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この文章は、昭和14年に発行された「支那街の一夜」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
支那の吉原見物
ホテルへ帰ると、奉天在住の其の昔よく僕の家へ遊びに来た法学士光岡、内野の両君が訪ねて来て待っていた。夜の奉天を見せて遣ると云うので、三人は外へ出た。
「何処か面白い所が無いだろうか」
と、己れは光岡君の顔を見た。
「面白い所?そりゃ支那ですもの。ありますとも!」
と、光岡君は力を入れて返事した。
「見たいなぁー」
「ぢゃ御案内しましょうか」
「どんな所だい?」
「一体東京へ始めて上京する者は何処を第一に見物したいと云いましょうか」
「先ず吉原見物を所望するねえ」
「ぢゃ支那の吉原を一つお見せしましょうか」
「支那の吉原?」
「ウン、そりゃ後学の為だ。」
と、己れは後学にしがみ付いて光岡君に依頼した。
光岡君は其れではと云うて、徒歩で幾つかの支那街を折れた。最後に繁華な街へ来た。実に人通りの繁しい所でうっかり立っても居られなかった。光岡君は軒下に他人を避けて云うた。
「支那の遊廓には一等遊廓、二等遊廓、三等遊廓の三つがあります。われ等その何れを選ぶべきや」
「われわれは兎に角後学の為だから、全部を見ようじゃないか。一等から二等へ、二等から三等へと見ようじゃないか」
「ぢゃ左様します」
「一等は一等ですから一等高いんです。二等は二等ですから二等目に高いんです。三等は・・・」
「もう解った。まだ遠い?」
「いいえ、そこを曲がれば直ぐですよ」
と、云って光岡君は歩き出した。
己れの総身は好奇心と云う好奇心で燃えてきた。たとえ同じ亜細亜人種とは云え、支那は何処までも日本から見れば異国である。その異国にもやっぱり吉原に似た不思議な世界があるとは確かに意外であった。吉原みたいな公娼の存在する所は僅った日本にしか無いものであると思うていたのに。
ああ支那にもやっぱり女人の虐げられる悲しき場面が開かれていたのであるのか。人一倍女人を大切にすると云う支那の地にもこんな傷ましい影がひそまれて居ようとは誰れ人ぞ信じ得べき。どこの国でもやっぱり強い者の名は男であった。弱い者の名は女であった。
私は女と云う名の下に、ともすれば涙なしにいられない哀れな立場を悲しく思う。ああ公娼と云う傷ましき名勝よ。いずれの日にか現世の頁より取り除かるるものぞ。日よ早く来たれ。真に救わるるの日よ早う来たれ。人類よ総ては温かき日と光を受けよ。ああ紅灯の影に泣く間の女よ。お前たちはさぞ世を呪うているであろう。運命と諦むるには余りに悲しむべきことと、涙さえ最早涸れ尽くされてしまったであろう。さらば異国の女人よ。今私は人類の一員として静かにお身達に祈る。御身達の今日の犠牲は、いつかは男性をして深く考えさせるであろう。そのことは後世の全女性をどんなに完からしめることであろう。今日のお身達の犠牲はシテ見れば後世の全女性を救う偉大なる犠牲であらねばならぬ。そう思うて今日の運命を甘んじておくれ。そうでなければ諦めるにも諦めが附かぬであろう。
光岡君が横道へ折れたから、われわれも折れた。彼は密っと「ここが一等街ですよ」と耳打ちした。家は此処では一寸形容の出来ない一種特別の建て方であった。家ごとに、鉄道のトンネルみたいな長い玄関があった。その玄関を入って行くと、かなり広い庭があった。幾つかの部屋が其の庭に面していた。
私共は庭へ来た時には先ずドキンと胸を打った。そこには雲突く許りの大きな支那人の群れが異様の眼を輝かして、ヂロッと此方を見ているではないか。その眼の中には何者ッと云う誰何と、隙でもねらっている様な気配が漲っている様に思われた。怖るべき支那の浮浪人と云う直覚がピカッと私の頭の中を掠めた。
