この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
八 薄資で儲かる有利業
喉が資本の鍋焼屋
「鍋焼うどんー」の呼び声は、二上がり新内の流しに次いで、寒夜の東京を詩化する一種の声楽である。中にはあの透き通った、身に染みるような声に惚れて、食べてみようという気になる人があるそうだ。随って鍋焼は節回しの巧みに声のよいものほどよく売れる。新米のホヤホは中々あの調子が旨く出ないので、老練家が一晩に百五十玉も売る所を、五十玉も六ヶ敷いそうだ。所謂声で食わせる商売である。
うどん屋の本場は、京橋八丁堀に本所太平町附近、この二箇所だけでも冬になると、五百人からの鍋焼屋が出来る。その他市内全部を合したなら千五百人もあろうとのことだ。何しろ東京名物の一つであって、割合に儲かる際物稼業であるからだ。これらのうどん屋の中には、夏場は豆売りや甘酒屋をしていて冬になると鍋焼い化ける者も少なくないが、その大半以上は信州の北部や越後方面から、冬場だけ出稼ぎに来る若者である。雪の降る北国では秋の末から。春三月雪の消える頃まで、まったく百姓仕事が出来ない。そこで十月中旬頃から上京して、寒い季節っだけ、声を資本に儲けようというのである。
さてこの鍋焼屋を始めるに、第一に必要なのは屋台である。自前で饂飩を製造して売りに出るのは別として、受け売りする者は大抵うどんの問屋から、一ヶ月十銭位で屋台を賃借するのである。尤も自前で作るにしても、上等物で四~五円、安いのは一円以下でも出来る。その代わり、食器類は自弁で、之だけはどうしても買わねばならぬ、昔は本物の鍋焼で、温めた土鍋のまま客にすすめたものであるが、今では蓋付の小奇麗な茶碗に改められた。けれども中には土鍋でないと、なべ焼きの味がせぬ等と通がる客があるので、之は二通り備えておく必要がある。そこでザっとこれ等の器具代を見積もると、一個五銭の土鍋がに十個で一円。一個十五銭の蓋茶碗が二十個三円。うどん温めるブリキ鍋が一個十銭平均、これが十個で一円。其の他盆、箸、煮汁入れ等が五~六十銭、総計六円あれば沢山である。
鍋焼屋の資本と利益
鍋焼屋の毎日仕入れる原料の資本は、大方左の如きものであるが、之は一時に纏めて仕入れるにしても、又は毎日小買いするにしても本人の都合至大であるから、これには饂飩百五十玉を標準として、一日の平均出費高を起する事にする。
一、九十銭 饂飩百五十玉(一玉六厘の原価)
一、二十銭 醤油五合
一、十五銭 鰹節代
一、十銭 味醂一合
一、十銭 砂糖代
一、十銭 炭代
一、三十銭 蒲鉾、海苔、野菜
合計一円八十五銭
この一円八十五銭を百五十に割ると、鍋焼うどん一膳の原価、一銭二厘強である。それを一杯三銭に売るのであるから、若し右の百五十玉を裏切ったとすれば、四円五十銭の売上高、そこから原価の一円八十五銭を引き去って、一晩の純益二円十五銭。之を一ヶ月に合算すると七十五円になる。其の収入は下手は奏任官に相当するが、然しそう旨く行くものではない。照り降り商売だけに雨の降る晩は出られぬ。それに百五十玉を売るというのは、余程上得意を沢山持った鍋焼屋でなければならぬ。平均したら百玉位のものであろう。仮に百玉売るとしても、一杯の原価が一銭二厘強であるから、それでも一円八十銭程儲かる。このうち雨降りでひと月に一週間休んだとしても、四十円以上収益がある。官吏だなんて威張って、髭を引っ張っている連中よりは、遥かに楽な生活が出来る。
鍋焼うどんの盛場
