大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「広島及び附近」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<広島及び附近>
広島は太田川の作る三角州上にあり、背後に広島平野を控え、南は直ぐに海に臨み、宇品港を以て其の埠頭としている。元浅野氏の城址で、人口約15万を有し、中国第一、本邦屈指の都会である。
太田川は市内に入り、四派に岐れて貫流するから宛然水の都といわれる。広島城は駅の西半里、毛利輝元の創築する所で、尚、天守閣は存する。第五師団の栄城となっている。二十七八年の役に、明治大帝が親から征駕を広島に駐め、城中を以て大本営とし、軍国の事を統べ給う。我軍大捷武威八表に揚る。此の地は実に国史の上に不朽の名を得たのである。三十三年の北清事変、または三十七八年戦役に際しても亦策現地であった。
駅の西北八町に、樹木の鬱繁した給料は二葉山で今公園となっている。旧藩祖、長政を祀る饒津神社がある。浅野侯の縮景園は西六町、一に泉邸と云い、泉石花卉の勝が世に聞こえている。
比治山公園は西南十町、市の東辺に横たわる丘陵で、園内に日清の役に際し、臨時広島帝國議会議事堂内に在った記念御便殿を移して、御真影及び当時の御物を奉置している。江波公園は西南一里、市の西南端に斗出せる小丘で望海の勝である、。附近に牡蠣を産する。仏護寺は西一里、市内第一の大刹で今本派本願寺別院となっている。其の他、国泰寺、誓願寺、不動院等の名刹が多い。