己れはあの雲突く許りの巨大な支那人が突然出口を遮って、逃げ道を閉ざしながら、突然飛び掛かって来たら、どうしようかと思うた。何故そんなことをしおしお思うかと云うと、支那人は微塵も油断がならぬ。金を所持していると見たら、いつ咄嗟に襲い掛かるかも知れぬ。金の前には人命をも平気で奪うことを敢えてする。そんな事を耳にたこが出来る程聴かされていたから、私は支那人と見れば、何よりも先に其の悪い刺激で彼等に対せざるを得なかった。私の何となしに躊躇している様を見て、光岡君が云うた。
「支那人は弱みを見せると、益々付け上がるから宇内を呑んでいる様な傲然たる態度で、白眼をさらしていらっしゃい。そしたら何も手出しはしませんよ」
それではと己れは俄かに嘯く様な顔をして、進んだ。
すると我々の姿を見て、所謂、牛太(こういう場所の手代のころ)よ云うものであろう。「どうぞ此方へ」と云って此の庭に面している一室へ導き入れた。
そこには卓と椅子が三~四脚あった。大きな鏡があった。寝床があった、珍しいので、己れはグルグル見廻した。支那美人の写真が壁にかかっていた。茶の道具も一握り揃うていた。
「見るもの皆珍しいねえ」
と、話し合っている所へ、一人の支那美人がヒョックリ入って来た。淡紅色の着物を着た、髪を綺麗にくしけずった眼の鮮やかにも美しい、真珠の耳飾りを持った美人であった。彼女は如何にも歩き難い風情で入って来たので期せずして私の眼は足元に灌がれた。私は恰も赤ん坊の足に均しき小さい足を彼女に見出した。どうして支那の女は足を小さくするんだろう。私は何日か其れを誰かに訊いた。すると其の人が答えた。支那人ほど嫉妬心の深い者は何処にもありゃしない。彼等は一歩でも女人が家の外へ出ることを好まなかった。そこで其れを妨ぐるには足の自由を取り上げてしまうに如くは無かった。そこで足の小さい者ほど貞操が正しい、何故ならば一歩も外へ出ぬからと、誰かが云い出した。それが漸次拡がった。それが嵩じて、遂には我こそは貞操の正しき者なれと云わん許りに、足を小さくすることが流行った。それが何時しか全支那を動かし、現世までも其の遺風が伝わったものだと云う。
も一つ理由がある。それは足を大きくすると従って一歩一歩の歩く小幅が大きくなる。小幅が大きくなれば(以下著者は説明することを憚る)云はば、男は自分の都合のいい様に女性の身体の自由を奪われているんだ。
その為に支那夫人の足は無理にも縮められているんだと云う。こうなればまるで支那の女は男の〇〇の〇〇みたいな者だ。支那人は其れ程までして、女人を〇〇の犠牲にしているんだ。こうなると参政権を與えられぬなどと云う日本婦人の方が、どんなに幸せな身分かも知れない。私は今彼女の足を見た序だから、足のことに就いて一寸説明した。話は戻る。
その美人と光岡君とが顔を見合わすと、急に二人は笑みを交わしてニコニコ物語った。
「何を話したんだい?」
と、己れは訊いた。
「その後少っともいらっしゃいませんのねぇ。私あなたの事を想うていたのよと、女が云うてくれたんですよ」
「オヤッ、君は此の女を知っているのかい?」
と、己れは驚いて訊いた。
「知っているどころか、私の深い馴染みですよ」
アレー助けてくれッ。
「そ、そ、そうかい?」
と、飛び上がって驚くと、
「どうです。美人でしょう。日東男子の選択した一品ですもの」
と、飛んだ所で、日東男子が飛び出した。
「君も隅に置けないねぇ」
「左様ですか。可哀想だとお思いでしたら、いいお嫁さんをお世話して下さい」
と、又しても飛んだ所で、嫁の世話を頼まれてしまった。
光岡君と其の美人とが手を執らんばかりに密やかに物語る様つたらなかった。最初の間は支那美人のすることだと珍しがって見ていたが、遂にはすっかり当てられて、首筋が痛くなってしまった。「もう助けてくれ」と、お仕舞には愁訴してしまった。
「それでは貴方々の為の美人を見せましょうか」
「外のを見られるのかい?」
「見られますとも」
