、其の人は立ち止まった。
「そら先日お話しして置いた他見男さんです此の方が」
「ああ、左様ですか。先日中新聞で拝見していて、もう此方へいらっしゃる頃だと、お待ち申して居りました。」
と、云う。淵田さんと僕を顧みて、
「此方は伊藤さんと云うて、故伊藤博文公の実施です」
と、紹介した。二人は手を握った。荷物をボーイに持たせて二階の部屋へ上げさした儘四人はバーへ入って座った。
色々と話を聴いて見ると伊藤君は法学士だけど、今駅員の見習いに来ているんだと云う。何故駅員の見習いに来ているかというと、こうせぬと、後日人の長たるに及んで、下情に通ぜないでは困るからだと云う。実に感心な人だ。
此の感心な人を何れ後でゆっくり話し合うことにし、取り敢えず僕と、R君の二人は、敬意を表する為に満鉄公所へと顔を出すことにして馬車を命じた。
満鉄公所まではかなり長かった。馬車の走る所、悉く洋館であった。洋館に非ずば立派な商家であった。かねて奉天の町は立派だよとイヤと云う程聴かされていたから、別に珍しくも思わなかったが、馬車が一歩これからが支那街だと注意された所から、ダラリと模様が変わった。
第一支那の巡警(巡査)が二十歩毎に必ず附け剣で立っていた。あらゆる装飾が朱や赤や紫や青で濃厚に彩られていた。無数に支那人が往来していた。肉の焼いたやつや煮たやつ、それに汚い饅頭を、あちこちの店頭に売っていた。また奇異な感に打たれたのは一つの城門へ入ると、そこに街があり、町が尽きるとまた城門があり、城門が尽きるとまた街と云う風に、いくつも幾つも城門があった。R君の説明によると、素破敵の襲来っとなると、ピタリと早くも一方の門を閉めて他の侵掠されるのを防ぐのだと云う。又強盗、人殺しのあった場合、どこへも遠方へ逃げられぬ様に、片っ端から締め切ってしまうのだと云う。それは昔のこと。今でも夜の十二時を過ぎると、彼方此方の門がピタリピタリと閉ざされるから、夜の十二時を過ぎたら、帰ろうにも帰れぬと云う。イヤそれよりも物騒でとても歩けたものじゃないと云う。更に夜遅く歩こうものなら剣を擬して巡警に誰何され、よく言葉が通ぜぬものなら、飛んだ目に遭わされ、拙手にマゴつくと大変な目に遭うと云う。どっち道、夜が更けてからブラブラするのは支那人が危険なのみか、巡警までが危険だと云う。支那の巡警は金さえやれば、どんな強盗でもサッサと逃がしてしまうと云う。ビクビクする話ばかりだ。
己れ達は真昼中であったから、次第次第に支那街の奥へ奥へと馬車が入れて行った。見る人、見る者悉く支那人だし、言葉は「お前」の外、知らぬので、薄気味悪くて、早く着いてくればいいと思うた。
そのうち、賑やかな所を一寸曲がって静かな所へ来た。そこに何だかお寺みたいな建物があった。満鉄公所が此処だと云われて、二人は下りた。よくもこんな四囲みな支那家屋にかこまれた所に、恐くないものだと思うた。
公所に入って所長のK氏にと、名刺に出すと直ぐに通された。
「よくこそお出で下さいました」
と、云う。
「奉天では何処をご覧になりたいと思いますか」
と、向こうから質問だ。
「それに就いて、殆ど支那人の様に、支那通と謳われた有名な貴方の意見を聴きたいと思いまして参りました」
と、此方も巧妙に遣って退ける。
「左様ですか。こりゃ参った。アハッハ」
と、K氏は豪傑笑いを天井高く張り上げながら、
「貴方はどんな所を見たいと思いますか」
「珍しい所を見たいと思います」
「左様ですか。そして賑やかな所がいいんですか。静かな所がお気に向くんですか」
「そりゃ私は華やかな空気の所が好きですから」
「左様ですか。それじゃ支那街にある東京の浅草と云う所をご覧なさい。きっと貴方は満足されるに違いありませんから。そして其れが一番支那と云うものを早く知るに近道ですから」
「そりゃ願ってもない場所です。是非御便宜を與えて欲しいものですねぇ」
