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ノスタルジック解説ブログ

(1)総説【大正15年「上毛の温泉」より】

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(1)総説【大正15年「上毛の温泉」より】

この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


総説

 関東平野の何処に立っても望み得て、古来秀麗の名を恣にしている上野三山、赤城・榛名・妙義は、大平野の周囲に迫る山脈の最前線に屹立している。この奥は、西は浅間・白根から東は男体山に至る間、高峰峻嶺相連なって、北海の雲を凌いでいる。これら諸峰の水を集めて、洋々一百里、坂東太郎の名に負いて、関八州を養う大動脈となっている利根川は、上州に遡ると、県の中央に近い交通の要路渋川から、本流と吾妻川とに岐れる。吾妻川は紆余曲折、遠く浅間の麓に発し、利根の本流は延々遥か利根岳に其の源を発している。この二つの谷の圏内は、湯の国上毛の名をなさしむる大湯圏で、名あるものも十有余湯を包含し、殆ど何処を掘っても湯の湧き出る程の温泉郷である。

 此の天然の温泉郷も、交通不便のために世人に訪わるること極めて少なく、霊験卓効も一部禁郷の者の占有するところであったが、上越南線の開通は広く世に此の天恵を分かつの気運を作ったのである。

 この線の開通は、ひいては電車、自動車等の補助機関を発達せしめて、世にかくれた療養地、遊覧地等の距離を何百分の一にも短縮させ、世の杖をつかんとする人士に夥しく幸福をもたらし、わが湯の国の存在の色を濃やかならしめたのである。実に我が湯の国も、いわゆる、宝の持ち腐れにもならず、世の人も容易にこの天恵に浴することの出来る時が来たのである。

 由来わが上毛は、山水秀麗の中に、泉質良好な温泉を豊富に有しながら二~三のものの外は、土地の不便な為にその名が知られなかったのであるが、その不便を除かれた今日、尚且つ世にかくして置くは天与の恩恵に背くものと言わなければならない。一日も早く世に紹介し、一人でも多くの来浴者を得、来浴者は為に天寿を延べ、旺盛なる活力を求め得ると共に、温泉の発達により一の名湯を加え得るならば、正に天下の慶福である。

 今や温泉は療養のみのものではなく、病ある人のみのものでもない。元気旺盛な若人は、峻嶺の絶巓に山霊と黙会し、帰って温泉に浸り、山の涼気に心身を洗うて思いを練る。冬は零下三十度の寒冷に、スキーを峻坂に駆って銀粉を蹴り、春秋は快鞭一振、岩角を踊って馬に神泉を飲ませる、亦快ならずやである。実に温泉は、四季よりどりの趣があり、弱き人にも、血気縦横の若人にも、それぞれ意を満たすに十分なものがあろう。然も土曜に東都を発てば、その夜は快く湯煙にむせて翌日曜は悠々一日過ごせるのである。

 天下の士、痼疾すでに膏盲に入って薬石効なきを嘆ずる時、上毛の温泉を忘れ給う勿れ。

 閑暇余りあって脾肉の嘆に堪えざる時、上毛の山河を忘れ給う勿れ。

 療養に、避暑に、遊覧に、登山に、又スキーに、わが温泉、わが山河は十分なる満足を與であろう。


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