この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
二〇 東京の貧民窟
貧民と其の巣窟
何といっても東京は中央政府の存する所、従って文明の空気は市中至る所に漲っているが、それだけに他の或る方面はまた、一台暗黒を以って満たされている。就中かれ、貧民窟の如き地方人の想像だに及ばぬところで、其の真相に接したらば、誰しも事の意外に驚くであろう。まず、冒頭に説かねばならぬのは、彼らが風紀を紊乱し、あらゆる害毒を伝播し、愈々益々同族を伝殖して、一種の魔力を逞うする其の根拠地である。今その主なる根拠地を挙ぐれば下谷では万年町、山伏町、浅草では松葉町、神吉町、新谷町、四谷は鮫ヶ橋、芝では新網町、本所では富川町、業平町、花町等で、この他には目立って彼らの巣窟はない。ところで、彼らが棲息しつつある家屋は何れも不潔極まる棟割長屋で、一見して其のよく一日も健全なる生活を継続しつつあるかを疑わしむるのである。勿論、文明が生んだ一種の副産物としてやむを得ない事でもあろうが、このまま放擲して置いては衛生上、将又、風教上関心すべき結果を齎しはすまいか。
彼らの生活状態
以上の貧民窟で最も著名なのが下谷の万年町である。いかなる種類の者が生息しているかといえば、人力、立ちん棒、日雇稼、羅宇屋、紙屑拾い、かっぱらい、小泥棒、さては物貰い等、いずれもろくでなしの人の屑のみで、彼らが其の日の稼ぎは悉くその日のうちに、そっちで処分が付いてしまう。即ち、拾い集めた品物や、チョロマカした道具諸式一切の始末の付け所があって、俗に屑屋の立場と言われているものがそれである。
しかも、万年町付近にはこの立場なるものが数か所あって、委細構わず盛んに仕切ってしまう。不規律極まる潰し物はさながら積んで山の如く、もし雨後の乾燥と来たら異臭鼻を劈いて到底いたたまれようもない。然るに彼らは常にこれを馴れたとは言え、すこしも不快も苦痛も感ぜぬらしい。しかして彼れ紙屑拾いなるもの共はこれを表面の渡世とし、裏面は実に小泥棒を働いているので、其の手段の巧妙なるに至っては特記するの価値もあるが、■は後日に譲るとして、彼等は毎日取って来ただけの金は必ず其の夜の中につかって終う。まして小泥棒、掏摸の如きに至っては、他の労働者とは違って別段苦しむ所なくして得るものから、したがって金を費うにも乱暴である。つまり、彼らにはまた明日になればという考えをもっているらしく、決して収入の幾分を貯蓄しようなどの精神は持たぬ。コンナ訳で、彼らは下等社会に居るに似合わず、其の贅沢なることに至っては全く呆れざるを得ない。それ故、雨が降って稼ぎの出来ぬ場合には、忽ちの間に窮してしまい、着ている衣服を脱ぐとか、ないし、鍋釜を七ツ屋へ典ずるという非常手段を講ずる。それもかなわぬ時は、じっと寝転んでいる。しかも平気であるから驚く。
所謂嬶ア天下
さて彼等夫婦間の関係はどうであろうか。所謂この宿六にこの嬶アありで、殊に嬶ア■なるものは何れも俄猿の集合、殆ど箸にも棒にも掛からぬ代物ばかりである。試みに其の日常を見るに、中には稀に紙屑を選り分け、襤褸の選り分け、洗濯、小遣い、煙草、マッチ箱の賃張等の内職をするものもあるが、これをやってまで宿六を補助するが如き嬶アは、漸く十中の一~二に過ぎぬ。其の他は何れも無精者やら、怠惰者で少しも心得ない者のみで、朝寝や昼寝は通例、宿六が稼ぎに出ると漸く床を這い出すことさながら、木ッ葉女郎の如く、其のまま時ならぬ朝飯を終うや否や近所隣を囀り廻る。しかして偶々番茶の出がらしになりと有りつかば、人の噂や悪口に其の日を暮らすという塩梅式。子供の衣服や履物など一度与えたら其れっ切りなりで、少しも損所を修理してくれぬ。茶碗・箸等の類も飯を済ませばそのまま室の隅に放りっぱなし、更に飯時が来ると小言たらたらで洗うという主義である。彼らの不潔は何事にもそうだが。
