この文章は、昭和6年に発行された「カフェ・女給の裏おもて」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
銀座1
・カフェ街の覇王銀座
銀座はカフェの王者だ。その名誉ある歴史といい、現在所有するカフェの数といい、質と言い、断然他の盛り場を圧して東都第一位に立っている。
夕闇迫る銀座の街頭から、あの華やかなカフェのネオンサインと、その中から流れ出すジャズの音とをとり去ってしまったならば、現在の銀座風景は、その根本から塗り替えられてしまうであろう。そして、全く別種な銀座風景が出現するに違いない。
げに、銀座はカフェの王者であり、カフェは銀座の王者であり、また征服者である。
我々は、今からこのカフェ界の覇王銀座の主なカフェとバーとをめぐって見よう。同行の人士よ、我がつたなき筆とともに、愛欲の乱舞する銀座の巷に遊びたまえ。
・表通の両横綱 ライオンとタイガー
尾張町の角に、カフェライオンの出来たのは、明治四十二年頃であった。その当時にあっては、地の利を得ている東京を代表する唯一の大カフェであった。カフェとはいっても、料理が主で精養軒の経営でうまかったし、毒々しい脂粉をほどこした嫌味な女もいなかったので、常連と呼ばれる連中には、当時知名の人が多かった。カフェ・タイガーが向こう側に出現するまでは、銀座では、ここの右に出づるカフェはなかったのである。
特別に人の目を惹くような装飾ではないが、さっぱりとした家具調度は、上品な女たちのサーヴィスと相俟って、華やかではないが、あいあいたる気分を味わしていた。これは、ライオンでなければ味わえない微妙なものであった。
二階の一角に入室料四円のスペシャル・ルームがあって、よく贅沢な客はここに入室して、シャンペンをポンポンと抜いて景気のよいところを見せていた。といって、ここには生ビール一~二本の客もあった。そんな客でも女給たちは、上品なサーヴィスで気持ちよく遇した。
二十年のライオンの歴史には、幾多のロマンスが織り込まれている。氏なくして玉の輿に乗った女、一躍伯爵夫人となった女がその筆頭であろう。があるかと思えば、信じていた男から捨てられた薄幸の佳人があった。かと思えば、思う男と一緒になって、楽しい月日を暮らしている女がある。また、堂々たる店を持って、そこの女主人となっておさまり返っている女もいる。女給の生活ほど、変転の多いものがあろうか?
地震後のライオンは、それまで持っていたライオンのよさが、すっかりなくなって、常連ンお顔ぶれまでもががらりと変わった。そして最近では、すっかり昔日の面影を失って、わずかにその存在だけを忘れられずにいる。
タイガーの名が銀座街に名を現わしてから、もうかなり長い年月が経つ。ライオンがプランタンの後をうけて、銀座に君臨した位置を蹴落として、美人本位を表看板に旭日のような勢いで売り出してからかなり月日がたつ。一時タイガーは、銀座歓楽境の中心となってしまったかの観があった。
三十五~六人の女給群を赤、青、紫の三組にわけて、とりどりの色彩をおびた女を適宜に配した。クラシックな女がいるかと思えば、ウルトラ・モダン型の女がその間に混じって、燦然たる光を放っているのである。ライオンあたりからも、女給がぞくぞくと鞍替えして来た。鞍替えして来る女は、それぞれ多かれ少なかれの客を持って来る。かくて、一時タイガーの黄金時代を現出したのである。
美人とあれば、格もへちまもない。どこのカフェからでも引っ張って来たし、日本酒もあれば、支那料理もあり、春は観桜会、秋は紅葉会、冬は観雪会、曰く何、曰く何で女の衣装も華やかに揃っていたので、我々もタイガー通いをはじめたものである。
そこでタイガーは横に拡張したり、奥に引き延ばしたりして大タイガーをつくりあげた。
先年珍しく、タイガーがお客に手拭を一本づつくれた。その意匠はさすがにタイガーが出す手拭だけあって、張子の虎の絵がついていた。その下に三十六人の美女給の名が、細いのやら太いのやら、形とりどりに書き連ねてある。曰く、
千代子、かね子、初子、さだ子、浪子、すみ子、いと子、しづ子、やえ子、文子、光子、とき子、よし子、みさを、かほる、とよ子、まり子、玲子、とみ子、きみ子、小夜子、葉子、春子、秋子、なる子、たか子、まさ子、ゆき子、愛子、菊子、みよ子、けい子、玉枝、みよ子、京子。
ほかの店にくらべて、よっぽど収入があると見えて、概して一度ここへ来ると、中々やめぬ女が多い。それもその筈、さすがに銀座ピカ一だっただけに、やって来る名士の数も少なく顔や名声の手前、チップも弾んで行くのであろう。一時は、文壇のお歴々達が、毎日のようにやって来た。其の他、政治家も来れば、実業家も来る。サラリーマンも来れば富豪も来る。一時は何と思ってか、中村福助や曾我廼家五九郎たちまでが、盛んに出入りしたものである。
だが、このタイガーにも受難の日が来た。それは、当局のカフェ弾圧と、著しいバーの流行につれて、めっきりと寂れ出したのである。そして、遂に大阪カフェーの東京進出を転期としてタイガーは、はかなや、にっちもさっちも行かなくなった。
