この文章は、明治42年に刊行された「樺太探検記」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
樺太の精
ここは豊原の北越館の二階の一室だ。「トントン」と戸を叩く者がある。この夜陰に及んで何奴かした、別に訪問の約束も無かった筈だと思ったが、とにかく、「誰だ?入れ」と言うと、スーと静かに扉を開けて、ニョッキリ現れたのは白い衣を着た六尺に余る巨人。骨が太くって肉が少ないので、身体中ごつごつして、顔には愛嬌も何もない。地価後ろは栄養不良に見えて色も少し青味を帯びて野生に富んだ凄い眼はギラギラ光っている。
この怪物の突然の訪問に少なからず度肝を抜かれた予は、
「何、何者だ、貴様は?一体」
と、ややうろたえ気味で質問すると、巨人は丁寧に一揖して曰う。
「私は樺太の精です。今回、あなたがシベリア探検の余事、この厳寒を犯して特に我が樺太に立ち寄られ、その壮絶なる冬の状況を視察して、広く社会にご紹介下さろうというが如きは、そもそも本島有って以来、未曾有の事で島民一統の深く感謝する処、就いてはとてもの事に夏の状況をも御一覧を願いたいと存じて御願いに参ったわけで、既に空中飛行器の用意も出来ています故、これよりご案内致します。」
予「それはかたじけない。しかし冬でありながら、夏の模様を見る事はできまい」
精「いや、その辺はご安心下さい。春になり夏になり、そこは私の力でご便利な季節に取り替えますから」
それでは出掛けようと直ちに出発することにしたが、見ると樺太の精と称するこの男は頭に包帯を施し、手も足も一本づつ斬り取られたものと見えて、残った片手で杖を突きつつ、苦しげに歩く惨憺たる体たらく。どことなく大隈伯に似ている。驚いて、
予「どうしたんです?」と聞くと、
精「この傷ですか。これは五省地野ポーウツマウスです。いやどうも、痛い眼に逢いましたよ。こんな生まれもつかぬ不具者なって実はお恥ずかしくてお目にかかれないんです」
とにわかにしょげ返った、飛んだ事を言い出してお気の毒だったね。先ず第一に樺太の財産調べをやろう、樺太の最大財源は水産、山林、石炭の三つであるが、なかんづく、最も目覚しいのは水産であるから、其れより取り掛かる事にしようというので、折柄の星月夜を幸い、空中飛行器にヘビーをかけて、東北指して一直線に走った下は、森々たる海だ。やがて夜明け頃、さいじたる一の孤島に着いた。
精「これが彼の世界の三大オットセイ猟地として有名なるロッペン島です。ロッペンは露領時代の名で、今日は海豹島と命名されていますが、海豹はアザラシの事で、この島には不適当な名ですから、我々はやはりロッペン島と呼んでいます。
なるほど、長さ六町半、幅三十間、砂浜で縁取られた小さな岩島に、幾千と数知れぬ代償のオットセイが、あるいは天を仰いて、或いは腹這いになって寝そべり、尚、海中にも無数のオットセイが浮いたり沈んだりして遊泳している光景、世界の壮観というを妨げず。