忍者ブログ

ノスタルジック解説ブログ

藤沢 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

藤沢 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


第七 藤沢(相模)

 藤沢は相模国高座郡の首邑にて今大坂町及び大富町の二区に分たれ境川を以って相隔たる。此地に名高き遊行寺は大富町に在り時宗の総本山にして藤沢山清浄光院と称し、又の名を藤沢道場と謂う。正中二年、俣野五郎の創建に係り時宗の開祖一遍上人より四世の僧、呑海上人を以て其の買い残となり。

 爾来寺運漸く盛に遊行巡化の事跡他宗に比して長く異彩を放てる。延文年中足利尊氏寺領六万貫を寄付し又後小松天皇は遊行僧夫馬の印状を賜る。近世に至り時運漸く衰えたれども尚地域の広大、建築の壮麗優に東海の一名刹たるに恥じざる感あり。

 写真は広重の描きし場所と同一の箇所と思しき地点より遊行寺の伽藍を眺めたる光景にして今様の橋の袂に白壁の土蔵いかめしく構えられ寄席の幟の夕風にはためける有様など、今昔を対照すれば一味の感起油然として胸底に湧くを覚ゆるなり。


PR

コメント

プロフィール

HN:
ノスタルジック時間旅行
性別:
非公開

P R