この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
第一、浅草女の変遷
一、浅草と女
今日の浅草は、東京の最も活発な心臓でもあり、日本のブルヂューアコーターでもあり、同時に世界的一大繁栄地でもあります。が、しかし、少なくとも今から百五~六十年前までは、最も寂しい、最も不活発な一寒村に過ぎませんでした。
殊に、享保以前の浅草は、色気もなければ活気もなく、只だ観音様へ参詣する善男善女が、時たま通行する位いな處で、夜分などは殆ど人影だも見えない有様でした。
處が享保年間になって、境内にも商家の建築が許され、葭賽の蔭で艶めかしい、赤い襷をかけた魔女たちが暗中飛躍をなすことさえも認められるに至って、画然旧態を脱し、急激に、しかし、徐ろに、色っぽく、あでやかに、活気づき、色彩濃厚な、そして、色気たっぷりな、民衆娯楽の中心地としての前兆を示すに至ったわけです。
もし浅草が享保年間以前の如く、女を排斥し、女の開放をしなかったならば、必ずや今日の繁昌を見ることが出来ないであろう。少なくとも今日の如き世界的大歓楽境の出現は、到底望み得られなかったに違いありません。
そこにか弱い女が、糸をしき、こびを売り、巣を食い、無味乾燥な世界を軟らかく、華やかに彩ってきたからです。
ことに今日の浅草から女をとり去ってしまったら、それは全くつまらない、だらしのない、武骨な世界になるに違いありません。少なくとも浅草繁昌の主要な要素が女である以上、これをとり去った處に、浅草の生命はない筈です。全く現在の浅草にとって、女は其の呼吸器であり、心臓であり、又、生命でもあります。
最も観音様がこの地に垂■されたことによって、既に浅草繁昌の道程は定められてはおりますが、しかし、其の裏面に於いて、偉大なる力をかしたものは、言うまでもなく女であって、しかも其のか弱い女が、如何に浅草の繁昌を助長し、促進させつつあるかは、多くの人が想像し得られないものがあります。
そこで私は、先ず浅草変遷の大略を述べ、特に女との関係、又は其のうつり変わりに就いて、以下少しく述べることにいたします。