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物凄い泥棒街【昭和14年「支那街の一夜」より】

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物凄い泥棒街【昭和14年「支那街の一夜」より】

この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


物凄い泥棒街

「私は今度の旅行の土産に何か買って行きたいと思いますが」
と、R君がM君に訊いた。
「お土産?支那のお土産と云うたら、大抵十の九まで骨董ですねぇ」
「その骨董が私は好きなんです。どこがいいでしょう?」
「ぢゃ何と云うても泥棒街に限りますよ」
「やっぱり泥棒街でしょうか。ぢゃ今から其の泥棒街へ行きましょうか」
と、R君は今度は己れを見た。己れは気味の悪い街もあるものだと思うた。
「泥棒街て、泥棒がウヨウヨ住んでいるんですか」
「いいや、そんな訳じゃありません」
「ぢゃ、泥棒が何かを売っているんですか?」
「いいや。泥棒の他所からかっぱらって来たものを売る店です。つまり泥棒して盗んで来たものを売るんです。だから安いんです」
「一体支那の警察は何故それが贓品だと知って黙って居るんでしょう?」
「そこらが支那の支那たる国です」
と、平然としてM君は答えた。何と云う妙な街だろう。薄気味悪い街だろう。われ等は今その泥棒街を目がけて馬車を走らせた。

 馭者は次第次第に昼なお物騒な汚い街へと馬の尻を叩いた。そのあたりへは馬車の来るのは珍しいと見えて、汚い労働者風の凄い眼が道を避ける度に我々の身の上に凄い光を放った。一人や二人の時には左迄には感じなかったが、四人五人と荒くれ者が固まっているのが一番恐かった。彼等は我々の姿を見ると、ヒソヒソと何かを耳打ちした。その様が突然後ろからパッと襲撃する相談の様に思われて仕方が無かった。隙を見せたらきっと彼等は飛び付いて来るに違いない。そんな眼つきをして彼等は見守っていた。

 然し馭者が「ハヨー、ハヨー」と云う声をかけると、不思議にも躊躇なく側へ避けてくれた。荷車でも懸命になって道をあけてくれた。そこらは日本人の荷車の図々しく又、意地悪い故意の企てと違っていた。きっと彼等は相当身分のあるものと見たのであろう。そして其の身分あるものに無礼すると許さぬぞと云った様な掟に戦いているんではあるまいかと思われた。彼等はだから馬車に乗っている者を見ると、羨望よりも寧ろ略奪を考えた。馬車に乗る様なものは相当の金を名ならず懐にしているだろうと思うている。実際また彼等から見ると、たしかに馬車に乗る相当の金を所持しているに違いないのだ。

 彼等の生活費は一日十銭あればいいんだと云う。十銭さえ得てしまえば楽に喰えるんだと云う。如何にも左様らしい所がある。何故ならばあの味の美味い真瓜(梨瓜)などは、日本などでは一個十銭もするのが、支那では五厘位しかしあい。その梨瓜を日本人でも大抵の者は好くが、支那人は殊に大好物と見えて、大道の真中を梨瓜を喰って歩いている。歩いていないものは店の前に立って齧っている。皮も剥かないで其のまま食べる者が多い。相当身なりのいい支那人までが体裁を忘れて梨瓜に口を動かしている。

 饅頭だって一銭出すと、五つもくれると云う。大きい饅頭だ。そんなことを考えると十銭で一人の生活が出来ると云うことは決して嘘じゃないと思うた。

 夏に支那の巡警の一ヶ月の俸給はどんなものかと訊くと、一ヶ月三円六十銭位だと云う。つまり一日十二銭だ。だから普通の生活費よりも二銭多い訳だから、そりゃ巡警になりたがる者が多いと云う。加うるに支那の巡警になると泥棒を捕まえても、賄賂を掌へ載せられると、そら逃げろと、急に逃がしてしまう相である。物騒千万の話だ。

 支那人は儲けさえすればいいんだと云う。例えばここに反物を仕入れたとする。そうすると急に相場が上がって前に買った価格よりも二倍になったとする。日本人だと慌てて前に買った反物の正札を、二倍上がった価格に訂正してしまうが、支那人は決してそんな事はしないと云う。前に買った時の値段よりも幾分でも儲けさえすればきっと手放してしまう相である。ここらが日本人の方が性が悪い。

