忍者ブログ

ノスタルジック解説ブログ

カフェの巻【昭和6年「カフェ・女給の裏おもて」より】

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

カフェの巻【昭和6年「カフェ・女給の裏おもて」より】

この文章は、昭和6年に発行された「カフェ・女給の裏おもて」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


カフェの巻

・日本カフェの特殊性


 最近の新聞の三面記事を注意して見ると、何かしらカフェに関するニュースが載っている。金につまって、盗人をしたという記事には、しばしば女給に入れ上げてと付け加えてある。十年前の新聞ならば、女給に入れ上げてと書く代わりに、娼妓にとか、芸妓にとか報じてあるであろう。今や、カフェの時代であり、女給の時代である。どんな伝統主義者でも、待合趣味の男でも、世をあげてのカフェ時代であることは否まないであろう。この新時代的な、安価で、明るい享楽機関はあらゆる日本の伝統が生んだ享楽機関を足下に踏みにじって、帝王のような勢を示している。

 そうだ!カフェこそは、日本の封建制度が生み出した、料理屋制度や遊廓制度の破壊者として、勇ましく登場した時代の寵児なのだ。

 それと同時に女給は公娼や、私娼や、芸妓の不自由な拘束生活に対して立った、自由でのびのびとした新時代の女王だ。

 普通は公娼に対して、私娼は自由なものとしてあげられる。しかし、公娼と同じように私娼の背には多くの場合、楼主から借りた金がくっついている。客にとっては、私娼のように面倒でないけれども、彼女等の意志は楼主に束縛されている。それに比ぶれば、カフェの女給は自由だ。春を売ろうと売るまいろ本人次第だし、働いている店だって変えたければいつだって変えられる。どこへ流れて行こうと咎めるものもなければ、文句を言うものもない。女給が現代人に重宝がられる所以は、彼女等の自由性にある。現代におけるカフェ氾濫の最も大きい理由の一は、この自由で、明るい女給の存在に起因するのだ。

 まことに日本のカフェから、女給をひいてしまったら、何も残らぬ。普通、西洋のカフェには女給はいない。たいてい男のサーヴィスである。よしんば女給がいたとしても、エロ抜きの至極事務的なものだ。

 ところが、日本のカフェは違う。日本のカフェは、女給がいる。また女給がいなければカフェらしい感じがしない。例えば、資生堂不二屋等がら、これ等はいわゆるカフェと縁が遠いので本書では取り扱わない。カフェと女給、それは、切っても切られぬ縁がある。そして女給は、日本の封建制度が生み出した一連の女たち、娼妓、小料理屋女、等等の資本主義治下における代権者として、新時代的な自由人のかしづく女として登場したのである。これを換言すれば、カフェは、日本の女郎屋制度や芸妓制度の破壊者として、外国カフェの影響の下に変形して現れて来たのだ。それ故に、ここには日本的な要素と、外国的な要素とが混合されている。だから、今のカフェは過渡的なものだ。今後どしどしと変わって行くであろう。日本の現代が過渡の時代であり、今後、どしどし変わって行くであろうように。


・カフェ氾濫時代
 日に日に深刻化して行く世間の不景気に反比例して、カフェは驚くべき速度と威力をもって膨張していく。

 試みに今その驚くべきカフェの膨張ぶりを数字で表すならば、四年八月現在の調査による都下(東京)のカフェ、バーの数は、カフェ六千百八十七軒、バー千三百四十五軒である。

 だからカフェとバーに著しい区別をつけないならば、ひっくるめてカフェは七千五百三十二軒ある勘定である。そしてしかも、この数字の示された日から一年有半の今頃、六年三月では、優に一万を超えているであろう。その出来方も実にスピーディで、よくもこんなに早く同じような形式のカフェやバーが、たった一二ヶ月の間に、目まぐるしく出来上がって行くものだと感心させられるくらいである。そして又、よくもあきずに、別に珍奇というほどでもないそれ等カフェやバーに、まるで九十九里を渡り歩く鰯の群れのように出かけて行くものだと、両者に通じるところの微妙にして器用な因果作用に、更に寒心させられるのである。