と、云うが早いか、その支那美人に何か云うた。すると其の美人は立ち上がって、スウと此の部屋から失せたかと思うと、先刻の牛太を連れ伴って来た。その牛太に光岡君は何やら云うた。すると其の牛太は此の部屋の入口に立って、天地も裂ける大音声で、異様に喚き立てた。私は光岡君に「彼は今何を云うたんだ」と訊いた。すると「御客様だから、皆の者集まれッ」と、号令を掛けているんだと云う。ホッと頷いていると間もなく此の家にいる十数名と云う女人が入り交わり入って来た。その時早くも光岡君は我々に注意した。
「気に入ったのがあったら云うて下さい」
女共は、一歩部屋へ足を踏み入れて、ヌッと顔を見せるが早いか、スウと又消えた。あとから後へと、新しい顔が出ては又消えて行く。「オヤ之は一寸美しい」「こりゃ何だ」「ホッ、こんな小さい児が」などと、日本語で批評しているうちに、いつしか誰も部屋へ入らなくなってしまった。
「お気に入ったのが、いましたか」
と、此の部屋の女は光岡君に訊き、光岡君は又我々に訊いた。僕は「もっと美人が来るだろう、もっとこれ以上のが来るだろう」と、選択しすぎていたら、いつか皆を見失ってしまった。あれだけで総てと知ったら、もう一度見直さねば解らない。と、云い出した。内野君も「僕も左様だ、すまないが、もう一度招集して欲しい」と云うた。
光岡君は一寸困ったらしかった。然し折角の希望だからと、牛太に再び頼んだ。牛太は少しく苦笑して又、大声張り上げた。今しがた来たばかりの女連中は又もや入って来た。そして中には二度までも招集したのが、気に入らなさにプンとふくれたのもいた。私はどうも自分が「之は」と思うのを発見することが出来なかった。光岡君が時々「今のは?」と云うて注意してくれたけど、私は何だか逡巡した。とうとうまたみんな行ってしまった。
「どれがお気に入りましたか?」
と、光岡君は私の顔を見た。
「どれを見たって、この部屋の所謂君の分が一番いい。だから之に優るのがと頑張ったがどうしても見いだせなかった。仕方がないから、己れは諦める。やっぱり君は眼が高い」
と云うた。すると光岡君は俄かに涼しい顔をして快い笑みを見せながら、今更の様に彼女の顔を見入った。
「僕は気に入ったのが一人いた」
と、内野君が云うた。
「ホウ何番目?」
「さぁ南蛮メダカ忘れたが、兎に角気に入ったおがいた」
と、掴みどこもない返事をする。
「それぢゃ困る。どんな女でしたか」
「確か青磁色の着物を着ていたと思うが」
「青磁色の?」
と、云いつつ光岡君は女に云うた。
「それぢゃ麗花さんに違いない。一寸お待ちなさい」と、云いながら、彼女は外へ出て行った。そして牛太に何かを云うて来た。間もなく青磁色の女が入って来た。
「違う、これぢゃない」
と、内野君は其の顔を見て首を振った。それぢゃと又呼んだ。それも違っていた。
「では外にいません」
と、女は云うた。
女は困ったらしい顔をした。そしてとうとうこう白状した。
「多分、此方のお望みの方と云うのは陽香さんだろうと思います。私あの方と目下喧嘩しているのです。だからあの人をこの部屋へ呼ぶことだけどうかお許しください」
「何だそんな訳なのかい。道理で怪しいと思うたよ。ぢゃどんな女でも君の仲のいいのを呼んで見い」
と、云うた。すると女は「左様」と云うて喜びながら急いで出て行ったかと思うと、一人の女を連れて入って来た。それは先刻見たうちの中での一番醜い女であった。
「ひどいのを連れて来たなぁ」
と、内野君は眼を剥いて驚きあがった。そして、
「まぁ、どんな奴でも来い。どうせわれっわれは三人が三人揃うて気に入ったのがあった時はお揃いで泊まってゆく筈だったけど、既に此の内の一人が気に入ったのを見出せなかったから、どうせ泊まってゆく意志は無い。遊ぶだけなら、どんな女でも来い」
と、急に力んだ。そして例の茶と西瓜の種で、喰ったり飲んだりした。
私は先刻見た多くの女を見て少なからず此の時の驚きの沈黙を続けていた。一番年齢がいっているのが十七~八で、大抵は十五~六、中には十三~四位のが居たことだ。美しいと云うよりも可愛いと云う気がした。女と云うよりも全然子供であった。
