有栖川宮(ありすがわのみや)は、江戸時代初期から大正時代にかけて存在した宮家です。
<有栖川宮邸>
この建物は、霞が関一丁目二番地の旧三田藩屋敷跡(現在の国会議事堂敷地南部から国会前庭南地区にかけての一帯)にありました。
1884(明治17)年に完成。設計はジョサイア・コンドル。
3年におよぶ工期と約47万円(当時)の費用をかけて建てられ、外国使節の接待施設としての機能も併せ持つ非常に豪華な建物であり、「コンドル博士遺作集」では「荘重なる復興式となし, 内部諸室の意匠も都て此方針に拠れり。本建物は蓋し皇族の御殿を純洋風に造りたる嚆矢にして, 永く後の模範となりたり」と伝えています。
邸宅には前述のコンドル設計の本館(洋館)のほか、木造の日本館があって職員の事務棟などとして使用されていました。
関東大震災にも耐えましたが、昭和20年(1945年)5月25日の東京空襲で被弾炎上し、終戦後に撤去されました。