 七千五百三十二軒!今もし仮にこれ等のカフェやバーを実地探求に、毎晩十軒づつ渡り歩くこととしたなら実に七百五十三日、完全に二年かかるのである。すでにその店の合計に於いてさえこの通りである。そこに働く女給の数に到っては、カフェ一万三千八百四十九人、バー千七百十人、合わせて一万五千五百五十九人という驚くべき人数を示している。カフェやバーの洪水というよりは、だから正に女給の大氾濫である。

 東京だけでさえ、この夥しい女給の数である。だから大阪をはじめ、日本全国の女給を正確に勘定したら、一体、何万になるだろうか。しかもこれ等の女給の大部分は独身者で、十八歳から二十四歳までのものたちがその八割を占めている。

 だから仮に一軒につき二人の女給がいるとして、毎晩十軒づつ渡り歩くとしたrた、毎晩二十人の女給について、少なくともその容貌の美醜を見分けることになるのである。そしてカフェ切っての美人を探し当てるまでには、この速力で行ってさえ二年一杯かかる。ああ、カフェ氾濫時代!


・カフェはよいとこ
 よしんばこそが、場末であろうと、盛り場であろうと、あのカフェの中一面に撒き拡げられたセンチメンタルな陽気さは、今では恋愛というよりも、むしろ強く人の心を惹きつける。うれしいことがある度に、悲しいことがある度に、人々はそれを思い出したり、忘れたりするために、どこかのカフェに入るのである。そして、若く、健康で、明るい女給たちのほがらかなサーヴィスと酒の味に、人生のうさを払うのである。

 だからたとえ森林のキャンプ生活を讃美してはいても、結局申し合わせたように皆んなカフェの足元に来て止まるのだ。

 長い時間をテーブルの上に肱をついて、巣の中央にいる時の蜘蛛のように、注意深くドアを開けて入って来る客を吟味している、背広の青年は、きっと、赤いお酒の一~二杯は飲める頼もしい恋人の来るのを待っているに違いあるまい。そして又、何処となく滑稽な身振りで女をからかいながら、しきりとウヰスキーを傾けているお金のありそうな禿げ頭は、きっと帰りがけに目をつけているウエイトレスをそっと呼んで、テーブルの下から紙に包んだお紙幣でも渡そうという魂胆に違いあるまい。そしてその禿げ頭をさっきから睨めつけるようにして、何か悲壮な決心をしているように見える芸術家らしい髪の長いヒョロヒョロした男は、これもきっと、禿げ頭と同じ好奇心を、同じ女の胸の上に落ち合わしているに違いあるまい。

 むせっぽい煙草の煙のなかで、陽気な顔や、嬉しそうな顔や、淋しそうな顔や、恨めしそうな顔が、いろ電気の照明を浴びながら浮き出している。

 そうかと思うとクシャミをしたような自動ピアノの前で、言葉もなく沈思にうち濡れて、ちびりちびりとカクテルを吸っている。チャールス、ロジャースに似たような青年もある。かと思えば、いい年をした老紳士が、女給群にとりまかれてやに下っている。デップリと太った中年の男がシガーを燻らせているかと思えば、婦人雑誌で活躍する分子がチビリチビリとやっている。このように夜になると蝙蝠のように、無数の人たちがつかれていたもののようにカフェやバーへ、それぞれの希望と期待を持ちながら行く。

 それらの人たちが、一見のカフェで満足するようなことがめったになくて、そこを振り出しに、また違ったカフェを一~二軒飲んで歩くところをみると、人たちは必ずしも何処の店のどの女を贔屓にしていると決めているのではなく、ただそれぞれの気持ちにしたがって、こんなに方々に女がいるのなら、まだそんなに早く細君を貰う必要がないと悟るものや、妙に泣けて来ていっそまだ一度も入ったことのないカフェで心ゆくまで孤独を味わいたくなるものや、昨夜のようにもう一遍、底抜けに酔っぱらって自分を忘れたくなる者や、店の閉まる頃、酔に紛れてもう一遍入り込んで女の顔を見たくなる者や、それからまた、健康で朗らかな若い女性を見たいものや、彼女等が発散するエロ気分に浸りたいものあ、金のあるものや、ないものや、カフェは実に、このように不思議な魅力を持っているのである。


