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東京の暗黒面【大正6年「東京の解剖」より】

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東京の暗黒面【大正6年「東京の解剖」より】

この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


二一 東京の暗黒面

賭博の骰コロに電車


 大正聖代の東京市、しかもこの大都会の真ん中で白昼公公然と賭博を開帳していると言えば、ちょっと信ぜられないかも知れぬ。しかしそれが事実にあるに至っては真に驚くに堪えられないであうら、新刑法実施後、その筋の賭博取締りは頗る峻厳を極めて、非現行者でもドシドシ検挙すのであるから、かつてあったような大仕掛けの賭場などはなくなったとはいえ、都会生活の裏の裏には今なお、これを以って飯を食っているものが過多なのだ。そして彼等は鼻下に美髭を貯え、身には和洋思い思いの美服を纏い、堂々たる紳士を装うて、いたるところの待合料理店旅館等の奥座敷に、所謂、椋鳥をくわえ込んでいかさま博打に不正の金銭を掴んでいる。しかも彼らは巧みにその筋の目を晦ましている。所謂、ドサなどを喰らうなどという事は決してない。しかして彼等の悪辣手段にかかる者の中には銀行員があり、会社員があり、大商店の主人があり、大工場を経営しているものがあるという風に、あらゆる中流以上の階級を網羅しているが、彼等に言わしむれば、「どうせ賭場に来るような奴だから、こんな事をしてやってもかまわない」と、泥棒の上、前取とは彼等の事である。賭博は多く下層社会に行こなわれている。又、種々の方法で弄ばれていたのであるが、大正の今日では東西を駛走する電車を骰コロに代用して、是を行うというのが頗る新規とされている。


辻侍車夫の創造

  電車を骰コロに代用するというのは、電車の車体に表されたる電車番号の数字によるので、それが奇数なれば半と称し、偶数なれば丁と称して、電車の一往一来を以って丁よ、半よと阿賭物を争うのだという。新しい時代が生んだのは独り新しい女のみでなく、賭博に至るまでこの驚くべく新しさを齎したのである。この新賭博は辻待ちの車夫仲間によって、創造されたのだそうで、電車軌道に添うた人力車駐車場でこれが盛んに行われている相である。然るに、今日では下層労働者の中にこれが流行して来て、昼間夜間の区別なく大道賭博を開帳しているという。そしてこれが最も盛んに行われるのは、銀座尾張町及び雷門附近で、近来は新聞の呼売り子、号外売り子などの間にもそれに熱中する者が多くなったという事である。のみならず、漸次中流以上の社会にもこの新賭博が流行するようにさえなったが、未だその筋の知る処とならざるにや、電車骰コロ賭博犯の検挙されたるを聞かない。電車番号を骰の目に代えて白昼天下の大道に試みられつつあるという。この都人士の暗い娯楽、これも見ようによっては不思議な人生の象徴で、都会生活の暗黒面を遺憾なく暴露しているようである。


木賃宿の内面

 元東京の木賃宿といえば、神田の三河町が本場であったが、明治二十一年、宿屋営業規則の改正により、三河町の木賃宿は取り払われて所々に割拠する事となったけれど、本所方面に最も多くの花町、業平町、深川では富川町などが其の巣窟となった。その頃の同業者は今日に比べて中々気楽なものであって、どっちが客であるか分からぬ位、止宿人は小さくなって来て宿ったものである相だ。そして偶々満員だなどと断られると、梯子段の下でもかまわないからと言う調子で、従って営業者の方も唯横柄な位のものであった。ところが今日では、地代が上がると共に家賃も高くなり、また漸次同業者の増加するにつれて従来のように高く止まっている訳にもいかなくなった。

殊に「もぐり木賃」なるものが現れ来たって、空間を利用して盛んに其のお株を奪い去ったので、斯業者の打撃は愈々甚だしくなった。而してこのもぐり木賃の方へは其の筋の目も不行き届きの結果、自然種々の犯罪が行われたり、風俗壊乱の所業が為されたりするものである。その悪風は漸次、斯業者の間にも浸潤し来たって、今日では斯業者も悪辣なる手段を弄して暴利を貪るようになり、中には賭博や淫売が盛んに行われるのは未だしも、人夫請負を表看板に置いて、裏では全然淫売屋を営業としているものがある。従前は毎夜警官の点検があったものだが、今日では何か必要の時、偶々これを行うだけに止まる相である。尤も宿の方からは、毎夜必ず投宿届を其の筋へ差し出すことになっているとはいえ、唯それは単に一種の形式に止まる事は言をまたぬ。


