大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「横濱」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<横浜>
横浜は東京湾の西浜にあった、旧時僅かに百戸に満たない一、小漁村であったが、安静年間開港場と定められてから漸く五十年、今では我国第一の貿易港、第四位の都会として船舶の林立せる百貨の輻輳せる他に比を見ない。人口三十九万四千人、居留外国人六千余人、船舶出入約三百五十万噸、貿易額無慮四億円に上り、全国総額の三割九分を占めている。時勢推移の方実に恐るべきものがある。
野毛は駅より十丁、今は伊勢山と呼ぶ、丘上に大神宮がある。旅客は先ずこれに登って一眸の下に市の光景を指点することができる。南山の手丘陵と野毛山の低地とは、市の瓦甍の櫛比する所で、弓の様な港は無数の帆ショウを泊め、港門に入って来る船舶の光景は真に書のようである。
横浜公園は市の中央に在って、約十五丁、櫻樹が園を掩っている。本牧は一里、附近は殊に風景に富み、屏風浦の称がある。外人は「ミシンピー・ベイ」と呼ぶ。その絶壁の一角に十二天社があり、眺望がいい。屏風浦に沿って南に行くと、杉田の梅林に行く。東漸寺、妙法寺などがある。
杉田から丘陵の相もつれる間を行くと二里余で金沢に至る。金沢から鎌倉へは二里、横須賀へは三里である。金沢は古来、八景の名が喧しかったが、瀬戸入の湖沼はこの頃大半稲田と変じた為、風光の美を殺いだ。能見堂、九覧亭、称名寺等佳景の地を占めている。称名寺内には、戦国時代の本邦文教の保存所として、歴史に異彩を放った金沢文庫がある。