大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「小田原」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<小田原>
小田原は関東八州に威を篩った北條早雲の旧蹟の多い所。城址の北に隣れる小峰の梅林は、花の早く開くので知られている。又、海岸は御幸の濱といって有名である。町を通り過ぎると早川の流れを左に見て、川の向こうにもっとも高く見えるのが石垣山である。此の山は小田原征伐の時、秀吉の陣したところで、有名なる一夜城の墨は今も尚のこついている。石垣山から湯本に下る路がある。又、箱根町に通ずる路もある。これを俗に太閤道と言っている。小田原から南、早川を渡って熱海街道を行くと、三十丁あたりで石橋山に至る。ここは治承四年によりともが大庭景親と戦って、僅かに身を免れたというところである。登路十二丁、風色は極めていい。