 又、支那人には決して沢山金を持っていると云うことを見せられぬと云う。たとえば露店へ入ってこれは幾らだと云う。フーンと云って一円紙幣を出して、これをやるから負けろと云うと其の紙幣を見たが最後急にヘナヘナとなって十円の物が一円でも買えると云う。それ程金を見ると支那人の野性がグワッと目覚めて来る。だから買い物をする時でも、何の時でも凡そ支那人に多額の金を所持しているということを目の当りに見せるのが一番危険だと云う。その金欲しさの為にパーンと遣っ付ける相である。よくそれが為に殺される憂き目に遭った者もあると云う。

 今、泥棒街へ入ろうとした時、M君は以上の話を聴かせて、財布の中に若し多額を用意しているのであったら、その大部分は何処かへ隠しておいて、出来るだけ財布の中は間に合うだけしか入れて置くなと注意した。二人は慌てて十円紙幣以上をそっとポケットの内懐へ仕舞い込んだ。

 くすんだ様な城門を潜って、鬼気迫る様な薄暗い街の一つへ入ると、M君は馬車を急に止めた。ここが泥棒街だと云う。成程其の名の通り凄いところだと己れは気味悪く突然襲われやしないかと云う懸念を抱きつつ下りた。R君は既に一度来たことがあると云う自信で虚心の様であった。

 そこには小さい店がズラリと並んで居た。
「君は骨董は?」
「骨董?名からして嫌いだ」
「フーム、支那の骨董を見本へ持って帰って見い、珍しがるぞ。そして又売って見い、きっと儲かるぞ」
「何と云われても嫌いだ。何だか黴の生えた様なものを有難がって手に取って珍重がるものの気が知れない。
「君はハイカラ当だから、骨董なんか向かぬだろう」
と、到頭R君は自分の趣味の中へ僕を引き入れることを止めてしまった。

 第一に入ったのはやっぱり骨董店である。古道具がズラリと陳列してある。掛物もうづ高く積んであった。新しいものて一つもありやしない。

 よっぽど好きだと見えて、R君は涎を流さん許りにして或いは仏像、或いは珍石を一々手に取りながら熟視した。つまらないから僕とM君とは立ち話をして、彼の選択が早く済むことを待った。

「私は先日も此処へ内地から来た日本人を案内して来たんですよ」
「左様ですか。誰です?」
「吉岡(仮名)さんです」
「ホウ、あの人を」
「ええ。そしてやっぱりこの店へ入ったんです。この店の主人は色々な物を見せたんですが、どうもどれもこれも気に入らなかったんです。すると主人はしばらくはヂッと吉岡さんの顔を見たまま考えていたが、突然それじゃきっと貴方のお気に入るに違いないものをお目に掛けましょうと云って、奥へ案内して行きました。私も通訳ですから一緒に入りました。すると主人は奥の方の間の戸棚から何やら巻いたものを持って出て来るんです。何をみせるんだろうと、二人とも瞳を凝らしていますと、主人は徐に其れを拡げました。我々は其れを一目見て思わずきまりの悪い思いをせざるを得なかったのです。貴方は抑々それを何だと思いますか」
「多分支那の〇〇でしょう」
「左様です、〇〇です。」
「吉岡さんはどうしました?」
「果たして主人の予言通り珍しいと云いました。それ御覧なさいと云わん許りに主人は微笑していました。然し其の値があまりに法外なので、到頭買わずに出てしまいました」
「左様ですか。私もちょっとそう聴くと見たい様な気がしますねえ」
「訊いてみましょうか。有るかも知れませんから」と小首を傾けながら、
「ありましょうきっと。一寸お待ちください」
と、云うてM君は一人でツカツカと奥へと進んで行った。そこには主人らしい者は座っているのが、此方からでも眼に付いた。