昭和五年ついに経営者はこれを投げ出し、五万円?で本郷バーの手に移ってしまった。
本郷バーの経営者はこれをぐっと押し広げて、裏の支那料理部をも合わせ、女給の数を多くして、美女百四十名とし、従来の赤、青、紫に、白、黄、緑を加えて六組とし店もすっかりモダーンな形式を採用した。これが図にあたって、タイガーは、今や往年のタイガーにまで進出せんと、着々と陣営を整えている。
現在の女給は、多く以前の女給の居座りで、それに拡張後の新しい女が加わったものである。
糸子など今でもタイガーのナムバーワンということができるであろう。彼女のモットーは明るいサーヴィスだそうである。そして、彼女はまた生粋の江戸っ子で、長唄と舞踊とには相当の自信があるという。これと並ぶものに、さだ子と京子とがある。ともにタイガーの代表的美人ということができるだろう。二人とも芸者型の女だが、さだ子には姉御のようなさわやかな気質があり、京子には諦めから来た、やさしい捨て鉢な気質がある。彼女は以前ライオンにいたが、故原敬氏の養嗣子貢氏など、いたく彼女を愛していたし、タイガーに移ってからは、もっぱら三上於菟吉に愛されていた。
新しく入って来る女の中にも美人が少なくない。しかも、頭株から中堅まで古い女が頑張っているせいか、不思議なほど居つきが悪い。支那食堂から入って来た照子のような美人が、黄組の花形となったかと思えば、たちまちサロン春に取られてしまった。
感心なことに、タイガーの女には浮いた噂があまりない。みんな中々しっかりしていて、少々の鐘をバラ撒いたくらいでは容易に陥落しない。早い話が食堂楽を始めたH子にしても、ミッキーを始めたM子にしても、ルパンを開いたN子にしても、前にジャポンをやっていたM子にしても、最近おでん屋を始めたK子にしても中々しっかりしていた。そしてこれぞと思うパトロンを見つけて、はじめて許すというわけである。許した効果は、勿論はっきりと握っている。それは、彼女達がスタンドの向こうに立って、あっぱれ「名マダム」となって自分の店に君臨している事実が、何よりもこれを雄弁に物語っているではないか。
・新進花形「サロン春」
新進が多くて、美人女給の粒が揃っているには、何と言ってもサロン春であろう。若いし、女給にしておくには惜しいように上品でみやびやかな女が多い。その点では、銀座第一と、今の處折り紙をつけて置いても、あやまりでもあるまい。
銀座五丁目の五木田運動具店と、亀屋食料品店との横道を入ると、交詢社ビルの一階に「サロン春」と青いネオンで描かれている。その下にはパッカード、クライスラー、ビュック等等の高級車がずらりと並んでいて、開業後一年早々の新進気鋭を誇る、この店の客種のよさを、何よりも雄弁に物語っているのだ。扉を開けて入り口に佇めば、「いらっしゃいましー」と純白の上衣を着た謹厳な顔付のボーイが、慇懃に出迎え、オーヴァを脱がせ、帽子を預かる。すると、スタンドの横にずらりと並んでいる女給たちが、
「どうぞ。どうぞこちらへー」
案内にしたがって中に入る。内部装飾は、さらりとした硝子づくめで、その上に彩色絢爛たるシャンデリやが交錯している。そして、いつ行って見ても、
「あら、いらっしゃい」
スタンドの横から、愛嬌のある声で呼びかけるのは、女給頭の良江である。良江は、すらりとした容姿のしっかり者。西にカフェ・ドードーン、東にサロン春と銘打って、今をときめく、サロン春のナンバーワン、女給頭として凄い腕を振るっている強者である。いずれおとらぬ花アヤメのここの女給のうちで、美人として有名なのは、こなみ、千秋、小百合、秋子、こま子、くりくりした愛くるしさをもつ八重子などである。こなみはプロフィルの美しさをもって、知れ渡っている。おこまは、これといって取り上げて並べ上げる程、立派な道具立てではないが誰にも好かれる美人である。小百合はすらりとした鶴のような姿がまたなく上品、秋子、千秋はともに色が透き通るばかりに白く、おまけに若々しい。ここにはかつて、久米正雄の「水の影」に出た松木喬子という女がいるが、それほど目立たぬ。
黄白、赤紫、その他色彩々の電灯があやしいまでに交差する中を、紫の煙がゆらゆらと揺れている中に、人魚のような華奢な女給たちが泳ぎ回る中で、深々と身を埋まるようなボックスにかけて、春の宵を楽しむのは、決して、決して悪い気持ではない。人呼んでここを艶美の殿堂、銀座のハレムという。むべなるかな。ここの「サロン春の歌」はよくこの店の情緒をとらえている。
サロン春の為に
リキュルグラスに花片うけて どうせ飲むなら二人の胸の
燃ゆる血よりも真赤な酒を ぐっとのみましょ、一息に
春だ春だよ 銀座は春だ!
ジャズのテムポはまだまだおそい どうせ唄うなら調子も急に
咽喉が破れて死のうとままよ わっと唄いましょ声立てて
春だ春だよ 銀座は春だ!
タンゴばかりはここではおよし 同じ踊るならツーステップの
軽い足取り品よく踊ろ 飲んでうたって踊って酔って
どうせこの世は短い命 踊りゃ銀座の夜は更ける
春だ春だよ 銀座は春だ!