「わかりました。それでは此処に外語の支那科出身のM君と云うのが居ますから、その人に案内させましょう」
と、云いながら、どっかとした椅子から腰を上げて、立ち上がりながら呼鈴を押した。すると間もなく長身の支那ボーイが入って来た。
「M君に一寸此処へ来る様に」
と、云うと、其の志那人は日本語が解ると見えて、畏まって下がって行った。入り換りに小柄な若い日本人が現れて来た。
「おうM君、実は此の方達はこういう人だ」
と云って名刺を見せながら、
「支那の浅草街を君案内して上げてくれないか」
「ハッツ、解りました」
「それでは直ぐ、外出の用意をして来てくれたまえ」
M君は急いで出て行った。其の間K氏は色々と支那のことに就いて話をした。己れが支那人の学校を見たいものですねぇと云うと、それはいとお易い御用、いつでも紹介状を書きますからと快く引き受けた。
「もし我々に時間の余裕が出来ましたら、是非その切は」
と、云っている所へ、M君が「ぢゃ出掛けましょう」
と再び入って来た。それではと立ち上がった。
三人は再び支那馬車の人となった。M君は馭者が「どっちへ?」と振り返る毎に、支那語で巧妙に右を廻れ、左に行けと云うた。
そのうち、群衆で身動きも出来ぬ場所へ馬車が入って来た。馭者が頻りに大きな声で「危ないッ、注意しろ」と怒鳴りながら進めた。その度に人々は驚いた様に除けた。除けた拍子にヂッと見上げた。
「日本人だ、日本人だ」と、彼等がわめいていますよと、M君は平然として云うた。もう之れ以上馬車をすすめられないと云う場所へ来て、M君も、「この辺で下りましょう」と云うて、自分から真っ先に下りた。私は直ぐに続いた。
「馬車は帰しましょうか。それとも待たせて置きましょうか」
と、M君は訊いた。
「待たせて置いて貰いましょう」
と、答えると、M君は何やら馭者は頷いて、ハヨーと云った様な声を出しながら、馬を一隅に御して行った。
三人はポカンと立って右顧左顧した。その時その道路より一段高い地所の所から、頻りにワッワッと云う歓声が聞こえる。そして其の四囲から見物人が伸び上がって何かを見ている。
「何だろう?」
と、己れはM君を顧みた。
「運動会か、何かの競技でしょう」
と、M君は答えた。
「見ましょうか」
と、僕は支那人の運動会とか、競技とかを未だ見たことが無いから、珍しく思うたので左様云うて見た。
「とても見てられないでしょう。あの通り塀で囲んでありますから」
「どうかして、一寸見たい様な気がしますねぇ」
「それよりも、こっちを見た方がいいでしょう。一寸御覧なさい」
と、僕の視線を一方へ注がした。
そこには実に大きな池があった。池の中には島があった。島には幾つとなく大きな建物があった。その建物はあるものはカフェー、あるものは寄席、又あるものは浪花節ではあく、チャンチャン節であった。プカプカチンチンと実に賑やかだ。支那一流の騒々しい音を立てていて、耳を聾するばかりだ。何を鳴らすとあんな得体の知れぬ音色が出るんだろう。
濃厚な色彩と、此の音色と、そして支那人の顔ばかり見ていると、何だか奉天には日本人が住んで居るととても思われぬ、まるで別天地、所謂純粋な支那街の人となってしまった様に思う。
同じ奉天でも日本人の住む場所と、支那人の住む場所とは全然異なっている。ここらへ来ると、本当の支那街である。右を見ても左を見ても支那である。私は奉天にはこういう所があるのかと驚いてしまった。何だか今まで見たことも聴いたこともない空気だったから好奇心のうちに、云うに云われぬ嬉しさが、私の心の中を一杯に占めた。
ちょうど自分たちの立っている前に一つの橋があった。その橋を越えて又、橋があった。橋が二つあった。その橋を越えた正面がカフェーらしかった。
「あれは支那のカフェーですか」
