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ノスタルジック解説ブログ

温泉郷吾妻・鹿澤温泉【大正15年「上毛の温泉」より】

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温泉郷吾妻・鹿澤温泉【大正15年「上毛の温泉」より】

この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


(二)鹿澤温泉(元鹿澤、新鹿澤)

(1)傷鹿の鹿澤
 上信両国の境に立っている大浅間の、表は信州で裏は上州である。表浅間尾趣多い山麓の自然は、西洋人の軽井沢から島崎藤村の小諸あたりへかけて、随分詩や歌にも現わされ、人にも接しられて居るけれども、裏浅間の雄大、山麓の広漠たる、剛壮な大自然を知る人は少ない。表浅間の景色は如何にも女性的で、比較的変化も多いし、デリケートな所も多い。そこに捨てがたい味もあるが、如何にも世間に近い。之に反して、裏浅間は広漠としていて、小さい変化はないが、豪放で男性的である。如何にも静寂な世間に遠い感のするところに面白味がある。前者は遊ぶに適し、後者は思いを練るに適する。

 この広漠たる山麓、海抜4640尺の高原に鹿澤温泉はあるのである。古くは加澤と云ったのであるが、一年土地の狩人が小鹿を射止めた。射られた小鹿は逃げようとしたが、傷の痛手にたえず、とうとう狩人に征服されてしまったのであった。珍しい獲物にあった狩人は一時は大いに勝利の誇りを味わって見たものの、柔順な小鹿の傷になやむ様を見ては、之を殺す心にもなれず、惻隠の情がムラムラと起こって、却ってこれを愛撫して育てようと思いついたのであった。傷の治療をいろいろに苦心した揚句、フト近くのいで湯に入れて介抱することに思いついて、幾日かそれを繰り返した。すると傷は忽ちにして治った。それから鹿澤と改まったという。賤しい一猟師の動物愛護のゆかしい話の伝わる温泉である。


(2)元鹿澤と新鹿澤
 大正七年に火災に見舞われて全焼してから、一は従来通りの所に旅館を建築して復興を計り、元通りの鹿澤温泉を維持している。即ちこれが元湯で、昔ながらの鹿澤温泉であるから、本鹿澤と称している。

 一部分は嬬恋近く一里程下って旅館を建築して、元湯から湯を引いて温泉旅館を経営している。同じく鹿澤温泉と称しているから、これを新鹿澤と云っている。一口に鹿澤温泉とは云うものの、本鹿澤・新鹿澤の二温泉を云っているのである。

 元鹿澤は、小野池山・桟敷山・湯の丸山等の間にあって海抜四千六百尺余、新鹿澤は一里を隔てて下に、鍋蓋山・角欠山の間にあって海抜四千尺余、何れも土地高燥、空気は清鮮、高原味たっぷりな仙境である。


(3)泉質・旅館・効能
上信国境近くの山中にあるので、交通はあまり便利とは云えない。これが鹿澤の短所であり、長所であるのだ。景色は雄大、微塵も交えぬ清澄な空気に明るい日光、盛夏も七十五度を超ゆることなき夏知らずの涼しさを持つ絶好の避暑地であり、雪も多く、質も良く、一里以内の地に緩急宜しき理想的のスロープを数十も有する絶好のスキー地でありながら、余り人に知られず、世に出ないのは交通不便な為である。然しあく迄、俗世間に遠い仙境、静かな、ゆかしい避暑地、療養地、思いを錬るに好適な地として知る人ぞ知るのは、矢張りこれが為である。

 元鹿澤は旅館大小二軒、設備もよく収容力も相当にあり、避暑客の為にはキャンピング場、スキー客の為には、乾燥場、食堂等の設備さえある。一日自炊なら一円二十銭位、旅籠なら一円五十銭から二円位で居られる。

 交通は信州から入るのが便利である。信越線滋野駅に下車すれば三里半、田中駅に下車すれば四里である。新張まで自動車があって三十銭、新張から三里馬背によれば三円である。嬬恋から来れば四里にして新鹿澤に着き、それから尚一里上らねばならぬ。

 新鹿澤は旅館三軒、設備は相当によい。宿賃は新元大差なく、一円五十銭から二円位で居られる。

 こちらは嬬恋から行くのが便利である。軽井沢で草津電鉄に乗り換え、高山鉄道の窓から大浅間山麓の高原の風光を眺めながら嬬恋駅に来て下車、それから上田街道を四里、自動車若しくは馬で上るのである。三円位で行ける。信州上田から自動車で行くのもよい。

 田中駅、滋野駅から上って旧鹿澤に行き、その風光を味わうて新鹿澤に行ってもよし、嬬恋から新鹿澤に行き、これを味わうて旧鹿澤に行ってもよい。

 泉質は何れも同質で、無色透明の炭酸泉である。胃腸病・慢性気管支カタル・脳病・婦人病・リウマチス・神経衰弱などに特効がある。


(4)避暑地の鹿澤
 四季それぞれの趣はあるが、鹿澤の面目は、避暑地、スキー地として躍如たるものがある。

 土地は高燥、空気は清鮮、高峰周囲に樹立し、遠く奥羽の峻嶺さえ望むことが出来、風光極めて壮快、登るには、湯の丸山・角欠山・角間鍋蓋の両小野池山・籠の塔山・桟敷山等があり、「おし出し」と云う長さ二町巾一里の浅間噴火の時の珍しい大溶岩の流れもあり、一日一山一所を歩いても、一週間は倦むことはない。それに各種の珍しい高山植物はあり、夏は七十五度を超ゆることのない夏知らずの涼しさ、人里には二里余の距離を有する静かな仙境で、避暑としては絶好の地である。

 先年国民新聞で避暑地の人気投票を募集した際に、全国で五指の中に数えられた事実が編者の筆よりも確かなもので、ここ数年東都よりの避暑客、しきりに多く、軽井沢辺の賑やかさを避けて、この仙境にキュウを負うて勉強に来る学生なども可なりに多い。近くに鹿澤の真価も広く世に知られるであろう。

 殊に旧鹿澤にはキャンピング場もあり、キャンプ生活を試むる人士も年々増しつつある状況である。


(5)スキー地の鹿澤
 雪質やや北海道と等しく、十二月初旬から五月上旬迄積雪三~四尺ある。温泉地を中心として、緩急理想的のスロープが数十に余り、二千米位の高峰十有余ある。スキー練習場としても、山岳スキーを味わうにも最も好適の地である。近年斯界のそうそうたる士陸続と来たり。名声しきりに高くなって来た。スキー地としても、その真価が認められることが近き将来にあろう。


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