・カフェの時代的意義
 では、このように、カフェは、現代に於いて君王のようにふんぞりかえっているが、それはすべての人にとって有難い存在なのかというに、なかなかそうではない。

 話が少し野暮くさくなって恐縮だが、地下三千尺の炭坑で働いている坑夫たちには、少なからず縁が遠い。彼等には、カフェの女給にいちゃつかれるよりも、一杯の電気ブランの方が魅力があるだろう。もちろん、カフェなどで遊ぶ金も余裕もないであろうが、よしんばたまに金を持つことがあっても、カフェ女給のエロをあさるより、端的で、より唯物的な私娼窟か、女郎屋に走るであろう。カフェ女給のエロは、直接的であるように見えて、その実、彼等にとっては、少しも直接的ではないのである。だから彼等、つまり、今のはやり言葉で言えば、プロレタリヤーにとっては、カフェというものは、あまり有り難くない存在だ。盛り場という盛り場に、ネオンサインの光まばゆいカフェがあっても、あそこの中に入ることはほとんどないであろう。彼等は、空しく、街頭で、セーラーパンツのシークボーイや、モダーン紳士が、へべれけになってカフェから泳ぎ出るのを、一種の羨情をもって見送るのみであろう。では、カフェは、一体どんな人たちによって、愛され、求められているか?カフェの時代的な意義はどんなものであろうか?だが、これに応える前に、日本におけるカフェの発達のアウトラインを、手短に述べて見よう。


・カフェ発達史
 明治二十一年四月十三日に、下谷区黒門町に、可否茶館という建物ができた。ここでは簡素ながら椅子とテーブルとを並べ、西洋料理を食わせ、コーヒーを飲ませた。しかし、これは単に欧化主義者が、欧化主義の共鳴者たちの雷同を目論んでつくったものである。ところが、この目算は、見事に外れて、間もなくこの店は閉鎖した。

 これに次ぐものが、浅草雷門前のよか楼である。今ではすっかり淋れ切ったが、そのむかしは、新聞に容色はよか楼などと五~六行の広告を出して、客を呼んだものである。洋食屋としても、カフェとしても、このよか楼は、当時第一流に属するものであった。はっきりとしたことは分からないが、なんでも日露戦争勅語のことで、当時からすでに食通をもって人に知られていた松崎天民氏だの、坂本紅蓮洞だのという連中がよく押しかけて入ったものだ。店主は、若く美しい女給を大勢置いて、四季の折々よく仮装会などやった。老優、澤村源之助の正妻に所望された女だの、法学士夫人となった女だの、さる名家の妾となった女など、ここには幾多の玉の輿に乗った女給を生んでいる。

 よか楼から少し遅れて、明治三十九年に銀座天賞堂の前に、台湾喫茶館が出来た。ウーロン茶を飲ませることを表看板とし、美人女給を数名置いて、上品なサーヴィスをさせたので、たちまちこれは評判となって、数寄ものはどしどしと集って来た。時代の尖端を行くことを任務であるかの如く心得ている文士や、閑人が、っこをのぞかなければ時代人でないかの如く心得て、押しかけて来たものである。台湾喫茶館は、よか楼がかなりレストランじみていたのに対して、純然たるカフェの体裁をかなり濃厚に具えていた。日本に於けるカフェ音ランショウをここだとする人がかなり沢山あるようだが、これにはたしかに一理がある。

 だが、本当にカフェらしいカフェというのは、明治四十四年の春三月、日吉町の国民新聞の前に出来たプランタンであろう。二尺大の黒塗りのパレットに金文字で、カフェ・プランタンと、横文字の字を並べたカンバンが表に飾られた。経営者は松尾省三。後押しには平岡権八郎、小山内薫、マネージャーには近藤栄蔵がなった。造作は古宇田実、岡田信一郎で、その下に、岸田劉生、青山熊治、岡本帰一等が働いた。プランタンと言う名は、死んだ小山内薫がつけたということだ。

