この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
十二 昼の浅草 夜の浅草
仲見世の色彩
東京を語ろうとする者、或いは東京を知ろうとする者が共に先ず第一に指を屈するのは浅草観音のお話である。其の観音へ詣でるには雷門から仲見世を通るのが順序であるが、この雷門というのは今は形を存していない。慶応元年頃迄は右に雷神、左に風伯の像を安置した頗る鮮やかな門がいかめしく建っていたのだけれども、一転祝融の際に遭遇して烏有に帰して以来、それなりけりで今では其の名ばかりが残っている。ここから仁王門迄両側にずらりと並ぶ煉瓦建ての見世が即ち俗にいう仲見世と呼ぶもので、此の見世の朱里威を調べて見ると、おのずから観音へ来る人の種類並びに浅草区の特徴も略窺い知る事が出来る。仲見世両側の大小商店の総数が百二十余軒、それを更に分類すると玩具屋十九軒、花髪挿屋十六軒、袋物屋十三軒、紅梅焼屋七軒、帽子屋八軒、絵草子屋五軒、半襟屋五軒、糸細工店五軒、人形屋五軒、髢屋五軒、其の他おこし、飴、煎餅、煎豆、三日月豆、七味蕃椒、お汁粉、甘酒、缶詰、漬物、金平糖など売る店が十二軒、化粧品、時計、写真、唐物、瀬戸物、箸小箱、金物類、眼鏡、塗物等を売る店が両三軒づつはあるが、中にも数の多いのは玩具屋に花髪挿屋で次が人形屋、半襟、袋物屋などで、第三には諸種の飲食物である。そして実用日にゃ日用品などは皆無いといってもよい所から見ると、身体が閑で懐中に多少小遣い銭のある人の遊びに来る所で、それらの人の需要に応ずるようい出来ている。而して何れの品も一寸見には極く美しいけれど、手に取って見て愛想の尽きるものが多い。これまた客種から割り出して縁日向きを主眼としたもので、即ち田舎向きのものが多数を占むるに至ったのも、畢竟場所柄の然らしむ所であろう。この安直如何様的は水草子屋、雑誌店にまで現れ、探偵物、講談物、其の他安っぽい水車版物、赤本類、小型の銅版物、着色の石版絵などで、殊に特色を発揮しているのは東京の名所、貴顕方の肖像などを描いた嫌味たっぷり着色こってりの石版絵本などの多いのを見ても、直ちにここに来る多数の人は田舎客で、其の他各種労働者やお神さん、子供などの休日の遊び場所たる事を知られよう。仲見世のみならず、浅草公園全体がこの特徴を代表しているのである。要するに仲見世は、田舎客と余り懐中の豊ならざる東京者とを相手に成り立っている所だけれど、さりとて人形屋の店先に立つ人を見れば、フロックコートの紳士に、白魚の指にダイヤモンドの光を放つ金無垢の指輪をはめた令嬢もなきにしもあらずだ。
仁王門と薮入
仲見世の行き止まり、即ちこれからいよいよ観音様へ入ろうという所が仁王門だ。この仁王門は毎年正月の藪入という盆の藪入りとの二度、諸人の登門を許すのであるが、山門の高さは七丈五尺、間口十二間、奥行き六間二尺、総丹塗で頗る美々しい。門の西口に下足番がいて大人一銭、子供五厘の下足兼観覧料を取って登門させるので、楼上へ登るには螺旋形の廻り梯子があって、登り口と降り口に豆のような灯が二つ点いているのみ薄気味の悪い程真っ暗だ。登り詰めると中央の正面に文殊菩薩の大像を安置し、その周囲には種々の仏像を飾り付け、菓子などを備えて大坊主の晩僧が控えている。又、西側には高さ七~八尺もある木仏があり、東側には釈迦の涅槃像と仏の立像が十五~六体もあり、梁の廻りには十六羅漢の額面がヅラリと掲げられてある。又、外側へ出ると急に明るくなって、朱の欄干で取り囲まれてある廊下をグルりと一周して四方を見晴らすと、南は仲見世から茶屋町通りを、東は大川から小梅辺りまで北は上野の青葉を手に取るように見放され、丸で下町一円のパノラマを見るようで、なかなか見晴らしに富んでいる。
公園の飲食店