 M君は二言三言その主人と話し合ったかと思うと、此方へ聴こえる様な声で、
「ある相ですよ」
と、云った。それではと己れは行こうとして急にR君にこの由を告げた。するとあれほど骨董好きの君も、骨董は後回しとばかり、急いで僕と一緒になって奥へ入って行った。すると主人はやをら立ち上がって奥の戸棚からその巻物を引き出して来ながら、我々の眼の前でサッと広げて見せた。そこにはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。私は買って見たいと迄思わなかったが、試みに値段を聴いた。
「二十五円だと云います」
「二十五円、フーム高いや」
と、己れは首を振った。その意志は直ちに先方へ通ぜられた。
「ぢゃ幾らだとお買いになるんです」
と、先方は逆襲して来た。己れはM君だけにこう云うた。
「ねぇM君、正直に云うと僕はこんな物は値段の如何に拘らず買う気はしないんだよ。こんな物と云うものは参考の為に見るのが関の山で、所有している者じゃありませんよ」
「御尤もです」
と、M君は仕方なしに御尤もですと云うた。
「しかし私の美術観はお陰で豊かになりましたよ。全く日本に於いては見たいと思うても見られない物ですからねえ。さぁ君、何とか旨く云うて濁してくれ給え」
「それぢゃ八円にしろと云うて、駄目だと云うたら、ぢゃ止しますと云いますから、くれぐれも財布から金を見せてはいけませんよ」
と、注意しながら、M君は先方へ此の旨を伝えた。果たして先方は他の物と違って此の品だけはとてもそんな値じゃと首を振った。首を振ったのが幸いだった。三人は其れを機会に表へ出た。但しその内私だけは道路へ出てしまった。いつまでもああした中にヂっと待っているのがこの上もない苦痛であったからだ。

 私はブラブラと、少し大胆になって一軒一軒覗いて歩いて見た。五軒目に至って私の足は思わず止まってしまった。そこには支那独特の耳飾りが硝子窓の中に綺麗に並べてあったからだ。私は最初それを何だろうと思うた。女の時計の鎖の装飾じゃないかと思うた。然し其れには余りに短い物であったから、フと首を傾けてしまった。色々考えている揚句やっと耳飾りだと云う事に気が付いた。支那女人の耳飾り。私は思わず中へ入って見た。それらは殆ど新品であった。泥棒して来た物を売っているものなら、きっと小売店へ渡らぬ先に、卸屋からでも盗んで来たものであろう。

 己れは東京への土産に此の耳飾りが或いは面白いかも知れぬと思うた。きっと珍しがるだろうと思うた。然しよく考えて見ると、こんな物を貰っても、貰った人は日本人である限りどうすることも出来ないだろうと案ぜられた。買ってみたい様な、買ってみたくない様な気持ちに捉われて、暫く硝子をすかして見いっていた。

 金に真珠を鏤めたものや、銀に珊瑚を鏤めたのや様々であった。人工真珠らしいのもあった。金ばかりのもあった。耳飾りの店て東京のどこにも無いからと、私は注意深く見ていた。

 店の者が傍へ来て頻りに何かを云うたけど私は一言も発せず(発せ得ないのだ)、黙々としていた。あまり「どれがお気に召して」と云わん許りに、あれやこれやと手に取り上げては僕の顔を見たから、ムッツリとした顔を作って、其のまま出てしまった。随分面の皮の厚い所業である。物凄い泥棒街へ来て其の不敵さは我ながら上出来であった。

 R君は何をしているんだろう。まだ出てきやしない。あんなに古臭い物がどうしてありがたいんだろう。人の趣味と云うものは実に様々だわいと思いながら、暫く立っていたが遂にその姿が見えなかった。折角愛好おかざる顔付しているのを、邪魔しに戻るのもお気の毒に存じ候えばと思うたので、仕方なしに又一軒の店へ思わず入ってしまった。

 そこはやっぱり骨董店であった。私は思わず入ってしまったので、店にいる者に対するの手前上、無理にも何かを見なくてはならなかった。そこで、あれこれと唯眼をくれていた。

 所が其の店は妙な店で何かを買わなくちゃ無手で出られない力をどこかに持っている様に思われた。その証拠に私の足がどうしてもその店から抜けなかったからである。そんな店というものはよく日本の銀座あたりにでもある。ただ何となしの力、こう云うより外はない。強いて云えば店の魅力とも云うであろう。私は今その魅力にかかってしまった。