 カフェというものを全然知らない人々が多いので、維持会員をつくった。その会員の顔ぶれは、作家、ジャーナリスト、役者などが主なもので、後には、横山勝太郎、広岡宇一郎などの連中もこれに加わった。

 プランタンの出来た四十四年には、八月にカフェ・ライオンが出来、鴻の巣ができた。ライオンは言わずと知れた精養軒の経営。当時すでにカフェが日本の社会に生まれ出づべき機運が、充分に熟していたと言い得るだろう。

 間もなく、浅草にアメリカができ、タイガーの出現となり、震災後、急転直下的にカフェの数は夥しく増加し、ついにカフェ、バー時代を出現するに至ったのである。


・インテリゲンチャとカフェ
 日露戦争勅語は、日本における資本主義が、ようやくその準備時代を脱して勃興の気運に向かったときである。それこそ、文字通りに旭日昇天の勢いで、まっしぐらに躍進また躍進の一路を辿り出した時代である。封建的なものは、どしどしと投げ捨てられ、機械の力と資本の力とによる新しい生産の方法が、異常な勢いをもって伸張して来たものである。

 したがって、これに付随して、インテリゲンチャがムクムクと頭をもたげ出して来た。資本家の犬として、そして優秀な文化的な技師として、インテリゲンチャは、資本主義の上昇と一緒に上昇して来たのである。

 カフェは、その愛せられた人々の顔ぶれによってわかる通り、またその時代と、その時代の経済状態とが示す通りに、インテリゲンチャの台頭の気運に乗って発達して来たのである。

 カフェといえども、またかの偉大なるカール・マルクスの学説に反抗するわけにはゆかぬ。これは、資本主義的な方法によって始めから勘定したのではなかった。それは、極めて不完全な、いわば手工業時代に見る興行のような幼稚な形態において誕生したのである。

 だが、それは、最近著しく、資本主義的となりつつある、大資本主義による大カフェが、最近いよいよ街頭に乗り出して来て、五十人、百五十人という大人数の女給を擁してあらわれ、群小カフェを圧しつつある。


・ラテン文化からアメリカ文化への転向
 大阪カフェの東京進出は、単にこれを大阪文化の、東京文化への挑戦だと、解釈するわけには行かぬ。

 大阪は東京と、カフェ誕生の事情をかなりことにしている。日本のカフェに一つの特殊性があり、東京のカフェに一つの特殊性があるように、大阪のカフェには、大阪のカフェの特殊性がある。大阪でカフェが生まれたのは、東京で生まれたのよりももっと遅れていて、東京で発生した当時の様に、一部好事家の愛玩的要素を、多分に持った様なものではなかった。金を儲けるための、純然たる営業だったのだ。

 したがって、大阪のカフェの経営法は合理的であり、いかにすればより多く金が儲かるかにあり、要するに、資本主義的なのだ。大阪カフェの東京への進出は、明らかに、東京カフェをして、資本主義化させる一つのエレメントなのだ。これから、ますます東京のカフェは資本主義化して行くであろう。

 この現象を、言い換えて見れば、東京カフェのアメリカ化だ。東京のカフェはプランタンの名が示すように、フランス好みのカフェであった。ラテン文化の華としてのカフェに、模して誕生したものであった。東京カフェの中心街たる銀座は、もとラテン的な色彩の濃厚な街だ。ラテン文化、特にフランスの影響をかなり強く受けている。

 しかし、今の銀座は?今の銀座はそうではない。今の銀座はアメリカ化された銀座だ。資本主義帝国日本は、もはやラテン文化をさほどに強く受け入れる必要はない。だが、世界資本主義諸国家の、帝王のような位置に位しているアメリカの影響をこそ、受けなければならないのだ。

 かくて、日本の、カフェは、アメリカ化されたカフェへと、進展して行く。


・ああ、エロとグロ!
 今や、日本の資本主義は、第三期の金融資本主義の時代へまでも進展している。従って、いつに日に××が起ころうやも知れぬ。資本家の走狗となっているインテリゲンチャには、明日の日への希望はない。明日の日にはヤミのみがある。絶望のみがある。

 そこで、彼等は強い刺激を求めなければならぬ。強い刺激によって、あらゆる時代の苦しみを誤魔化して行かねばならぬ。

それにはグロだ。
ああエロとグロ!