豆売り婆と観音堂の事は、最も全国に知れ渡っている所だからここでは抜きにして、飲食店の話に移るとしよう。公園で一寸妙に食わせる家は先ず岡田、一直、草津、常盤、松田で少し格が下がって三定、みさの、天勇、甲子、チン屋、達磨、宇治の里等であるが就中達磨は赤毛布連の領分といってもよい位だ。而して極く安直で一杯という所では、宇治の里に指を屈しなければならぬ。蕎麦屋では萬世庵、汁粉では梅園と金龍山、軍鶏とかしわでは大金、金田であろう。又、田舎客を驚かせるのは常盤の特色で、仲見世的に通物を数多くする方針を採っているのは、けだし機を見るに敏なりとも言うべく、殆ど他店を蹂躙するの勢いを示している。今ここに其の通し物の品々を数えて立てて見るなら芹、葱、玉菜、生麩、焼豆腐、蜜柑、空豆の七種に、割下、肉汁、芥子、醤油を添え箸筒には箸、シャモジ、紙巾を挿んで其の見渡しの美しさに先ず仲見世同様人の眼を奪ってしまうのである。其の他鮨屋、天麩羅屋、酒場等、立食的飲食店が公園を囲んで軒を並べている。殊に六区から新畑町、田島町、芝崎町、新谷町、千束町二丁目(十二階下)辺りには無数の馬肉屋、所謂バー式の簡易飲食店が軒を連ねている。それらは追々以下に記すこととする。
夜更の雑踏
流石は帝都第一の盛り場所、浅草公園の殊に夏の夜は更くるに従って、人益々増すという勢いで、行くもの蛙もの大路小路に雑然としてさながら肩摩穀撃の体、昼の汚れが汗となって流れ、異臭街に流れ、よどんだ空気は半ば腐って公園の夜は刻々に更けて行く午後十時、満点を彩る華やかなイルミネーション燦として六区は昼を欺く白夜と化す音楽の響き梢に鳴りて、鳥雀の夢魂を驚かす、といえば如何にも詩的な形容だが、そこには俗悪見るに堪えぬ活動写真の絵看板が、空を狭める様に掲げられて人に酔った群衆の心をそそり立てている。最近浅草の活動で最も客脚を引くのは、何といっても活劇を現わした映画であって、飛行機格闘の光景などが喜ばれ、壮絶惨絶見物人の心胆を寒からしむる低の映画でドンチャンガラガラ天柱地軸砕くる騒ぎを演じて、夜の幕は何時閉づるとも見え分かぬ。かくして時が来ると十有余の活動館からは数万の群衆が雪崩をうって押し出される。狭き道、屈折多岐なる道には広波がうねりをなして、其の混乱はけだし活動の映画以上の壮観を極める。其のうちに群衆が次第に減じて一人去り二人去り果て荒らしの後の様に静まり返るが、それに引き替えて公園付近の酒場はどこもかしこも歓声にさんざめく。石川、インゴーヤ、丸セ、石村など挙げて満員の盛況、エプロン掛けた女給仕が忙し相に立ち働いている。
酒場の一隅
単に酒場といった所で、ピンからキリまである。従ってその空気も一様ではないが、ここにも仲見世的色彩が満ちている事は言うまでもない。一坪半位の土間に細長い机を据えて一皿二~三銭の香物から、十五銭のよせ鍋程度の全然めし屋式のものもあって、土方らしい男が酒瓶を振り回して給仕女を追い回している様な所もあるが、ここには且つて記者が探訪した一事実弾を記して、比較的高尚?な酒場の一隅を寫して見よう。
時はまだ夏もまだ深からぬ頃、一活動小屋から吐き出された一青年が、やがて靴音高く石川バーの階段を昇った。一青年は即ちかく言う記者なのである。彼は階上の中央に突き立った儘、酔うと興のつくるを知らざる如き一座を見回しながら、何等か獲物を狙い伺う態度であった。が、やがて彼は、女優髷に透紋の被布軽やかに、洋装の一紳士と相対して座った美人の傍らに座を占めた。酒場とは言いながら華やかな電光に彩られた室内には客は備うる八十余脚の椅子があり、粗末とはいえテーブルの上には盆栽も配置せられ、鮮やかなカーテンの色は緋と緑に燃えて、夏向きの趣向は兎も角、一味の涼を貪るに足る。彼は生ビールに豚カツという最低限度の註文を発したる後、故意に半ば眠りに落ちたるが如く装いながら、椅子に靠れて夢路を辿るかの様であった。美人は彼青年を盗み見つつ、何か洋装の紳士にヒソヒソと囁いている。
役者と令嬢
夜は次第に更けて、歓談笑声に時を移した先刻からの客は多く立ち去って、残るは唯四~五組の客に過ぎぬ。こうなると、辺りは森として自ら美人の低声耳語は手に取る如く聞き取られるのであった。
