この文章は、明治42年に刊行された「樺太探検記」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
温かいパン
コルサコフからソロウイヨフカまでは、左は一面の氷海で、右は一帯の密林だ。樺太の森は幾千万年の昔から、未だ嘗て斧を入れた事は無く、生うるがままに繁るがままに、いささかも人の力を加えたる跡なき天然林で、十七~八間もあろうという色丹松(落葉松の一種)や蝦夷松がギッシリと隙間も無く立ち並んで半空に聳えている有様は、実に天下の壮観と言わざるを得ない。
我が領、樺太の全面積三百七十万町歩より海岸地、砂地、農地、牧地、市街地、村落及び湖沼等を合わせたる面積約五十二万五千町歩を引き去りたる三百十七万五千町歩は森林で、実に全島の七割五分は密林を以って覆われているのであるが、寒国の常として、濶葉樹は其の極少部分に止まり、大部分は針葉樹である。殊に、色丹松の如きは長い間の厳酷なつ寒気に耐えて、よく三百年の長寿を保って、其の深緑の色を誇っておらず、色丹松にしろ蝦夷松にしろ、内地の赤松とは全然違って曲がりくねっていた。電信柱を突立てたように直立し、普通枝下十間以上に及ぶのみならず、材質極めて堅牢なので、樺太では切り出したままの物を電柱に使っているが、杉材にテンパンを注入したるものに比べて遥かに防腐力に富むという松の電柱などを使っている、贅沢な土地は恐らく世界にすくなかろうて。
汽車がミツリヨフカに着くとロシア人の子供が危うげな日本語で、
「温かいパン、温かいパン」
と言って売りに来た。風呂敷の様なものをスポリと頭から被ったかわいい女の子だ。
「なんぼだ?」
と尋ねると青い大きな眼をくるくるやって、
「なんぼ?なんぼ?」
と繰り返す。さては樺太の田舎では「なんぼ」という語はあまり流行らないと見えるナと思ったので、
「パン、一ついくらだっぺえか?」
とやって自分ながらプッと噴出した。然しこの語はロシア娘に通じた。
「一つ五銭、有難う」
この小娘、なかなか如才が無い。パンは赤ん坊の頭ほどの大きさで、二重にも三重にも布で包んで箱に入れているのだが、最早冷えていた。冷えていても「温かいパン温かいパン」と言って売り歩いている。この寒い土地では「おいしいパン」というよりも「温かいパン」という方が売れ行きが良いのだ。冷えてはいたが其の味は頗る良かった。
ロシアパンを食べた者は他のパンは喰えないというのは成程、本当だと思った。豊原の人で東京へ行ってパン屋を始めると言って三~四人のロシア人を引連れて上京した者があるそうだ。探してみたまえ。