 この二つが、彼等を癒す唯一の良薬なのだ。この良薬によって、みじめいも彼等はひしひしと押し寄せて来る時代の苦しみから逃れようと足掻く。

 カフェにエロとグロとが跳梁するのも、むべなるかなである。このエロに、いきり立って怒ったおは、丸山前警視総監である。


・弾圧もものかわ
 「いいか、片っ端からだ夏だ。ダンスホールは根絶する方針だし、カフェは食堂化してしまう下心だ。女給、ありゃ一体何んぢゃ。あんなものが白いエプロンなんかかけて、いっそ小田急で逃げましょか、なんてやっているから、親のすねかじりが勉強せずと、カフェなんかに入り浸って、自分で働いたかねでないくせに、チップなんぞを切るのぢゃ。甚だけしからん。第一学生などが・・・」

 往年、自首退治で名声を博した丸山鶴吉光頭警視総監は、こう言って、今回断然カフェの弊害を一掃する意気込みで、取締り令を発するに至った。そしてこの取締り令によって、風紀を乱す恐れのある経営者は容赦なく処分し、一方、営業許可と移転設備などに、厳重な制限を加えた。

 しかしこの取締り令は、警視庁当局の自讃によれば、決してカフェやバーを高圧的に撲滅するものでなく、色々の弊害を除いて、一般市民によって最も健全にして安静なる慰安所たらしめようとの、老婆心にもとづくものである。

 そしてこの老婆心はお客ばかりでなく、総数二万に近い女給に対しても向けられて、多年女給たちが叫んでいた出銭廃止の願いが、ようやく遂げられたのである。

 今試みに、カフェ・バー取締り要綱中の、主な項目をあげて見るならば、

一、新規営業及び移転を不許可とするものは
(イ)市街地にありては百米居ない、その他の場所では五十米居ないに同種営業所あるとき
(ロ)百米以内に学校のあるとき
(ハ)構造設備が左記に該当する時は改造を命じ若しくは不許可とすること
 (A)別室または隔壁にして風紀を乱る恐れあるとき
 (B)客用の浴室、又は舞台を設けるもの
 (C)照明著しく暗きもの。または異様にわたるもの

二、営業者には左記事項を厳守せしむること
(イ)営業時間は午後十二時限り
(ロ)客の誘引をなし、またはなさしめざること
(ハ)女給をして客を同伴外出せしめざること
(ニ)女給をして芸妓類似の行為をなさしめざること
(ホ)客の求め無き飲食物を提供し、または職権、招待券等押売をなさざること
(ヘ)女給より出銭その他名義の如何に拘らず金銭物品の徴収をせざること

 この取締り規則は、近頃カフェやバーで風紀を乱すものが非常に多くなったので、警視庁保安部が、内々銀座や新宿や上野や浅草等の、カフェやバーに就いて細密な調査を遂げ、それを材料として作り上げたものであるというが、審議のほどはもとより不明。

 東京では、堀切前市長は、窮迫せる市の財政を立て直すため、財政調査会にその計画案を内示して、市会側と歩調を一つにして創設しようと目論んだ新税の中に、カフェ税(遊興税とすれば脱税多きため、女給に課税、納税者は経営者、女給は一万五千人の見込み、一人一ヶ月三円)約三十五万円を巧みに割り込ませた。お出銭で経営主の搾取を免れた女給たちは、思いがけなく、今度は財政難の穴埋めに、三円の課税を仰せつけられた訳だ。

