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ノスタルジック解説ブログ

大正15年、厳島(全国名所めぐりより)

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大正15年、厳島(全国名所めぐりより)

大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「厳島」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。


<厳島>
 芸州の勝、厳島は其の妙を極む。宮島液に下車すると汽車に連絡する小汽船があって、風光明媚の別天地に運び去る。島は広島湾の西南、佐伯郡の陸岸に沿って、東西三十町、南北二里半あって北偏に厳島神社がある。風光秀麗の境を占めている。其の殿閣は海に向かって、水中に基礎を建っている。今其の結構を見るに、大宮及び客神社の二大部から成って、大宮、宝殿は其の中央にあり、幣殿、拝殿、祓殿は其の間にあり、祓殿の前に高舞台、其の左右に平舞台があり、楽房がそれにつづいて左右に分かれ、門客神社は楽房と並んで左右に立っている。廊嘴は火焼前といって、更に海に七間ほど突出し、遥かに海中の大鳥居と相対して、其の一端に一大燈籠がある。宝殿の左右に廻廊があり、屈曲百八十間の長さで、一間毎に鉄灯篭を釣るし、潮が来れば波を生じ、百燈長く照映して、光彩陸離美観名状することが出来ない。有名な海中の大鳥居は、火焼前の前方七十間、軟沙の上に起つ。満潮の時は、参詣の舟白帆を揚げて潜り入る。本殿から左折して廻廊を巡ると客神社、宝殿、拝殿、幣殿、祓殿が並んでいる。社殿の広報に円形の一瑤池があり、鏡ヶ池という。月夜明鏡の裏、上娥嬌容を映す。殿閣の前方、松に沿って百八の石灯籠がある。凡そ此の神社の結構、江山自然の形勝を利用して、殿閣廊廡の排布を為す。高いところに登って俯視することができ舟を浮べて遠望することができる。

 御手洗橋を渡ると大願寺がある。更に西へ行くと大元神社があり、軽大歯公園となっている。大元浦の後ろの山に二層の宝塔があり。紅葉谷は公園である。御手洗皮ちちとして石上に奔り、岸の両辺には芙樹が多く、危橋怪岩景趣殊にいい。宮の東岡、塔岡は陶晴賢の陣を構えた所で、北方町家を隔てて毛利氏が戍兵を置いた要害鼻が見える。岡に豊公の築造した千畳敷、及び五重塔がある。要害鼻は汽船の桟橋の上方で、元就が兵をおいて陶の大兵を誘致した所である。開眼に沿って北に行くと長濱で、其の東に清浅な海面を残している。海水浴の敵地である。御山は大宮の後ろの秀霊の峯にあり登路二十八町、頂上の観望は又開けている。登路に白糸の瀧があり瀧の宮があり、夏は蛍が多い。

 島に杉浦、鷹巣浦、腰細浦、青海苔浦、山白浜、洲屋浦、御床浦の七浦がある。各浦に江比寿の祠があって「安芸の宮島まわれば七里浦は七浦七江比寿」風景の変化に富める。島巡りの興もなかなかに尽きない。巡拝は厳島神社監督の下に行われ一行三船から成り、第一船には神職、第二船には参拝者、第三船には調度を乗せ、未明に纜を御笠浜に解き、夕景綱浦に上陸する。拝所毎に茅輪の儀があり。養父崎で鳥食の式がある。極めて神異な伝説をもっている。



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