大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「岡山」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<岡山>
神戸を後にして明石に至る間、汽車は青松白沙の間を縫って走る、優艶明媚飽くを知らない。姫路から南の方飾磨に、来たの方和田山に至る播但線がある。本線は姫路城の白壁を後にして、右に増位山、広峰山、書写山を仰ぎつつ進み、揖保川を渡る。有り年からは線路は弓のように迂回し、備後三郎が義挙に名高い舟坂山の長隧道を過ぎて岡山に向かう。
岡山からは南宇野に至って四国線との連絡を為す宇野線に対する。本線は更に西して笠岡に至り、再び海に接し、須磨明石以来久しく平凡な山野に厭きた旅客に、思わず目を拭わせる。深碧な海波に長く横たわるのは神島で、片島の青螺は之に連なり、更にはるかに蓑島を隔てて沼隈半島と相対する所などは風光の美正に一戸の勝書である。
岡山は西大寺皮の下流に跨り、岡山平野に位置を占め中国第二の大都会で池田氏の旧城址である。紡績綿、花筵等を生産する。鉄道はここから分かれて南に宇野線があり、宇野からは四国の高松への連絡船がある。僅かに一時間二十分で四国に渡られる。別に中国鉄道があり、北は津山、西は湛井に至る。白は一に烏城といい、宇喜多氏の修築せる所、天守閣は尚悠然として古の壮観を存する。
後楽園は駅から東十二町、旭川を隔てて直に岡山城と相対する。林緑の美、一寸世に稀である。土地は西南がやや高くて丘阜の状を為し、雑樹が蒼鬱として、さながら深山に入ったように感ずる。
東北は平夷で園外の風景も亦嘱目の中に入る。園中四ヶ所の池沼を掘り、渠を通じて水を旭川の上流から引き、回流して復、旭川に入る。一脈の水流、或いは瀬となり或いは瀧となり、岩を噛み苔を洗って迂曲し、以て園の風致を加える。延養亭、望湖園、茂松庵、簾池軒、流店、一亭一樹眺望各趣がある。春花秋葉夏晴冬雪、四時の光景一としてよくないものはない。
快楽延は東山公園ともいい、操山にある。遥かに児島湾を望み、風光がいい。市内に岡山寺、蓮昌寺、国清寺の大刹がある。黒住教の宗忠神社は西南約一里にあり社殿は甚だ壮麗である。