 大阪では、これと前後して大阪商工会議所が、カフェ取締りに関する建議案を提出した。そしてこっぴどくカフェをやっつけた。

 ところが逆に、大阪カフェ同業者は、八月二十日、場所もあろうに島之内署楼上に顔を揃えて、島之内カフェ同業組合を成立して、次のような規約草案を審議した。

一、格店で二~三人の専任風紀係を置いて警察網と連絡をとり、女給は勿論、ひどいお客には注意申し上げる事。

 一、女給は店頭や付近をうろうろ客引きをやらぬ事
 一、服装は挑発的なものを禁じ淫蕩的気分を出さぬ事
 一、未成年者は保護者または監督なしでは絶対に入れない事

 この草案にある、カフェ店内の風紀係や、未成年者の監督などという珍案は、考えて見れば随分人を食ったものである。この珍案を警察署の楼上で審議したところを見ると、大阪の同業者が如何に商工会議所の建議にあたり、泡を食ったかが分かるであろう。そして商工会議所がカフェ取締りに関する建議案を提出したに就いては、昭和日々新聞が九月一日に左のような皮肉なる特殊記事を掲載している。

 「そもそも彼等商工会議所議員どもは、近くだけによく北陽で遊んでは、お座敷の興にもあきが来ると、芸者や仲居どもを引率して、北の美人座へ乗り込んでばかばかしい金を使う。これを見たお茶屋の親父や女将が、この不景気にあの金がこっちへ落ちたら大したもんや、ことにカフェなら安う遊べるさかい、お茶屋は寂れるばかりだが、ということに意見の一致を見て、お歴々の寵妓をしてカフェ征伐の建議をせしめたものと判明。つまり震源地は北陽で、二川茂助のみを音頭取りと目さんや、とは青筋立てて力みかえったカフェ業者が苦笑しているところ。又、征伐の第一にあげられた女給君がすまし込んで、カフェで遊ぶ人がだんだん殖えまっしゃろ、と芸者はんはお茶を引く。其の中に商工会議所の偉い人のアレもあるわけやというて、自分一人ではぶっ通しでお花ももらえんさかい、ワイワイ騒ぎやはったのだすがな、と何と会議所の面々、返答はいかに」

 それから間もなく、矯風会の林歌子女史が、カフェに内通したというわけでもあるまいが、突如立って、商工会議所へ、鋭くお面と一本斬り込んだ。

 一、宴会は成るべく簡単なる西洋料理とすること
 二、日本料理にするも、芸妓は一切用いぬこと

 これに虚勢を得たのかどうか分からぬが、大阪の美人座は早速張り紙を出して、
「商工会議所のゴシップをお贈り下さる方には薄謝を呈す」
とやった。すると今度は、この美人座の果敢にして痛快なるしっぺ返しを習って、カフェというカフェが皆んな一斉に、堂々と入口へ、

告示
「大阪商工会議所議員の入場お断り」

と大書した紙片を出した。明らかにこれは議員何するものぞとの挑戦である。

 さすがに、大がかりな点で近代日本の一異観と言ってもいい、大阪のカフェだけあって、その鼻息はすさまじいものである。そしてこれを、東京のカフェに見ると、丸山総監の弾圧に早くも恐れをなして、それとも又「第一学生等が」という、総監の大喝に、早くも降参したものか、
「学生服学生帽の御方は不本意乍ら御断り申候」
という禁札を出した。東と西で大きな相違があるものだ。だがカフェは、警視庁の弾圧も道学者の反対も、商工会議所の反対をも蹴とばして、ぐんぐんとのして行く。


・カフェ競争種々相
 このように多数のカフェが、都会といわず、田舎といわず氾濫しているからには、そこには必然に、大競争の渦が巻き起こされねばならぬ。それぞれの店は、それぞれの方法によって、一人でも多く、いい客を自分の店のものにしようと、あらゆる手段を選んでいる。

