この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
(三)四萬温泉
(1)総説
関東の名湯そして近来しきりにその名を歌われ、伊香保草津と上毛三湯の一に数えられる。療養本位を経営のモットーとして経費極めて低廉、且つ、卓効漸く人の知る所となり、年々著しく浴客を増している。
中之条から四里、四萬川に沿うて遡る。文化村・山口・新湯・日向見の総称である。
文化村はこの温泉の入り口で、高砂館の経営にかかる旅館と貸別荘とがある。壮大なる浴場と運動場を有している。
ここより二町程にして山口がある。旅館四、建物浴室は皆清潔である。
新湯は一番繁華な所、二軒の旅館各荷千人内外の収容力を有し、設備万端整頓し、「山水の美と相俟って上毛温泉の白眉なり」と鉄道省の温泉案内に記している。
日向見は奥へ十丁余、旅館は一軒であるが、他に遜色がなく、ここに鎌倉時代よりの歴史を語る特別保護建造物の薬師堂がある。
(2)交通
上越南線渋川駅下車、若しくは高崎駅下車、電車で渋川に行く。
渋川ー中之条
電車 一時間半 八十五銭
自動車 一時間 一円二十銭
中之条ー四萬
馬車 弐時間 一円二十銭
自動車 一時間半 二円五十銭
途は宛ら絵のような景観で、日光の大谷川に沿うて歩むような気がするが、あれ程急坂ではないから、車窓からゆっくり眺めることが出来る。塩原の箒川、翠松の下を行く木曽川の感にも似て、三里も手前から人の心を引く。
(3)旅館
旅館は各数個の清潔なる浴場、蒸し風呂砂風呂等を有して、皆療養本位の経営で、経費を低廉にして滞在に便にしている。
宿泊料 一日一円五十銭から三円迄。諸道具入浴料二十銭から一円迄。食料は自弁。
貸別荘は建坪十四坪以上で、十人家族位迄住むことが出来て、皆内湯の設備がある。盛夏の候、月百円から百五十円迄。
寒湯治と称して、十一月から四月頃迄、浴客の最も少なき時期に悠々療養に来る客が可なりに増して来た。立派な室を占領し、経費は夏の三割引きで一円五十銭位で立派な生活が出来る。湯治本位の客には最も適当な時期である。
(4)泉質と効能
無色透明の鹹味をもった塩類泉で、多量のラジウムエマナチオンを含有している。入浴、内用共に特効がある。
消化器病、リウマチスを第一とし、神経痛・貧血症・習慣性便秘・婦人病等に卓効がある。これは理論上証明され、事実上確認されている所である。
(5)四萬の四季
盛夏の候でも、八十度以上には決して登らないから夏を知らぬ国で、夜も蚊帳は絶対に要らぬ。この天然に、この到れる設備は誠に絶好の避暑地と言わねばならぬ。東京からでも、早く立てばその日の中に浴槽に身を浸すことが出来る。しかしこの郷の真の景観は秋を見なければ談ずるに足らぬ。龍田姫の御手際は四萬川の両岸に特にあざやかで、霊泉の名に圧せられて紅葉の名は末世に伝わらないが、一度山峡一帯の峯に燃え、水を染める黄紅の綾羅錦繍を目にしたものは、高雄・龍田のみを称して居たのを恥ずるであろう。箱根・日光・塩原の如きにも劣らない。月には杜鵑、水には河鹿、特に山口の河鹿は天下の絶品である。
而も冬は摩耶・小倉の諸峰寒を阻んで温かく、寒湯治の妙趣、唯近隣のものにのみ独占せしむるは惜しみても余りあることである。