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ノスタルジック解説ブログ

大磯 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

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大磯 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


第九 大磯(相模)

 大磯は相模国中部の海浜に臨める一小都会なり。古の餘綾郡伊■郷にして今小磯及び高麗寺村を合併して大磯町という。延喜の頃より巳に駅路と定められ大磯小磯と連称せらるるに至りしが、「源平盛衰記」「東鑑」等に其の名の多く散見するを見る。中にも建仁元年六月、源頼家、江の島参詣の途すがら此地に宿し、遊女を聚めて歌舞燕楽を催せしことあり。又かの名高き曾我兄弟が遊女処及び少将と馴染みを重ね、兄弟の討死後、二人の遊女尼となりて操を完うせしが如きは最も■く人口に■■す。

 尚又詩画西行法師が空き居rの寂びたるを見て、「心無き身にも哀れは知られけり鴫立澤の秋の夕暮」と歌いたる鴫立澤の閑境は寛永年中俳人三千風が草庵を結びし以来長く俳諧の道場たり。その海岸即ちこゆるぎの磯にて風光明媚又捨てがたきものあり。


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