惨酷なる迫害

 さてこの木賃宿の屋根代は大抵、一夜八銭ないし十銭であるが、風呂はある家とない家とがある。元来、木賃宿へ来る様な人の大部分は貧しい労働者であるから、彼らに取って町風呂の三銭はなかなか大枚である。とはいえ、客の中には駆け落ち者とか、犯罪者とか、相当に懐の暖かい者も中々少なくない。これ等が木賃宿の上玉であってあらゆる好策を弄して、その却下を付け込み裸にして終う。そしてなお其の上に北海道あたりの炭鉱任夫に売り込んで悪銭を貪るような事も稀ではない。かくの如く木賃宿で裡面を探って見ると真に驚くべき犯罪が行われていたが、彼等は常に巧みに其の筋の眼を晦まして決してドサを踏むような事をしないから、その表面に現れる所は極く僅少で、従って地方人などは殆ど其の内幕を知らないのである。また当今では余り聞かない処ではあるが、その筋の点検なるものを甚だ不埒極まるもので、徒に虚勢を張りたがるのが、警官の通弊であるが、皆の寝て居る所に行って、足を持って頭を数えて行くような事が珍しくなかったという。いくら労働者だからといって土足に掛けるなどは甚だ以って不都合である。彼らはどこまでも運命の弄びものとなって、益々悲境に沈淪せなければならぬのであるが、中にはまた却って棒にも箸にもかからぬような代物も決してすくなくない。けれども彼等も一度は如上の運命に翻弄された結果、そこにまで陥ったのだと思えば、寧ろ悲惨であるといってよい。


病人と死人

 何しろ木賃宿には其の日暮らしの客種が多いのであるから、雨や雪が連続して降るような事があれば、独り家賃が取れないのみならず、食わせねばならない様に仕向けて来る者がある。如何に経営者が悪辣であるとは言え、相手が裸であり先手を越されては策の施しようがない。それのみならず、そんな奴に限って営業者の表面と裏面をよく知悉しているのであるから、営業者も脛に傷ある身の見す見す其の手を喰わされなければならぬ。而して彼等営業者は裏面に於いてはあらゆる辛辣なる手段を行うといえ、表面は表面で相当に繕って行かなればならぬ。彼等が殊に困るのは引き取り人もない死人と病人の処分法である。現今では二葉町の慈善病院等と連絡があって、宿主の調印さえあれば病人は無代で治療を受け得られることになっているとは言え、もし病人に子供などのある場合は、入院中、いやでも世話を焼かなければならぬ。而してその報酬は取りたくても取れないような破目に陥る事も少なくない。又、入院の折、宿から着せてやった布団など、退院後自分で引き取ってドロンを極め込むような病院も偶にはある。死人の方は同じく火葬場と特約があって之を送り、一年間に引受人がない場合、漢寺等へ合葬する事となっている。故に甘い汁も吸っている代わりに、時たま思い掛けない損失を受けるのであるが、かかる営業として寧ろ当然と言わなければならぬ。


都会と惰民根性

 国家をト毒する害物の中で最も憎むべきものは、所謂、惰民根性である。而してこの惰民は都会にのみ産出されるの観がある。この惰民根性を研究すると、自ら各其の都会の裏面を窺い知ることが出来る。これを研究するには拘留場に集まり来る拘留人によって最も容易正確であるが、各警察の拘留場では多く其の土地によって種別が偏している。例えば、深川区内なれば酔いどれとか、阿賭物を争った忍足とか、浅草ならば淫売とか追随とか、殆ど型にはまっているけれど、東京監獄に集まるのは市内十五区の拘留人を毎日三~四名ないし十名位宛、各警察から運んで来るのが一室に集まるのであるから、各区の色分けをも見る事が出来、又、東京の内面を総括して見る事が出来得るのである。東京監獄留置場の某担当看守の語る処によると、年末から年始にかけて最も多くの拘留を見る相で、その十中八~九は酔いどれと博打であるという。多きは二百有余に及ぶという。勿論、其の中には罰金の不納者を含んでいるのである。

