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ノスタルジック解説ブログ

(二)伊香保の名勝➂【大正15年「上毛の温泉」より】

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(二)伊香保の名勝➂【大正15年「上毛の温泉」より】

この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


(二)伊香保の名勝➂

(7)榛名湖
 海抜1813米、周囲一里二町、火口原湖である。水深は南方は遠浅であるが、他は三~四米から七~八米である。水は藍色で清澄、透明度は六米である。

 例年十一月ごろから結氷して、翌年三月解氷する。氷層は厚い所が一尺四~五寸である。結氷時に夜間温度が急に降ると、表面が膨張して亀裂を生ずる。その時一種美妙な音響を発する。田中阿歌麿氏の著書「湖沼の研究」にこんなことが書いてある。

 「日は早やトップリ暮れた。湖畔の唯一の宿屋、湖畔亭縁側の向いで、日中十一度の気温であったのが、午後六時の頃には、氷点下二度に下った。午後七時には氷点下三度に下った。湖上忽ち起こる暗夜の大音楽、我等は思わず恍惚としてこの美妙なる音律に神を奪われた。

 榛名湖畔には、人家というものは、僅かに湖畔亭唯だ一軒、然も其の中に神を凝らして氷上の大音楽を聞くは、空に燦たる無数の星と我等のみである。地には即ち、周囲一里の氷の大円盤、之を譬えれば山姫が寒夜のすさびに展開の大蓄音機を仕掛けたるにも似たらんか。さなきだに四辺は森閑としている上に、凍てつく寒さに乾燥しきったる空気とて、冴えに冴えたる音色・・・。

 カランコロンは琴の音、ポンポンは鼓、ドンドンは太鼓、シャシャンは琵琶か。中には一声ドーンと大砲の響きの様なのや、ノンノンとの鳴動もある。清音、濁音、細い音、大きい音、或いはゴッチャ、続いては絶え、絶えては続く。然も、一音高くなれば、四囲の山々はすかさず一々木霊を返すのである。最も巧みなる人の子より成れるオーケストラの妙技も、此の自然が心をこめた演奏には、なかなか得及ぶまずと聞き惚れた」と。

 一度は聞いてみるのもいい、なかなか面白いものである。

 榛名湖の景色は水面が比較的広く、周囲は樹林に乏しいので、幽邃という趣は少なく、多少単純の傾きはあるが、何となく親しみ易い、平面的な感がする。にぎやかな伊香保から一足という所には、相応しい景色である。

 水は常に美しい。清冽である。いつも木の葉一つ浮かんで居ない。淋しい飽きが訪れて、木の葉は紅葉する。やがて秋風が吹き荒んで、梢はなれた落ち葉が、谷一杯に埋まっても、この湖ばかりは塵一本も浮かべていない。それには訳がある。一年、長者の姫君に多数の腰元が供をして、舟遊びの最中、湖の主に召されて、忽然として姫の姿が水底に消えた。腰元共は色を失い、狂わんばかりに泣きわめきながら求めたけれど、とうとう姫の姿を見出すことは出来なかった。長者の天にも地にもたった一人の姫君を、舟遊びのよしない事をおすすめしたばっかりにこの始末、面目なさと悲しさに、一人残らず袖を連ねて湖底に沈んだ。それが化して蟹となって、今日が日までも探し回って居るが、姫の姿は何処にもない。いじらしい蟹の一念凝って、湖面には松葉一つ浮かばないのだと、秋にふさわしい、哀れな話が残っている。

 落ち葉一つ浮かばぬ、あくまで清冽な藍色の水中に、榛名富士をはじめ周囲の山々を整然と影している湖の姿は、実に神々しい。主の為に身を捨てた腰元蟹の話、この姿に似つかわしいものである。

 百合や鈴蘭をあさるために、汗ダクダクになった体に、周囲の木々の緑の中から、湖面を渡って吹いてくる涼風を思う存分にしみこませる夏も勿論よいが、銀杏の葉の黄ばむ初秋、ネルの素肌も寒そうな頃に、紅しはじめた山々を影した深い湖を眺めながら、サラサラサラサラたえず聞こえる落ち葉と水の音を静かに聞く趣はたまらなくよい。


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