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ノスタルジック解説ブログ

戸塚 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

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戸塚 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


第六 戸塚(相模)

 戸塚は相模国鎌倉郡の町にして郡の中央に位し、程ヶ谷より二里十六町、藤沢へ二里、東京日本橋より十一里九町の地点に在り、古は富塚又は土塚に作り吉田庄内の地なりしが五十三駅定めらるるに及び程ヶ谷、藤沢間の駅次となれり。

 広重の図は今の東海道線戸塚停車場より東へ七~八町隔たれる個所より描けるものにして、橋畔に見る来屋は写真に於けるが如く現存し依然として米屋を営めり。尤も広重の当時には此の米屋掛茶屋をも併せ営みしが、今は鉄道開通して街道を辿る旅客減じたりがゆえ、掛茶屋は廃業したるなり。

 而して当家には現に八十余歳の老媼ありて広重当時の駅の有様を尚克く記憶し其の物語るを聞かば徐に懐古の情切なるを覚ゆるものあり。因みに図の石灯篭は今、近在の寺院に移され、「こめや」の看板は此家に保存せらるという。


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