さて東京監獄は一監から十一監まであって、其の九監と七監が拘留者を収容する処で、一室は大抵十六畳ないし二十四畳敷き、平均一畳の三分の二に一人の罪人を正座させる規則の様であるが、込合って来ると二十畳に六十人位撲込むのである。而してこれ等は総て拘留罪のみの集合であるから、比較的神聖?で又、都会の惰民根性を研究するに最も便宜である。次に某雑誌記者が刑吏を侮辱して変装ならう変装の下に、実見した処を紹介して見よう。


拘留人と分類

 さて、純拘留罪人中の色分けを試むると、先ず浮浪罪というのが最も多い。しかしこれは警察で一々罪名を付けるのが面倒なので、一口に浮浪で送り込んで終う結果であって、更に分類して見ると、追随、博打、酔いどれ、淫売の立ち番、淫売屋の主人、朦朧車夫、宿屋の客引き、淫売婦の引き込み、汽車又は電車の無料乗車、巡査を相手の喧嘩、器具の破壊、出歯亀、活動写真館内にて不潔の行為ありし男、掏摸未遂、無銭飲食等が主なる罪人である。

其の各自の告白を掲げると先ず出歯亀、これは三重になる男だ。浅草公園の共同便所へ夫人が入るのを毎日根気よく節穴をユグって、覗くのを楽しみとして居たのだとの事だ。この男の言う処によると、到る処の便所でこの行為をやるのだ相だ。五十銭か一円あったら女郎買いが出来るじゃないかと質問すると、彼、平然として曰く、金で買えない女を覗くのが道楽の一つだと、何ら恥ずる処なく答えて、得々たるものだ。彼は或る金満家の息子であるのみならず、既に女房子供もあるのである。一種の病的とはいえ、かかる分子を生んだのは都会である。

次に追随というのは多く公園などで行われるもので、即ち、成功しそうな女と見ると追いかけて遊び場の動向を勧め、無料で酒肴其の他の見物をオゴる。それから一度逢い、二度逢いして、結局淫売婦に売るのだ。それも近来は浅草で酌婦の鑑札は面倒であるから、大概本所、深川一面に巣を喰っている方へ廻すので、表面は素人らしい面をして堂々とやらせるのだ相だ。


済渡し難き遊民

 次に淫売のヒケ込みというのは前記のような女、或いは遠く千葉、茨城、神奈川辺まで遠征して茶屋女を引き出すので、其の方法は其の地方へ出かけて二~三度茶屋遊びをする。そして東京者の女か、さもなくば東京に憧れている田舎女の空想に投じて巧みに梅川忠兵衛をきめ込む。勿論、地方警察の目に触れるのを恐れるから、昼は山野に眠り夜道をかけるのであるが、大抵の女は一夜に四里の道を歩くと泣きっ面でグズグズするので捕まる事があるとか、が田舎の警察は大抵拘留五日位で済むから、月に二人成功すれば結構飯の種になるので、面白くて止められないとの御託宣。宿屋の客引きは現今禁止されているが、元来茶屋では一円の客が二~三十銭で一切仕上げられるので、一宿四十銭位は儲けられ、二円五十銭一宿の客は一円は儲けられるから、コタえられないとほくそ笑んでいる。

其の他、淫売の立ち番、人足の博打、活動写真館中の不潔行為、誘拐、無銭飲食等は文字の現わすが如く、其の内幕はクドクドしいからここには省く。が、これ等は主に俗に遊び人と称する屋からに多く、その根性は到底お話にならぬ。とにかく彼らは一向平気の平座で、唯だ飯を食うだけでも不景気知らずだろ楽観している。己は今年になってから拘留六回で百八十日、五百四十本の飯を頂戴するのだ、豪気だろうというような自慢を誇りとしている。済度し難き惰民彼等は社会の不正産物なるのみならず、如何に世をト毒しているか分からぬ。
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