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ノスタルジック解説ブログ

重罪人の娘【明治42年 「樺太探検記」より】

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重罪人の娘【明治42年 「樺太探検記」より】

この文章は、明治42年に刊行された「樺太探検記」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


重罪人の娘

可憐な麺麭売りの少女。
この汚れた風呂敷のようなものを、スポリと頭から被るのはロシアの田舎女の風習で、耳から口まではすっかり覆って、眼と鼻だけ出しているのであるが、眼がズっと奥の方に引っ込んでる代わり、高い鼻は一倍突き出ている。真っ白の大理石で造ったような綺麗な鼻は霜を含んだ風に吹かれて柿の熟れたように赤く冷え切って、頭巾の下からはみ出したフサフサとした金髪には雪がいっぱい、可憐な麺麭売りのロシア娘、是がかの恐ろしい重罪人の娘なのかしらと思うと、予の好奇心と同情は一時にむらむらと動かざるを得なかった。「温かいパン、露助パン」と呼びつつ一めぐり廻って来るのを待ち受けて、

「おい、名は何と言うんだい?」
と精一杯優しい声で尋ねると、少女もこの遠来の客をなんとなく懐かしくも思ったのか、列車の側近く寄って、予の顔をしげしげ見上げながら、

「マールチャ」
と簡単に、

「歳は?」
と重ねて尋ねると、

「幾つに見える?」
などと最早馴れ馴れしい区長で話しかけた。

「そうだね、十三位だろう」
「そんなにたくさんない。十一歳」
身体が大きい故、日本の子供の標準で行くと大抵あたらない。それから学校へ行っているかと訊くと、昔は露助学校があったが、戦争で負けて無くなってから今は皆、日本の学校に行って日本の言葉と日本の文字を習っているという。

「それぢゃ、もう日本人になってしまうのかい?」
と訊くと、

「それ知らない」
という。
蓋し、この少女にかかる質問は、おそらく無意味だったろう。今日、樺太にいるロシア人に其の祖国を思う者は無いのだ。世人の知れるが如く、露領時代にはこの樺太島(露名サハリン)は、一大監獄として使用されていたので、この寒い交通の不便な土地を開拓するには囚人を送って無理にこき使って働かせるより外にないと考え、どしどし流刑以上の重罪囚人を送った。されば、今日我が邦領に残留している者は皆、刑余の民。しからざれば罪囚と共に渡って来た家族の者で、其の過去を洗って見ればいずれも戦慄すべき罪悪!悲惨なる運命!血と涙のうちに寂しいつまらない年月を送っているのだ。国へ帰ろうと思っても金はなく、よし、また金があって遥々故郷へ帰ったところで、彼等は刑余の人として、もとの友人や隣人から、もとに変わらぬ温かい同情を以って迎えられる事のできない人間だ。

或いは其の社会的制裁は適当なる職業すらあたえないかもしれぬ。かかる事情は彼等をして遂に絶望的にその故郷を忘れしむるに至ったのであろう。日本政府で追い出しさえしなければ、この島の土と化するつもりでいる。過去の罪悪は何にもあれ、今日の彼等は同情すべき一種の亡国の民である。こう思うと、この娘が一層痛々しい。

「お父さんの名は?」

「シキンチョー・・・。しかし、今いない」

「どうしたのか?」
残念ながら、予とマールチャの会話はここで終わりを告げた。発車の笛が鳴って列車は動き出したので、

「さようならマールチャ」
やがてパン箱を左の肩から右脇へ下げた小さなロシア娘の姿が、すたすたと雪の中を帰って行くのが見えた。

汽車十一時半頃、豊原に着いて予は取りあえず北越館という宿屋に入った。豊原は本当の首府で「樺太庁」の在る地だ。予は本島の一般状況を調査するが為に約十日間この地に滞在した。



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