鍋焼うどんを売る方法、と言っても別に六ヶ敷いことはない。誰にでも出来る商売である。夜は遅くなるから午前十時頃い起きて朝飯を済ませ、それから問屋へ饂飩の玉を買い出しに行って来て、晩の支度をすればよいのである。うどんの中へ入れる添え物としては、薄っぺらな紙の様な蒲鉾が一切れ、竹輪麩が二つ、それに三つ葉よような青いものを泳がせて海苔をフツりと浮かせる。鍋焼うどんの拵え方は唯だそれだけである。そして夜の七時頃から出かけて、「鍋焼うどんー」、その間技術もなければ秘伝もない。呼び声と節回しの好いのが彼等が身上である。
東京で一番よく売れる場所は、彼等の巣窟たる八丁堀、本所を最とし、次に両国、浜町、人形町、蛎殻町、芳町、それから浅草方面では公園付近、神田では柳原一帯。一晩に百五十玉内外でも売れる所は先ずこの辺で、山の手になると半分位と思わねばならぬ。そして鍋焼屋の書入れとも言うべきは、火事のある晩である。半鐘がヂャンヂャンと鳴り出すと、彼等はどんな遠い所でも駆け付けて行く。火事場だけに五十玉や百玉は忽ち売れてしまう。シコタマ儲けるのは火事の晩である。
客種は待合、芸者屋、白首などが第一のお得意で、之に次ぐのは職人、学生、車夫そしてどんな不景気な晩でも、彼等の純益は一円を下ることはない。金儲けの嫌いでない諸君は、生じつかの安月給取を望むよりも、須らく鍋焼屋たるべしである。
倍も儲かる飲食露店
本業は永く営むべきものであるまいが、小資本者が相当の資力を得るまでの腰掛商売として、この位好個のものは他にあるまい。現今都下で有数の某富豪の如きも、その昔は大道のおでん屋であったそうな。一生露店屋で終わろうと思うものもあるまいが、出来得る限り蓄財に努めて、相当の貯金が出来たら、直ちに他の職業に就くとしても、差し当たり割合に儲かるのはこの飲食露店である。
元来下級の生活をしているものほど、口が贅沢で食意地の張っているものである。随って飲食店は或る程度まで不景気知らずである。この飲食露店には一品六銭ないし八銭の洋食をはじめ、おでんや、鮨屋、天ぷら屋等色々ある。中にも駆け出しの素人では出来ないものもありが、要は体裁よりも味と分量とに注意すれば屹と繁盛すること受け合いである。
東京で飲食店の割合に多いのは、吉原の仲の町である、左右両側数十軒もある。中に、一番多いのはおでん屋である。夜の世界に夜の人を相手にするこの商売、あらゆる階級の人が皆この別天地に浮かれて来る。月の夕、花の旦、剣菱を引っかけて、矢大臣を極め込む輩は、おでん燗酒に腹掛けの丼を叩いてしまう。おでん屋の馴染み客は書生、職人、其の他の素見客である。夜の十一時頃から午前一時頃までが書入れ時で、黒い夜の人の影が蟻のように屋台に集まって来る。今は各楼ともバー式になったから、おでん屋は幾分その方へ客を奪われたけれど、それでも冬の寒い晩など、一番繁盛するのはおでん、かん酒である。勿論この商売は吉原に限った事はない。どこへ店を出しても、場所さえ好ければ、相当の利益を得られる。
おでん屋の資本と利益
生涯おでん屋で身を終わらそうとする人はまずないとして、屋台などは新規に作るより、損料で借りる方が得策である。其の他全部資本として二十円もあれば十分開業出来る。実験者の話によると、一夜の売上高は普通三~四円平均。場所によっては五~六円の所もある。最も少ない所でも二円は下らない。そして利益は四割から五割。上手にやれば六割儲かる。然しこれも照り降り商売で、雨でも降ると、からっきり駄目である。一夜二円平均の売上と見て五割利益が一円、まず一ヶ月三十円の収益と見たら間違いないであろう。