忍者ブログ

ノスタルジック解説ブログ

糞柱【明治42年 「樺太探検記」より】

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

糞柱【明治42年 「樺太探検記」より】

この文章は、明治42年に刊行された「樺太探検記」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


糞柱

 ようように上陸はしたものの、日は最早とっぷりと暮れている。サウイナパーチは小さな漁村で木賃宿が一軒あるが、もとより駿河丸から下りた二十幾名の人間を収容する事は出来ない。是非とも今夜に大泊市街まで行かなければ、夕飯と睡眠とは得られぬのだ。例の大根の菰包をはじめ、総計十一個の荷物を馬橇に積ませて、大泊まで二里強の雪道を歩いた。

道といっても山と海との間に狭く積んだ雪の上を、橇の通った跡を探して一歩一歩拾っていくので、ともすれば、氷の割れ目に足を取られようとする。鼻毛が凍ってシクシクと痛い様な痒い様な変な気持ちになるし、。睫毛は凍って眼が開かなくなるので、時々、手でこすって氷をとかしつつ行くのだ。針でも含んだと思わるる寒風は遠慮も無く、粉雪を吹きまくって頭から浴びて行く。北境に特有なる暗碧色の重々しい空に、刃の様な一片の月、青い光は骨の髄まで染み込む。

大泊で第一等の旅館だという陸奥館に着いたのは未だ七時頃だが、家々は戸を閉ざして市街はシーンとしている。二階は寒いからとて、勝手元のすぐ隣りの室に通されたが、寒い事夥しい。炉の火も火鉢の火もこの室に満ちた冷たい空気を温めるには足らぬのだ。試みに床の柱に寒暖計を懸けて置くと、接し零点下十二度を示す。これが一番暖かい室だというのだから他の寒い室の寒さが思いやられる。それでいて、壁にかけられた宿泊料表を見ると、「一等一泊四円、昼飯料二円、二等三円、昼飯一円五十銭」。寒暖計よりもこっちの方に余程驚かされた。

翌朝起きてみると、夜具の襟は真っ白に雪が積んでいた。床の隅にも天井裏にも雪が付着いている。「どうしてこんなに巧く吹雪込むんだろう」と尋ねると、宿の女主は笑って、

「吹雪ぢゃありません。樺太では座敷の中で雪が降ります」

水蒸気は悉く雪形に結晶するのだという。湯を取らせて顔を洗ったついでに頭髪を洗うと、自分の室へ帰る迄にピンと鉄針の様に凍って、栗のイガを見るようだ。今一つ驚いたのは少し汚い話だが、大便所へ行ったところ、糞壷の中に直然として太い糞柱が立っている。大抵落ちて行く位置は極まっているので、積んでは凍り、積んでは凍りして、遂に一本の柱を成すので、お尻に摩れる迄に成長すると、斧を持って行って、エイヤと叩き折るのだろうだ。樺太に珍談多しといえども、これが一番奇抜だ。


PR

コメント

プロフィール

HN:
ノスタルジック時間旅行
性別:
非公開

P R