殊に貧民窟中の共同便所に至っては驚くばかり。年中掃除するものもなく、臭気は氛々遠く長屋中に吹き廻し、到底お話にもなったものではない。それに反して宿六は終日、粒々辛苦幾らかの労銀を得て、形ばかりの我が城郭へ戻るのであるが、彼れ不貞の嬶アは其の姿を認むるが否や、其れ水を汲め、米を磨げと恰も命令的に託するのは未だしも、中には嬶アに譴責される奴もある。お目出たいといおうか、彼ら社会の宿六は一向に頓着せず、却って微笑を含んで嬶アの機嫌を取るなど、家長は宿六になく嬶アにあり、所謂嬶ア天下はこの社会の憲法である。
夢想し難き珍談
以上の如く彼らは、今日は今日、明日は明日の風が吹くという考えで、少しの貯蓄心もない。否、必要の品さえ買わぬ。無駄食いをするとか、或いは博打に金を使ってしまうとか、明日は明日の収入を以ってこれに充てるのが常であるから、不時の困難に遭うのは定まった話である。中には其の日々その日々なくてはならぬ食器さえ供托み、これを営業の資金となし、その日の稼ぎを以って之を受け戻すなど哀れ果敢なき輩もある。
又、四谷、鮫が橋なる貧民窟には最も甚だしき細民が四十余戸もあり、彼等は釜の焚き廻しという事をやっている。即ち、一家で買い求められぬ所から、四十余戸共同して、一個の古鍋を購い入れて交代の使用にするので、戸毎に炊き廻した後、最後の家では使用後、直ちに例の質屋へ典げる。又次には子供乞食の売買借り貸しであって、乞食中にあいにく子供のない者は、これを損料で借りて、如何にも憫然らしく装いかけて世の人の同情を惹かせる。いわば彼らの商売道具である。ところでその相場は一日五~六銭から七~八銭、まれに十銭以上のものがあるが、是は余程貰い上手な子供であって、其の他は多く三~四歳の瘦せ衰えた子供である。彼らは自然哀れを催させる機械の為に、故意に滋養を供給させずして、所謂、骨と皮ばかりに育て上げて置く。残酷といおうか、はた何といおうか殆ど言辞の用い様がない。この一事に徴しても彼ら社会がいかに衛生を害し、風紀を紊乱しつつあるかを推測するに難らぬのである。
細民の職業別
今まで記し来たった事項は、最も下層なる社会に就いてであるが、冒頭に掲げた貧民窟に対して催眠窟とも称せらるる一階級がある。その巣窟は下谷で龍泉寺町、金杉下町、三ノ輪、入谷、元金杉、浅草では田中町、浅草町、玉姫町、山谷町、本所では横川町、長岡町、深川の菊川町、富川町、猿江裏、本郷の根津、小石川の西丸町、四谷の長住町、神田の三河町、芝の新網町、麻布の順番、新宿の南町、北浦町であって、数の上に於いて貧民窟よりも頗る多い。試みに、今彼等の職業、月収、これに対する家族の平均数を挙げてみると、
が其の主なるもので、尚、このほか工夫、点灯夫、魚膓商、あさり買い、納豆売等、凡そ七十余種の職業に分類させる。数の上からは車夫が第一位で人夫、日雇い、車力、土方、屑拾いという順序である。又其の女房子供の内職中、その主なるものは次の如くであって、幾分余裕があるかの如く思惟されるけれど、これ等副収入のある処は大抵四人以上の家族を有する向きで、寧ろ一層悲惨の状態に陥っている方だ。而してこれら細民の子は男女共、九歳位になれば何れも工場等へ出かけて行って一家の収入を補っているのである。
下層民のお薬
