この文章は、大正15年に発行された「上毛の温泉」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
(四)川原湯温泉
(1)交通
中之条から吾妻川の渓流に沿うて上ること五里、川原湯の温泉がある。天下の奇勝関東耶馬渓を探らんとする風流士は、是非とも一度足を止めねばならぬ所である。
(2)泉質・効能・旅館
中之条から自動車、馬車の便がある。奇勝を探らんとの人は、原町辺から歩くのも妙である。中之条原町間自動車三十銭、中之条川原湯間一円五十銭。湯は炭酸泉で、胃病・神経痛・リウマチス・皮膚病等に特効がある。旅館は六軒あり、何れも設備・眺望よく、一泊一円五十銭から三円迄位で宿泊は出来る。
吾妻四湯の一つで、景色の点より見れば草津と並び称すべきものである。湯の町もその周囲一帯が何となく静かな地味な寂しさを感じさせる所がいい。初夏のころ、深い渓谷を一杯に満たした新緑の中から人の心の中に沁み込むような河鹿の声を聞いて物を思う味、秋そう條と云った様な気分の中で、真紅にちかい紅葉を心行く許り眺むる味は、関東耶馬渓の絶勝と共にこの温泉の捨て難いものの一つである。
(3)関東耶馬渓
旅館は何れも吾妻川の渓流に望んでいるが、この辺一帯の吾妻川の風景は実に美しい。これぞ関東耶馬渓の称ある絶景である。水彩画家丸山晩霞氏の筆に写されて、「夏の光」「麦たく夕」となって、美術愛好家の賛嘆の的となったのは実にこの渓流である。
志賀重昻先生の如きは、耶馬渓よりも吾妻川の方が優れているとして、次の様に言って居られる。
「ドコの景色がいいの、悪いのと、みだりに比較論をする連中があるが、甚だ臍茶の次第である。凡そ同一状態、同一の高さ、同一の温度、同一の季節、同一の時間、同一の天候の下に比較研究するに非ずんば、比較論は無意味である。そこで私は完全な比較研究する為に、耶馬渓に遊んだ。後二日目に吾妻川渓谷に遊んだ。
同一の月夜、同一の温度で比較研究するには最もいい状態であった。世間の連中の比較論のような無責任な根底のないものではない。
その時私は月を踏んで耶馬渓の勝を探り、それから直ぐに汽車で帰京し、その足で更に高崎から渋川に出で、吾妻川渓谷に行ったのだ。耶馬渓は道路と山国川の水面との差異が少ない。然し吾妻川は道路と川の水面の差異が多い。これが著しい相違の点である。そしてこれが両者を全然別趣味なものにして居る根底である。
殊に川原湯附近になると、道路と川の水面の差が一層甚だしくなって居る。仰げば危巌上に落来るを見、伏せば百仭の絶壁に紺青色の渓水の踊るを見ると言う所だ。この景色は耶馬渓にはない。要するに耶馬渓は仰ぎ見るのみの景色、吾妻川渓谷は仰ぎ見、且つ俯瞰すべき景色である。耶馬渓は到底吾妻川に及ばない。
それい、吾妻川は東京から一日の行楽で行ける。付近には著名な温泉も多い。吾妻川渓谷を新耶馬渓等と言うのは耶馬渓の潜上である。況や耶馬渓の美を説く者多くして、吾妻の存在をすら知らぬ者が多いのは遺憾十萬。そこで吟じて曰く、
絶壁危巌看一斉、仰望高處俯深低、当年頼■眼如豆、只説単調耶馬渓。」
これほどの絶勝を世人があまりもてはやさないのを肝を煎った矧川先生は、頼山頼がやま川をもじって耶馬渓とした故智を襲うて、吾妻(あがつま)を漢字にあてて、嗚呼、画図澗と名付けた。がこの呼び手未だ先生一人の様だ。と言って、耶馬渓よりも数等上等の景色だというのに、新耶馬渓なぞは誠に気の利かない話だ。何とかうまい方法はないものか。
川原湯から四里で草津温泉であるが、この方面も、吾妻渓谷の絶勝は、その美形を失わないのである。草津へ行くものは、往復とも同じ道によるのもつまらない話で、軽井沢から上ったら、川原湯へ下るべきだと思う。折角吾妻へ入って、この絶勝を見ずにしまっては、吾妻を見たとは言われない。