 その一は宣伝だ。最近では、駅という駅にはカフェのポスターが、貼りまわされている。それには、美人女給百五十名だとか、エロサーヴィス云々だとか、その他およそ客の興味をそそりそうな言葉なら、上品であろうが、下品であろうが、そんなことにはお構いなしで書き連ねてある。日ごとの勤めで疲れ切った体を、雪崩のような人並みに揺られながら、駅の階段を泳いでいるサラリーマンの眼に、これ等のポスターがついたとき、彼等は救われた様にホっとするであろう。そして、自分の軽いポケットのことも忘れてそのカフェへと急ぐであろう。

 ピリリとした広告なら、新聞紙の広告もかなり有数である。ミハトが盛んに新聞記事広告を出してから、断然、新宿のカフェ界をリードしたし、とかく非難はあっても、銀座会館が相当な成績を上げている反面には、絶えず新聞広告を出しているという事実を、忘れてならない。サロン春、タイガー、日輪等の大カフェも少し注意深い人ならば、新聞広告を適度に利用していることに直ぐ気づくであろう。

 タイガーの女給が、新宿タイガーの女給四十名と、銀座タイガーの女給百二十名が、タイガーという映画上映にあたって、映画館に出張サーヴィスをするというニュースが報ぜられていたが、これなど宣伝としては上場の方であろう。カフェの宣伝用として映画を利用することはスピード時代に相応しくて面白いことだ。いまに市川右太衛門や、片岡千恵蔵などが、ケンゲキをやりながらトーキーで、「いざ参れ。カフェ・××でお腹はたっぷりつくって来たし、女給のサーヴィスは満喫して来た。されば、思い置くことなき体なり。いざ参れ。南蛮小鉄の切れ味見せん」などと、大見栄を切るようになるかも知れない。

 客の中に、文学者とかジャーナリストとかが来た場合には、それ等の客は下へも置かず丁寧に取り扱うことは、そして、これは実によく行われているが、効果的で軽便な方法だ。彼等はもともっと甘いのだから、ちょっと嬉しがらせを味わせて貰うと、いい気になってその店のことを書き立てるこれは。これは相当に効果ある宣伝法だ。というのは、カフェで女給でも釣ろうという男はインテリが多く、モダーン日本の一頁を聞きかじって新しがろうという類だ。諸先生のカフェ案内を一読に及んで、ワンサワンサと出かけて来る。

 マッチペーパー競争も、見逃せない競争の一つだ。新しいデザインのマッチを市場に提供する。客はまたこのマッチを持って、昨夜はここで楽しい夢を見て来たよと言わぬばかりに、友人の前でそのマッチで火をつけて煙草をくゆらす。それを見ると、友人はついその店に行きたくなる、というわけで、宣伝力百パーセントである。

 店の設備を大きくするか、小さくするかも、かなり経営者の頭を悩ますところだ。あまり大きすぎて、実力これに伴わずというのもいけないし、かといって、こじんまりとするのだけが能ではない。

 店のデザインの対する苦心とともに軽視することのできないものに、店名の競争がある。ライオンの向こうをはって、タイガーができ、タイガーの向こうをはってクロネコができ、イーグル、ギンネコ、フォックス、等等が、後から後からと出来て一時カフェーは動物名が盛んであった。

 名作の主人公、例えばミニオン、ハムレット、名勝地ナポリ、ヴェニス、ゼノヴァ、大都会、ニューヨーク、ロンドン、国名アメリカン・バー、カフェ・ロシヤ、カフェ・フランス、バー・ジャポン、花の名リラ、スズラン、リリー等等、ルパンなどという怪盗の名前があるかと思えば、サイセリヤ、ユーカリ、マンハッタン、ホッテントット、オロラ、アダム等のエキゾチシズムを当て込んだものがある。名前によって、客をよぶこれもいい考えではある。

 前にもちょっと述べたように、日本のカフェの特殊性は女給にある。女給によって客をいかに吸い寄せるかは、経営者も最も心をいためることろである。女給に就いては別に述べる。


PR

コメント

プロフィール

HN:
ノスタルジック時間旅行
性別:
非公開

P R