さて彼等細民の副食物に移るのであるが、彼等だからといって必ずしも不味いものばかり食っているとは限らない。時に鮪のヌタで焼酎三合がトコも傾けることも無きにしも非ずだ。所謂、高等細民の称である二十円内外の安月給なんぞより遥かに数を言っている場合もある。しかし、其の彼等に不時の収入があったとか、日和続きとか特殊の場合に於ける贅沢であって、平素は目も当てられぬ様である。最近本所の或る特殊小学校でこの程、彼等児童三百近くに就いて、朝昼晩の副食物調査を行った結果によると、三百近く中、朝昼晩共、沢庵ばかり食っているものが七十六人、塩ばかり舐めているものが二人、日に一食しか食わぬ者が一人、朝食を摂らぬ者が一人、昼飯を食わぬ者が七十人、又、常食として白米(多くは外国米)を食う者が百五十二人、麦飯が八十二人、残飯が十一人、芋で済ますものが四人あったという。朝飯は流石に葱汁とかワカメ、大根、芋汁とか、兎に角、みそ汁が多いが梅干しだけ、沢庵だけ、塩だけというのも少なくない。昼飯は沢庵が最も多く、次は塩鮭、みそ汁、煮しめの順序である。最も少数ではあるが、鮪、鯛、目比魚の刺身なぞ贅沢なものもある。調査表中の目立ったものを掲ぐれば左の如くである。
浮浪人と飯屋
以上の巣窟に生息しているもの以外、浮浪人という一種の階級があって、その数はなかなか少なくない。これらの多くは独身者であって、夜は公園等に夢を結び、三度の食は総て飯屋で済ますのである。又、巣窟に生息している者でも外働きのものは同じく飯屋で昼食を取るのであるが、その飯屋で食事するに一度、幾らくらいの金を要するかというに、空腹を充たすという範囲内ならばおおよそ五銭で足りる。飯屋は大抵どこでも飯一椀が二銭、これに「半替り」というのがあって、それが一銭、即ち半椀の事であるが、朝食などは一椀半とみそ汁一椀、それに漬物があれば腹を充たし得る。みそ汁は大抵一銭、家によっては五厘で、漬物は五厘と定まっているようだ。故に、朝飯は四銭又は四銭五厘あればよい。然しこれでは飯屋の方が商売にならぬところから、刺身、煮魚、酢の物と数種の副食物を整え、四銭或いは五銭で求めに応ずるのである。その他、泡盛、焼酎等の用意もしてあるので、浮浪人等は大方ここで三度の食事をする。然し、仕事にアブれて収入の無いものなどは、薩摩芋を食って飢えを凌ぐので、それを彼等は川越チャブというのであるが、この川越チャブも出来ぬ者は漸く水を飲んで凌ぎ、翌朝仕事を見つけて三銭なり五銭なりを得て、まず芋か大福を食って腹を作り、更に仕事に取り掛かるのが常である。この水を飲んで凌ぐことを金チャブといい、金チャブ川越チャブに対し、飯を食うのを本チャブといっている。チャブというのは飯の代名詞であるらしい。
落魄と生抜
貧民を大別して二種と見る事が出来る。即ち、一は落魄である所のもの、一は先祖代々相承の貧民である。而して落魄してなった貧民といえども、他年の習慣性となって、無恥、放縦なる程度に於いて格別の差はないが、流石に時あって胸奥に潜む良心の閃く事がないでも無い。ところが、先祖代々の生抜きの貧民となると、廉恥心、良心は共に皆無といってもよい位で、乞食根性、泥棒根性の無いものはまづ絶無といってもよいそうである。故に其の希望を質して見ると、海賊になりたいとか、ジゴマのような事をしてみたいとか、そんな事を平気で言っている。而して窃盗をしても盗品さえ返還すればそれで責任解除と心得ている。故に、かっぱらいなど捕らえて賍品を取り上げて仕舞うとモー兵器で平座で居る。その時に一つでもなぐるような事があろうなら、物品を返せば文句は無いではないかと却って逆ねじを食わすことは珍しくない。それは必ずしも彼らが白っつばくれているのではなく、実際にそれを信じているらしいのである。