この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
第十二 三島(伊豆)
箱根より西に山中、市山を経て三島に出づ。三島は伊豆国田方郡の町にして徳川時代諸侯参勤の衝に当たり人馬の往来多く繁栄を極めたり。
広重の図の三島大社は町の東端に鎮座し、中世以降東海道の名祠にして今官幣大社に列す。而して其の創建は何時代にあるか詳かならずと雖も、思うに延喜延長以後の事なるべし。祭神は大山祇命なりとも良い、又、事代主命なりとも称し未だ確かに定め難し。往昔源頼朝伊豆に兵を起こせし際、是に祈請し遂に彼の如き戦勝を得たるを以て爾後鎌倉武家の崇敬大いに加わり、而も其の地海道の街当たるを以て、賽者踵を接し其の名益々著れたり。
境域今尚極めて広く、楼門社殿荘厳にして誠に東海第一の大社たるを失わず。写真は広重の図と統一の箇所を撮影せるものにして社前の大鳥居、及び是を■続して建てる■々たる老杉など昔ながらの俤を伝え神威今更に厳然たるを覚ゆ。