この文章は、大正2年に刊行された「樺太移住案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
第一章 樺太の統治沿革
一 総説
樺太島の我が領有に帰してより、ここに八星霜を閲しぬ。顧みれば八か年の歳月は長しといえども、拓地植民の業たるや、この短歳月を以ってよくその功を収むべきものにあらず、しかるに樺太島の経営に至りては拓殖の業、ようやく其の緒に就かんとす。これ全くご寒の地に其の使命を齎せる官吏諸氏の熱誠職に従うの致す処なくんばあらず、今少しく項を追うて既往に遡り其の施政沿革を概述し、之が由来を尋ね、併せて現今の状況を記さん。
抑も本島最古の事蹟に至りては、史乗の徴するものもなく、之が探求に困難を感ずる処なるが、地理上の関係と近世に於ける史実によりて稽査すれば、本島の先占者は北海道より渡りたる「アイヌ」族なりとは、殆ど疑いを容れざるが如し、しかして北部樺太にありては、当時、清国領たりし山丹地方より移住したる山丹族、即ち、今のギリヤーク、オロチョン等の祖先が先占者にありしことの説なきにもあらず。
されど其の両者、いずれなるにもせよ、彼らは単に同島に移住たるというに止まり、遊牧田漁のものたるに過ぎざるのみ。故に本島最古の事蹟はこれを審らかにすること能わざるが、我が国の領土として隣国に確認せらるるに至りしは、慶安四年以降に於ける松前氏の探検施設に始まるが如し。