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ノスタルジック解説ブログ

神奈川 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

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神奈川 東海道説明文【大正7年「広重五拾三次現場写真対照」より】

この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


第四 神奈川(武蔵)

 神奈川は武蔵国横浜市神奈川町の地、即ち是なり。神奈川は古書に■野川にも作り、本は細流の名なりしが転じて地名となり、現今は瀧の川と称え町を貫きて海に注げり。徳川氏の時、此の地は海道の一安駅となり、安政五年始めて神奈川奉行を置きしが維新の際、廃せられたり。

 広重の図は今の神奈川停車場の後方一帯の丘陵に向い緩やかなる傾斜を作りて続きたる台の町の料亭軒を並ぶる光景を描きしものにして、当時は街路の背後まで浪打ち寄せて海の眺め一しおなりしが、明治初年、横浜の富豪、高島嘉右衛門翁、始めて鉄道の敷設を請け負い、神奈川湾を埋め立て市街地を布きて高島町と名付けたるを以って、台の町の眺めは全く一変したり。即ち写真に見る街■は広重の図の海の一部、又右上は台の町にして、此の辺り今も尚、割烹店軒を並べ僅かに往時の俤を存したり。


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