この文章は、昭和13年に発行された「観光の台北」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
台北というところ
我が帝国南進政策の基地、明朗大台北市とはどんなところか?内地に一般の人は今だに猛獣毒蛇か横行し、マラリヤ蚊が年中飛び廻る身かいなアフリカのジャングル等想像する人が少なくない。全く認識不足と云わざるを得ない。
現在の台北は猛獣毒蛇の居るのは動物園位のもので、マラリヤ蚊等も其の姿を見る事の出来ない程衛生設備が完備し、文化設備の点では全く内地の一流都市と比肩して毫も劣るとは思われない寧ろ優って居る位である。
そこで如何に我が大台北市は総ての点で所謂島都としての面目を保って居るかを充分御承知願いたい次第である。
一口に云えば
大台北市は戸数七万一千、人口三十二万余で此れを抱擁する地域は広■東西二里二十九丁、南北二里十四丁、四方里の近代設備の施された我国有数の文化都市である。
其の一は台湾の北部、台北平野の中央に位し、北方には最近国立公園として指定せられた大屯、七星の艶麗なる姿を望み、東は沃野穣々として遠く展開し、南は中央山脈の青巒連峰遥かに雲際に聳え、溶々たる淡水河の清流は南及西を廻流して居る。
中枢機関としては
台湾総督府を始めとし、郡司令部高等法院あり。経済機関としては、台湾銀行を始め、各銀行組合等の金融機関、本島重要輸出品たる米、茶の取引機関等等、又一面台北帝国大学、高等学校、各種専門学校等ありて、教育上の源泉をなし、博物館、図書館、公園、公会堂等の文化施設もまた大都市としての面目躍如たるものがある。又、近年に於いて各種工場増加し、工業都市としても着々と其の準備は進められ、名実共に各方面の中枢機関を集中して居る。
先ず感ずるものは
街路の壮麗さである。幅員八間以上の舗装道路が縦横に走り、四季は青々とした、熱帯植物の並木は一際目立ち南方都市としての魅力を遺憾なきまでに発揮して居る。殊に旧城壁を取り払い、その城跡を記念すべくつくられたる三線道路は、周囲約一里、路幅四十五米乃至八十米の「リングガーデン」をなし、道路そのものが己に、一大公園を形成して居る。斯くの如き遊歩道路を持つ市民は四時新鮮なる空気を得、保健・衛生を強調する当局の温情を身に感じ、日夜嬉々としてその職に精■して居る美しく且つ潑剌とした躍進都市の光景である。
結論として
一視同仁の有難き聖旨を体し内台融和を標語とする此の一大都市は領台以来四十有余年、市政実施依頼十有七年の短期間に斯しくも美しく実を結び、活気溢れたるところの所以は、大日本帝国の八紘一宇の理想の実現であり、この理想の現実を目の当たりに見る時に延び行く日本の姿をはっきりと認識し、皇恩の普遍さに感泣せざるを得ないのである。