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都会生活の解剖【大正6年「東京の解剖」より】

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都会生活の解剖【大正6年「東京の解剖」より】

この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


三 都会生活の解剖

鬼も住めば仏も居る

 田園生活といえば、何となく其の響きが詩歌的で、朝夕天然の風光に接して、長閑に楽しそうであるが、又、或る意味に於いては、活動期間の外側にいるようで、時代思潮に遠ざかる気がする。これに反して都の生活といえば、如何にも都雅やかに聞こえるけれど、近頃都市生活という言葉は直ちに活劇を意味し、油断も隙もあったものではない。大臣も居れば乞食もいる。鬼も住めば仏もいる。善人もあれば悪人もある。電車は四通八達、自動車ブーブー砂煙を立てて走る。人は血眼になって東西に本馳し、宛としてこれ生存競争の修羅場である。それも其の筈、都会生活といえば、我が国では即ち東京の生活で、その東京は今や日本の東京より、亜細亜の東京、進んで世界の東京となりつつある。東京人は或る意味に於いて日本の代表的市民であるから、一方には非常に活動が出来る代わりに、一方には失楽がある。

 酒屋に三里、豆腐屋に一里、鶯の啼音聞ゆる山村水廓より、郡役所所在地の小都会、それより県庁所在地の中都会、次いで東京の生活と、少より大に進むに随って生活上の活動範囲は広くなる。けれども回転の中軸は常に静止すという物理上の原則の如く、東京の社会は、動中また自ずから静なる所あって、人間生活の両極端を包容している。つまり田舎の生活は単調で、東京の生活は複雑である。「東京には仕事多くして仕事なし。」とはよく人のいう所であるが、それは実際を穿った言葉である。されば一回の宴会費に一人数百円を投ずる贅沢な輩あるかと思えば、他方には相当の手腕あり、識見ある人物にして、往々生活難に追われる者がある。これは甚だ不公平のようではあるが、然しまた其処に都会生活の苦痛に伴う趣味が発見されるのである。


地獄極楽の境

 近来農村の疲弊と共に、地方人の都会に流れ込む者が年々増加して、生存競争の度がいよいよ激しくなって来た。そこで或る者は「東京ほど住みよい所はない。」と言い、又或る者は「東京ほど恐ろしい所はない。」という。この矛盾せる二個の言葉こそ、東京の真相を電波したものである。一方に危険がある代わりに、一方に成功がある。薄志弱行の意気地なしには、或いは零落の淵にあるかは知れぬが、鉄石の如き意志を有する青年にとっては、立身出世の楽園である。幸運と不運の分水嶺である。地獄と極楽の境目である。男子の力量を試すべき活きた試験場である。大なる栄誉、大なる富、盛んなる事業、乗るかそるか、乾坤一滴の快挙を図るには、静的の田舎よりも、動的の都会生活で無ければならぬ。けれども斯かる立身の機会は多いだけ、又堕落の機会も極めて多い。旨く行けば非常の出世が出来る代わりに、一歩踏み誤れば忽ち堕落して、見るも哀れな境遇に陥らねばならぬ。ツマリ都会は浮き沈みの激しい優勝劣敗の戦場である。


東京表裏の解剖

 失敗して谷底へ落ちた時の苦しさは一通りではないが、再びケン土重来して勝者の地位に移る事も出来る。が少しの成功に油断をして心を弛めると、忽ち地位も財産も失うてしまう。生活もまた田舎に比べて甚だ困難であるが、やりようによっては、昨の乞食も今日の大臣となるに難くはない。要は意志の堅固なると幸運の機会を捉え得ると否とである。

 そこで地方から新たに上京して、都会生活の優勝たらんとするには、先ず「東京其の物」を知らなければならぬ。東京都は如何なる所であるか、人情風俗は勿論、物価、生活程度等を詳しく知ると共に、具に東京の表裏を研究してかからねばならぬ。田舎にいては面白くない。東京へでも行ったら、何か旨い仕事が転がっているに相違ないくらいの僥倖心を抱いて、一定の方針もなく、漠然と上京したのでは必ず失敗してしまう。

 軍人が戦争をするには、先ず敵状を偵察する必要があると同じく、花の都へ打って出て一旗揚げんとするには、あらゆる方面から観察して、解剖したる都会生活を知らなければならぬ。東京には表もあれば裏もある。前述の如く鬼も住めば仏もある。生き馬の目を抜く活社会には、如何なる潮流が潜んで、裏面の東京には如何なる事が行われつつあるか。ここに項目を分けて、初めて状況する人々の活指南たらんとするのである。愉快なる光明面と戦慄すべき暗黒面と、実に東京は活けるパノラマよ!
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