 だから私は仕方なく安いもの、安いものと物色した。所が私はそこに、柱につるす花活けの、陶器から成立した蝦の姿を見出した。どうかして値段を知りたいものだと思うている所へ、幸せとでも云うのであろう、丁度そこへM君が、
「随分探しましたよ」と、云いながら入って来た。

 そこで其のM君に早速値段を訊いて貰うと、案外安い。それぢゃと云って買おうとすると、
「ただし其れは対になっていますから、一つでは困る」と云う。其れぢゃ仕方がない二つを買おうと云って、其のまま云われた金を出して渡して、品物を受け取った途端、己れはさァ失策ったと叫んだ。
「どうしたんです?」
と、M君は吃驚して己れの顔を見た。
「僕ね、余り安かったから負けてくれと云うのをツイ忘れてしまって、云い値のまま出してしまった」
と後悔の色を見せた。
「私もうっかりしてました。どうも済みません」
と、M君は頭を掻いた。
「二人が外へ出た時、R君は何やらブラ下げて此方へ丁度歩いて来る所であった。
「オヤ君も何か買ったね」
と、R君は僕が新聞紙に包んだものを持っているのを見て云うた。
「どうもツイ君の趣味に犯されてしまった。一方が良い良いと云うていると、知らず知らずのうちに、それに同化していくものだと云うことを、今僕は痛切に感じた」
「趣味と云うものは左様して次第に培われて行くものだよ。何だい?」
「後で見せるよ」

 左様云うて又二~三軒ブラブラ覗いた。僕は苦虫つぶした様に、再び同化圏内に入らない様に、其の時からは外に許り立っていた。泥棒街の夕暮れとでも云おうか、日は次第に傾きを見せた。「帰ろう帰ろう」と、まだ見て行こうとするM君を強く己れは引っ張った。そして再び馬車に乗った。名は物凄いが、着て見れば普通の商店と余り違って居なかったことも、又驚きの一つであった。

 馬車の中で、己れは買った包みの紐を解いて見せた。するとR君は其れを手にしたかと思うと、いきなりプッとふき出しながら、
「つかませられたね」
と、云う。どうした事だと訊くと、
「これは日本製で、日本から輸入して来たものだよ。こんなものは日本の何処の店にもザラにある。ウハッハハ」
と、高らかに嘲り笑った。

 己れはスンでのことに地面へ其れを叩きつけようと思うた。然し其れには今買った許りだと云う惜しさが断行を躊躇せしめた。その代わり己れは牛の糞でも踏んだようにグニャリとした顔をしてしまった。
「ぢゃ君に與ろうか」
と、R君に云うた。
「却って迷惑だよ」と、R君は首を振った。
「ぢゃ君に與ろうか」
と、M君を見た。M君は俄かに首を向こうへ反らしてしまった。

 持って迷惑、投げは推しい。仕方なしに己れは、此の旅に来て始めて味わった不快を心の中に漲らしながら、それからは口も利かず黙って馬車の中に揺られていた。

 後に私は其れを開原にいる弟に與えてきた。弟は「こんな物を貰っても少っとも礼は云わぬぞ」と云うて、不承不承受けた。凡そ世の中にこんな馬鹿を見たことがあろうかと思うた。

 己れは其れからと云うものは骨董の骨と云う字を聴いてもゾッとした。危うく同化されかかって早くもこんな失敗が目を覚ましてくれたのが、却って或いは勿気の幸いと云うものであったかも知れない。

 左様でなかったら、私は或るいは其の後とんだ高い物を、何が拍子で掴ませられたかも知れない。泥棒街だとで、無気には忌避してはならぬ。私には良い経験を與てくれた。

 弟が其の蝦を手にした時、それをヂッと見て、
「オヤこっちのに足が日本足りない。折れた跡がある」「オヤこっちのには又、ここへ罅が入っている。満足な者て一つもありやしない。大体柄にもないものを買うからだ」と、兄貴め散々な目にあわされた。

 私は今でも骨董と云えば直ぐあの泥棒街へ乗り込んだ時のことを想う。


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