この文章は、大正7年に発行された「広重五拾三次現場写真対照」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
第三 川崎(武蔵)
川崎は古の河崎荘にして東海道の第二駅。今の武蔵国橘樹郡川崎町、即ち是なり。此地古来有名なる川崎大師の大伽藍を有し附近の地、為に頗る賑えり。
広重の図は六郷渡船場の光景にして、六郷は今の同国荏原郡六郷村の地を称し、其の渡しは同村大字八幡塚より多摩川を挟んで対岸川崎駅に至るものにして、今は此の場所に堅牢なる木橋を架し、又別に東海道線及び京浜電車線の鉄橋を設けたれども、夏季豪雨出水に際して奔流往々橋脚を浸し汽車電車の運転を中止せしむることあり。
写真は往年の渡船場跡より国道筋の六郷橋及び川崎町の外廓を眺めたる光景なり。因みに史を繙けば永禄十二年、甲斐の駿将、武田信玄武州の地に討ち入りし時、北條家の臣、行方弾正、当時の六郷橋を焼き落とし以て武田勢の侵撃を阻止したりとあり。上流矢口の渡、又、新田義興戦没の地として其の名史上に聞ゆ。