この文章は、大正2年に刊行された「樺太移住案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
第一章 樺太の統治沿革
三 開拓使の設置時代
明治元年六月函館に開拓使の置かるるや、権判事、岡本監輔氏、樺太事務の管掌となり、同年八月に至り岡本氏は樺太に航して事務所を開き(今の大泊)之を公議所と称したり、小実(池邊讃)、白シン(東白浦)久春内、栄濱に鎮撫を置き、画然たる行政施設を為すに至れり。同三年三月、樺太開拓使特設せられ、開拓次官黒田清隆氏、之が管掌の任に当たり須臾にして又、北海道開拓使と合併し、樺太に支庁を置き鎮撫を廃して支張所と改められたり。而して当時の経営たるや、漁場を官営として奨励の道を講じ、農工業者を移住せしめては耕耘に採鉱に開発を図り、道路を開鑿して駅伝を設け、病院を開設して庶人の衛生を保持せしむる等、大いに施設の見るべきものおおかりき。