と、M君に聴くと、左様だと云う。折柄その建物の欄干に若い支那美人が四~五人現れて頻りにこっちを見ていた。
「オヤ、こっちを見ている」
と、己れは云うた。
「君に見惚れているのかも知れない」
と、R君が云うた。
「左様かも知れない」
と、己れは軽く受けて、
「あれ等が何だろう?」
と、訊いた。
「日本の所謂女給だよ」
「フーム、支那美人の女給て珍しいねぇ。入って見ようか」
「うん、入って見よう」
「入って見よう」
男は女には兎角脆いもので、一人も不賛成を云わぬ。
三人は橋を渡って其のカフェーへ入って行った。そして一隅に席をしめた。そこへ男のボーイがお茶と西瓜の種の煎ったのを、持ってやって来た。ほかに又、果物や菓子等又、酒だのと持って来たが、M君はそんな物は要らないとはねのけた。M君の話によると、風体が上等客と見ると、註文もせぬ物を持って来て勧めて見るんだと云う。とても喰われた物じゃありませんから、要らぬと云って首を振って遣ったと云う。
首を振った時そのボーイは、こりゃ金にならぬぞと苦笑して、持って来たものをそのまま持ち去って行ってしまった。
お茶に西瓜の種を煎ったのは、どこへ行っても必ず出すものだと云う。云わば、お茶と種とは付きもので、お茶と云えば種、種と云えばお茶で、夫婦みたいにお茶と種は切っても切れぬものになっていると云う。
僕等は其の種を歯で割って、その中にある油の強い実を取り出しながら、口で嚙んではお茶を飲んだ。種は美味いと云えば美味いし、美味くないと云えば美味くないとも云えた。然し何故だか兎に角、手持無沙汰でいることも出来ぬから、仕方なしに嚙み割っては実を取り出した。
「あの美人達は何故給仕してくれないんだろう」
と、己れは不服面をして云うた。
「ウン、さっき僕は女給と云う名称を付けたが、あれは過失であった。支那のカフェーには女給と云うものが居らぬ。その代わりああ云う女が必ずいる」
「どうも変だね。ああ云う女は何の為に居るんだろう?」
「その問題が直ぐ解決される。まぁ、黙って見ていたまえ」
と、M君が云うたから、己れは隅の方に一団になっている其等の美人の方へ眼をくれながら黙って居た。
すると、軈て正面の極く小さい舞台(二間四方位)の所へ、美人の一人がツカツカと上がった。胡弓を持った男が其れに続いた。女は客性の方を見て立った。男は座った。
何をするんだろうと見てあれば、男が胡弓を構えたかと思うと、巧妙な音を出した。それに連れて年若い女が歌い出した。スイスイパアパア、スイパア、スイパア、サスイホウミイと、得体が解らぬ歌だけど、その声の高下振りで上手か下手かが略解った。いい声とも又悪い声とも我々には略判断が出来た。暫く彼女はスイスイパアパアと歌った。
「一寸可愛い顔をしているねぇ」
と、己れは云うた。
「幾歳位だろう?」
と、君も云うた。
「十六位でしょう」
と、M君は答えた。
彼女は歌い終わると、ツカツカと段を下りて来た。そして一人の男ボーイと一緒に客席を廻った。客席で茶を飲んでいた支那人の客は思い思いにボーイの持っている籠の中へ幾分の金を投じ入れた。
やがて其れ等の者は僕等の席へも来た。己れは財布から小さい銀貨を取り出して、多分これだけ位入れて遣るんだろうと思うて投じて遣った。別に礼言を延べるでもなく、彼女は其の次の席へと行った。
こうして、一通りの客席を廻って、其の喜捨を受けながら、又自分の席へと帰って行って、椅子に座った。そして他の女と小声で何かを話し合った。
支那のカフェーと云うても、日本のカフェーと殆ど変わりはない。椅子席であることもボーイが白いものを着ていることも全く同然であるが、この女の歌を歌うということが、実に珍しい。お寺の寺男もどきに喜捨を集める事も面白い。
「ただ歌を歌うだけで、彼等の職務が終わるんでしょうか」
と、己れは又質問を出した。すると、M君はニタリと笑って、