全く其れは余りにも子供であった。こう云う子供があの野獣の様な荒くれた支那人等の〇〇の為に蹂躙されるのかと思うと、悲惨と云うよりも、怖ろしいことだと思うた。何と云うむごたらしいことだろう。先刻顔を見せた中に、小さい人形を抱いていたのがいた。弾き玉を手にしていたのがいた。かれ等は今遊戯に面白い真っ盛りなのだ。お悪戯をしてみたい真っ盛りなのだ。それをこうした牢獄にも優る苦悩の世界にあって、朝に客を送り、夕べに客を迎えているんだ。
ああ人道と云う偉大なる力も、博愛と云う慈悲ある情けも、彼女等の上には恵まれないものであろうか。
「私に歌をうたわせて下さい」
と、光岡の愛寵君が、光岡君に云うた。
「そりゃ面白い、聴こう」
と、我々は直ぐ賛成した。
すると彼女は又部屋を出て行った。そして一人の男を引っ張って来た。男は手に胡弓を持っていた。我々の姿を見ると男は一揖して後、腰掛に腰を下ろし、胡弓を膝に構えて、かき鳴らし始めた。すると其の側に立って愛寵君が其の調子に連れて、何やら高声に歌い出した。楽器も又声もこの部屋には相応しからぬ高調であったけど、どこかに悲痛を帯びていた。
彼女は一つ歌い終わってから、今度は何を歌いましょうと訊いた。何とは何だいと訊くと、それではと云うて何やら細長い形の物を持って来た。拡げて見ると、大きな字で次から次へと感じが認められてあった。まるでお習字の手本みたいだ。見たってとても解らなかった。赤壁乃ぶと書いたのがあったら之を歌ってくれと云うんであったけど、其の幾つもの本の中には生憎「赤壁のぶ」と書いたのが一冊もなかった。仕方がないから「どれでも好きなのを歌え」と云うた。そうすると女は「それでは」と、胡弓男に何かを云うた。そして又キイキイと声を張り上げた。
その声は決して褒めた声では無かった。味噌養声であった。それが済むと「今度は何にしましょうか」と云うた時、己れは「もう止めてくれ。耳がガンガンするから」と、光岡君に伝えた。光岡君は耳がガンガンするからと伝えたかどうかは知らぬけど、兎に角止めさせた。
そしたら今度は醜い女がのさばり出て「私にも一つ歌わせてくれ」と云うた。一方だけ歌わして、一方を止めては、さぞ其の女は気まずい思いがするだろうと思うて、それでは歌えと云うた。すると其の女は胡弓男に何かを命じた。男はグイと締め上げて調子を調べながら、又弾き出した。女は歌うた。
その声は実にいい声であった。心の中へしみ込んで行く様ないい声であった。成程この女は顔は醜いが、声だけ聴いていると、三千金の値打ちがすると、己れは思わず微笑した。三人は「素敵な声だ。顔に似せぬぞ」と、時々顔と顔とを見合わせながら、感に入った。
歌が終わると、今まで蔑ろにしていた其の子を、声が良かったので、急に此方へ来い此方へ来いと云い出した。女は私の価値が始めて解りましたかと云うた様な顔をして、招かれるがままに後方に座り、こっちに座りした。
愛寵君が、それでは胡弓さんを帰しますから一円遣って下さいと云うた。そして私もこの子も歌ったんだから、やっぱり一円づつ下さいと云うた。
支那人の客は大抵自分の好きな女の所へ来てこうして顔をみて帰るんだと云う。そうして一週間に一遍とかひと月に一遍とかを泊まって行って、大抵はこうした遊興で、つまり自分の好きな女の傍に戯れて、満足して帰って行くのだと云う。そりゃ毎晩泊まって行きたいのが腹一杯だろうけど、それには其れに相当しただけの金を出さねばならぬ。それが一日や二日なら続くかも知れないけど、十日や廿日はとても続かぬ。況や金に執心の強い彼等には堪え得る所ではなかった。さりとて又好きな女の顔を見ない訳には行かなかった。そこで支那では単に顔見せ料として都合三円持って行けばいいことになる。一円はその部屋の茶代、二円は歌代及び胡弓代であった。唄を歌わさないでも済むけど、それではこの家に雇うてある胡弓男や又家へ対する義理もあるから、どうしても左様して歌はさないと気に入らぬらしい。と光岡君は通ぶって云うた。我々三人は何かとなしに女二人を挟んで戯れていた。
