大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「高松及び屋島」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。
<高松及び屋島>
高松は四国の大埠頭で松平氏の旧城址、海に臨んで玉藻城がある。栗林公園は南半里、元松平氏の遊息所で、林泉の美夙に世に聞こえている。後に紫雲山を負い、六池水と十三山とを巧に布置し、林叢四方を巡る。長短の泉タンは縦横に相通じて、六池を結んでいる。近時大に治園の計画があり、本園の将来もまた見るべきものがあるであろう。
高松に遊ぶものは、必ず屋島に行く。ここは単にその風光の四国に冠たるばかりでなく、源平二氏の決戦地として、風光歴史を得て更に佳なるを覚える。高松から一里半で古高杉村がある。村は北一条の干潟を隔てる海島が屋島で、元暦二年二月、源義経が屋島を襲い、火を行宮に放ち、平家の軍がことごとく舟に上がって、西走した所である。屋島寺があり、殿堂壮麗長松が之を護る。什宝多く、源平合戦の古器を伝う。寺の西に一町、獅子の霊岩がある。風光賞観の位置、全島第一であろう。附近に那須与一の祈石がある。佐藤継信の碑がある。景清錣引の址がある。七百年前の史事を親しく読むことができる。五剣山は讃岐の名山で、屋島山を壇ノ浦の一曲浦を挟んで相対している。山頂は著しく削磨せられて絶壁をなし、遠くから見ると、棒状の岩柱が突起しているようで、いわゆる五剣直立の奇形である。山の半腹に千手院があり、嘱目又雄大である。駅の東約三里にあたる。