この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
(一)伊香保温泉
(12)修学旅行としての伊香保
伊香保が修学旅行地として最適地であることは、特に記さなければならない。東京からでも、僅か一泊で、榛名の奥まで探ることが出来る。上野駅を一番で立てば、十時半には着く。旅館は何百人でも収容できるし、殊に旅行の季節たる春秋は、浴客の比較的少ない時である。近来学生の待遇法をも研究して、小学生の如きは、僅少な宿料で足るようにしてある。
伊香保の見学資料は、極めて豊富であって、これが、修学旅行地として最適の第一の要件であろう。
一、理科的資料
1.温泉の湧出
2.水力電気
3.山の植物と動物:キツツキ、アカゲラ、ルリ、セキレイ、ホトトギス、リス、ムササビ、ウサギ、キツネ、サツ。もうせんごけ、天神草、川のり、種々の蘚苔類。
二、地理的資料
標式的二重式火山・火口原・火口原湖・火口丘・外輪山・火口瀬・火山と温泉。
温泉と人生(自然と人文との関係)、人文相互のいけい的関係。
上毛の山川・関東の地形
三、歴史的資料
上州は、戦国時代所雄の争奪地で、北條、武田、上杉諸氏の戦跡が多い。榛名山の中腹箕輪城址は、俊傑武田氏の力を以てし、五年以上攻撃して尚抜け得なかった名城の跡である。
四、文学的資料
山容の秀麗は、必ずや見るもをして、天然の美と、山霊の神秘に対する情感をそそらしめずにはおくまい。
(13)遊覧の伊香保
遊覧地としての伊香保は、天下の比類が少なかろう。伊香保の面目も、これに於いて躍如たるものがある。交通は便利で、東京を土余の夕刻に立っても、その夜は心地よく、湯煙にむせぶことが出来る。土曜日曜を利用しての行楽には好適である。
交通の至便に加えて、景色がよい。之は正に日本の誇りであろう。
渋川からあの急坂を九十九折に登る電車の中から、懐手しながら外を眺めて見給え。春は落ち葉の衾を破って蕨の愛らしい拳を挙げるのを見、夏は百合が高く匂い、秋は薄に混じった萩桔梗が咲き乱れ、冬は清澄な空気の中に、雪の白根・赤城の凛とした姿を望み、又眼下には、利根の蜿蜒たる流れを眺められ、先ず美しい第一印象を與えられるのであろう。
旅館に着いて、一風呂浴びては、欄干によって、雲煙の間に、赤城・子持・小野子の色や姿を眺めると、谷から湯の香を込めた風が、湯上りの頬を快く撫でる。湯着の袂を軽く、宿を出れば、伊香保八景を始め、沢山の名所がある。
(14)伊香保八景
上の山の月・関屋の月・猿澤の月・物聞山の杜鵑・丸山のつつじ、高嶺の鹿・二ツ嶽の雲・沼の杜若、これを伊香保八景というのであるが、四季たえず趣を添えている・その他二~三を記せば、
(15)物聞山
不如帰で名高い物聞山中腹の小祠の所へ行くと、遠近の樵夫唄、砧打つ山里が偲ばれる。赤城の山裾は、右手に長く伸び、その尽き果てた所、雲煙模糊の裏に前橋がある。
(16)見晴
物聞山の頂上、東南の削ったような絶壁。展望雄大である。
(17)湯元
温泉の湧出地で、行く道の景色もよく、浴客お一日一回は必ず行く所であり。春五月、梅・櫻・躑躅の花が一時に開き、夏は涼風が木々の緑葉を吹いて暑さを忘れさせ、秋は紅葉、冬は雪に四季折々の眺めがよい。
(18)七重瀧・弁天瀧・大瀧・船尾瀧
は、伊香保の四瀧で、各々異なった趣を持っているが、皆面白い。
(19)水澤観音・中子稲荷
も見るべき名所である。
(20)御影の松
電車が通じてから、通る人も少なく、見る人さえ少なくなったが、渋川から一里上ったところ、芝中にある。明治十五年、英照皇太后行啓の折、御野立所に当てられたところに、記念のため植えられた松である。
芝中に 松のやどりに 千代かけて 残るは君が 御影なりけり
と刻まれた石碑がある。
その付近に、かくれたる学者で形世化であった吉田芝渓先生の墓がある。道の左一町程入ったところに、雑草に囲まれてあり、訪う人も稀な位であるが、心ある人は一度は訪ぬべきである。