すると突然、ガチャンガチャンと鞘の音と、荒い靴音がしたかと思うと、ドカドカと支那の軍人が将校引率の下に入って来て、ギョロギョロ僕等の居る部屋へ首を突き入れて、ヂロリ、ヂロリと見て、頻りに牛太と何やら小声で交わした。
何の為に突然に軍人が入って来たんだろう。而も彼等は戒厳令が布かれた時の様に銃剣の装いだ。ピカピカと剣は銃の先に光っているではないか。恰も一突きに突き殺せる準備ではないか。
己れはギョッとした。不審者と思うたら容赦もなく突き付けて来るんでは無いかと、ハラハラした。日本人と云うものに敵意があって日本人が居ると云うので、急いで遣って来たのではあるまいか。或いは左様でないとしても、日本人がいたと知ったら、急に敵意を持って、これ幸いと歓声を上げて突いて来るかも知れない。
それとも全く馬賊の逃亡でも探す為に、不意の襲来に用意する為にああして付け剣で突然入って来たものであるまいか。
私は其の訳がはっきり解るまで気が気ではなかった。牛太が云うた言葉はどういうことであったか知らぬけど、兵士等は直ぐ其の部屋の前からは失せた。そして今度は隣や向こうの部屋へを覗きに入ったらしい。やがて又我々のいる部屋の前をウロウロしたり、煙草を呑んだり、急に出て行かなかった。剰えこの部屋から愛寵君が出て行って、鳥の兵士の背中を叩いたら、兵士はニッと笑って振り向くが早いか其の手を掴んでグイと引いた。放そうとする。放すまいとする。女は一方の手を捉われたので、片方の手でピシピシ兵士の手を叩くと、兵士は慌てて放して、カラカラと笑った。ふざけているのである。
中には又兵士の後から飛び上がった女もいる。煙草を一本遣った女もいる。女を腕に抱えてニッコリした兵士もいた。
再び入って来た愛寵君に「どうして兵士が来たんだい?」と訊くと、毎晩の様にああして来るのよと云う。「何用あって来るんだい?」と又重ねて訊くと、「私共とふざけるのが面白いので来るんでしょう」と云う。
な、な、あんだあーい。とんだ膽つぶしをさせやがる。己れの怖ろしく緊張して警戒した顔の筋肉は、こう訊くと共に、急にグナリと伸びてしまった。それからは兵士が覗けば却ってこれ見よがしに振舞って見せた。
己れは遊廓へ来て、女と戯れて眼を細うしている図は流石に支那式だわいと思うた。将校も兵士もあったもんじゃない。
彼等はしばらく遊んでいたが、やがてまた出て行った。其の後から女連はキャッキャッと戯れ追うた。こうした場面を又隣へ行っても繰り返すのであろう。成程支那は珍しい事を見せてくれる。
かなりの時間を異国情調に費やして、われわれは其処を出た。
「三人が三人共気に入ったのが、揃っている所がないだろうか。若しそんな所があれば泊まるんだに」
こう云うて又次の家から順々に見て行った。二人が気に入ったのを見付けても、一人は見出すことが出来なかった。一人が見出しても二人は見い出せなかった。一軒の家で三人のそれぞれの嗜好に応じた美人を見出すことは、困難であった。それでは共同動作に支障があった。こういうこともあった。それは一人の美人を或る家で見出して「僕は彼女だ」「イヤ僕も彼女だ」「僕も」も、三人が三人まで一人に集中した程の美人がいた。抜け駆けの功名は許されぬので、残念無念で引き上げる。
一等街から二等街へ来ると、建物から装飾から女の種類まで、すべて落ちていた。三等街へ来ると、それが更に甚だしい。己れはこんな一等二等三等をアカラサマ見たことが無かった。
一等を見ると寧ろ美観と云う気分に打たれるが、二等になると聊か頽廃の色を感じ、三等へ来ると悲惨を越して凄惨の気に打たれる。三等は女も建物も空気も、来る客も皆濁っていた。底気味の悪い気配が充満している。二度と足を入れる勇気がどうしても出ない。支那人でも労働者以外は近づかないんだろう。そんな所こそ物騒とは云わんであろう。
三人は宝の山に入りながら、遂に手を空しうして帰らざるを得なかった。