「貴方にも似せぬ事をお聴きになりますね。凡そ早い話が此の手を御覧なさい。裏と表とがあります。それと同じく人間にも裏と表とがあります。況やこんなところに居る女ですもの十人は十人まで」
と、云いながら次の様な話をした。
こう云うカフェーへ入って来る者は、大抵この歌姫を見に来るんだと云う。そして若し気に入った女が歌を歌うと、その女の為に過分の喜捨を與えるんだと云う。ただ喜捨のみで済む様であれば平穏無事だが、喜捨のみで済まぬから人間と云うものは浅ましいものだと云う。どうするのかと訊くと、若し気に入った女だナと思うと、歌が済んでからどこかで食事を共にしようと云うて連れ出すんだと云う。殆ど其れを又否まないと云う。連れ出した上、約束通りどこか近所の相当な料理店に連れて行って御馳走するんだと云う。御馳走した上、あとは男と女だもの、落ち着く先は大抵想像が付くでしょうと、M君は云うた。
「だから、女が歌っている間、この客席にいる支那人たちは身動き一つせず、ヂっと彼女の一挙一動を見ているじゃありませんか」
と、M君は急所を抉り、
「このカフェーには有名な美人がいるんですよ。蓮榮と云うて、それはそれは容姿柳腰の極美を尽くした美人が居る。それが出て歌い出すと、みんな嬉しがって眼を細うして聞き惚れますよ」
と説明が堂に入ったものだ。
「その蓮榮と云う女の顔を知っていますか」
「いますとも」と、伸び上がって、それ等の一団が座っている方へ眼を走らせたかと思うと
「今、あすこには見えません」
「ぢゃ何処かへ客に連れられて行っているに違いない」
と、己れは早速新智識を応用した。
「きっと左様に違いない。そう云う美人は所謂引き手数多で、殆どヂっと落ち着いて居られませんよ」
と云う。
「そんなに美人ですか」
「そりゃ素敵もない美人です。支那式の誇張な言葉を以てすれば、一度び顔を拝す垂涎三千丈、恍惚魂飛中天ですよ」
己れは左様聴くと、どうかして見たいものだと、頻りに好奇心が動いた。
「それじゃ、そんな呼物の美人が始終不在じゃ客種が遠ざかりませんか」
「いいえ大丈夫です。一遍自分があそこで歌うて再び又あそこへ立つまでの順番に少なくとも二時間あります。だからその二時間が経てば必ず戻って来ますよ」
「二時間あれば食事は出来るだろうが、それ以外の行動は?」
「それは何れ閉場てからの事になるんでしょう」
「それは何処で、二人は囁くんですか」
「彼女の家へ連れて行くこともありましょう。又外にイタチの道はイタチで、それ等の行くべき適当な家がありましょう」
「じゃ、カフェーが終わってから、今日は何処で待ち合わそうち云うことに予め示し合っているんでしょうか」
「左様でしょう」
と、M君はでしょうと逃げて、
「そんな事は米国でも英国でも又日本でも支那でも、異性の行動は洋の東西を問わず、略相類似てしていると思いますよ」
と、M君は洋の東西を担ぎ出して、うまく深刻な質問を避けてしまった。
「左様かも知れんねぇ」
と、僕等も洋の東西を問わずにおさえつけられてしまって、それ以上の質問は出来なくなってしまった。
今度は代わりの女が舞台に立った。己れは先刻立った女は美人だと思うていたのに、それに遥かに優る美しい女であった。年齢の頃は十七~八。眼のパッチリした、絵の様な女であった。成程本当の支那美人は素敵に美しいもので、とても日本にいて想像していても想像が付かないと聴かされていたが、この女なんかどうかい、この艶麗さはと、恍惚してしまった。
その女の声は恰も陽春の小鳥の鳴く様に美しかった。澄み切った中に、哀調切々なるよじょうを帯びた実に佳い声であった。時々溶ろかす様な目付きが、云うに云われぬ味があった。
「あれも有名な美人ですよ」
と、M君は云うた。
「左様だろう。あんな美しい支那の女は生まれて始めて見た」
と、己れは其の美に恍惚としてしまった。
M君はこの時支那ボーイを呼んで、何やら小声で訊いた。ボーイも小声でM君の顔を見い見い答えた。やがて去って行った。
「何を聴いたんだい?」
と、己れはM君の顔を見た。
「あの女は〇〇円だとさ」
と、彼は答えた。
「きっとあのボーイはそのうらにシコタマ自分への心づけを付け加えて、日本人だと思うて、吹き過ぎたな」
と笑った。
「〇〇円!ホウ」
と、己れは唯笑った。
彼女は歌い終わると、矢張り先の女が為した如くに男のボーイを連れて、客席を廻った。己れ達の所へ来た時に、己れは先の女の時に喜捨したよりも、多分を奮発して、籠の中へ、之れ見よがしに一寸女の顔を見ながら投じ入れた。女はチラとその額を見て、ニッと心持嬉しい表情を見せながら又次へと廻って行った。そして総てを終わると、再び自分の席へ戻って行った。
私が與えた額が、今客席へ廻って、與えられた額の内で一番多額であったが為めか、或いは其の多額が彼女に一番深い思し召しがある證左と見たが為か、座ってからの彼女の麗しい眼は私に許り注がれた。私も彼女の眼が外へ注がれるよりも、此の私に灌がれたことが私を一番美男子と思うての秋波に違いないと、この日本男子愉ろしく自惚れてしまって、寄らば靡かんと云う風情を充分に見せた。その証拠として己れは、先方がスーッとながし眼をくれると、己れもスウとながし眼を遣った。先方がニッと笑むと、己れもニッと笑んだ。凡そ二人は相隔たっていて、言語通ぜぬ同志としては最上の手段を講じた。相隔てている身の上として之れ以上施すの業がなかった。己れは密つと小手で招いて見ようと思うたが、他の支那客の眼を憚って、それを止めてしまったことは、今にして思えばまkとに以て無念残念の至極で御座る。
喜捨を先の女に与えたよりも多額に与えたと云うことは、彼女が先の女よりも美人であったからだ。誰でも美の前に絆されることは人情である。どうも人情と云うものは兎角財布を軽くせしめるものだから困る。
支那客にもハイカラの洋服を着ているから一見日本人と見当が附かないが、どこかに我々と違った所が、日本人と区別させる。どこが違っていると云われても、口で云うことの出来ぬ違った所がある。日本人の我々でさえ時として見当違いすることがあるから、毛色の異った外人から見たら、全く区別が附きかねるだろう。
私をして無理に何処が違っているかを、指摘せよと云うたら、第一額が違う。日本人の額は何処かに勢いと云うものがあるが、支那人には勢いがない。次には髪の毛だ。支那人の髪の毛は一対に棒立ちしている。次には又その歩き振りである。股の開き方が支那人の方が変だと思われる。
客種の善悪はよしや洋服を着ていないでも、一見して解る。着ているもので、中の部か、上の部かは見当を附けることが出来る。上の部らしい顔だナと思うと、果たしてボーイがお菓子や果物を抱えて飛んで行く。
支那人と云うものは音に名高い吝嗇な者だと聴いていたが、女の顔を見惚れに来る時には決して吝嗇でない。その証拠には余り風体のよくない者でも、喜捨を與える時には菓子は食わないでも、女の歓心を買う金だけは思い切って投げ出すから、ああ洋の東西を問わず男と云うものはどうして斯様も女には脆いものかと云いたくなる。
随分心残りの思いがしたけど、お茶ばかり飲んで三十分も四十分もヂッとしているのは、日本男子の潔しとせざる所だと、飛んだところで日東男子を思い出して、急に立ち上がった。立ち上がったけど、足が急に外に出ない。幾度か人情の機微に捉われて、「あれは美人だなアー、きっと僕にきつい思し召しがあるに違いない。僕だってこの通りだよ」と云わんばかりに、後を振り返り振り返り、最後にニッと笑みを與えて、今度は急に男らしい態度を見せるべく、スタスタと歩調を勇敢に運んだが、心の中はちっとも勇敢でなかった。其の女のこと許り思うて、千々に物を想い詰めていた。