「ネー貴方、早く決めて頂戴よ」と美人は紳士の指を弄びながら促し立てた。紳士は黙して語らない。
「サアよ、それならあそこにしようか」美人は再び促すのであった。
「あそこと言いますと?」
「築地にさ」
美人の言葉は粗末でこそあるが、こういってニッコリ笑った様は、嬌羞花も恥じらう体で、紳士は忽ちこの一笑に艶殺されたる如く、満身の筋肉一時に弛緩して相好また崩れて旧の如からず、即ち前のビールを一息に飲み干して、面上再び紅を潮した。そして、
「しかし今夜築地へ行くという事は考え物ですよ。何故なればいつもこう遅くばかり行っては怪しまれますからね。私は構わんがあなたの御身分に拘わる様な事が有りましてはね」
この言葉を聞くとかの美人は悄然として物に襲わるるが如く辺りを見回したが忽ちにして美しい眉宇の間に決意の色を示して、二言三言何をか囁いた挙句、二人は勘定を済まして出て行った。最後の談話によってまた相方の風体から察すると、紳士と買い被ったのは常盤座かみかみに座あたりの馬の脚でもがなろう。美人は身分ある夫人か、令嬢か、但しは未亡人ででもあろうか、年のころ二十六~七の優やかな女であった。いずれ家人の前を繕って浅ましい刹那の歓楽に今宵一夕の悪夢を求めんとするのであろう。これは一例に過ぎないが其の相手こそ真の愛人同士、売笑婦と会社員、不良少年と両家の少女、妾と其の間男という風に変わりはあれ、酒場の一隅にはこんな事実は毎晩繰り返されているのである。殊に酒場によっては給仕女そのものが盛んに淫を鬻いでいる相で、警視庁の魔窟退治以来大分革められたとはいえ、永い間の習慣はそう容易く止むべきではない。
代表的魔窟
夜の浅草公園と関連して考えられるものに千束町界隈の私娼窟がある。東京の代表的魔窟として全国に知られているこの私娼窟は六区から千束町にかけて巣を喰らい、警視庁の新令施行以前までは三千近くの淫売婦が居た。其の中には電話交換手、女教員等が而も現職の儘で、肉の切り売りを内職としていたというに至っては、真に驚かさざるを得ないではないか。まして堕落女学生が親に見放されて其の活路をこの窮巷に求むるなど不思議はない。夫に分かれた未亡人が肉に飢え食に飢えた結果、自らこの陋窟に身を投ずるなどは推して知るに難くなかろう。濃扮淡粧種々に造って軒燈の小暗き辺に出没する彼等醜業婦は、餓狼の如き男の手に散々弄ばれて綿の如く疲れ切っている。警視庁の魔窟取締り断行により、以前よりは数に於いて減じ、また其の猛烈な発展振りが見られなくなったのは事実であるが、他年の固執は一時的現象を以て直ちに除去されるものとは思われない。その結果は、必ずいずれかの方面へ向かって何らかの方法を以てか現れずには置くまい。それはともかくこの魔窟は単に私娼のみの巣ではない。この暗黒面に於いて行われる犯罪にして、私娼以上に恐るべきものが非常に多いのである。ここに其の一例を示すこととしよう。魔窟のことに就いては更に東京の魔窟の項に於いて詳しくする。
物凄い微笑
記者がかつて花屋敷裏を通りかかると、折柄、「喧嘩だ喧嘩だ」とけたたましい人の声。すぐさま駆け付けて見ると、三十四~五の遊び人らしい男が女の髻を引っ掴んで
「モー勘弁ならねー。この阿魔チヨ、人を甘く見やがるにも程がある。あんな若造と勝手な真似をされてたまるかい」
と火の様になって、アワヤ鉄拳の雨が空を衝いて来たらんとするの光景である。そこへ隣家の人が二~三人駆け付けて仲裁の見得宜しくあると、喧嘩は一先ず納まったが、傍らにオドオドとして成り行き如何と気遣っていた気障な商家の若旦那らしい男は、電灯に表を外向けて立場に困っている様子。仲裁に出た男が、
「全体どうしたっていんだい」と聞くと、
「何、この阿魔チヨが其処に立っている青二才とふざけた真似をしやがるから、どうしても招致がならねいんだ」と憤怒の相を現わして若旦那を白眼つける。
「まあそう怒ったって仕様がない。話は静かでなけりゃ纏まらねえや。何かと仲裁の仕様もあろうというのも、兎も角、旦那奥へいらっしゃい」と仲裁人は若旦那を奥へ拉して行った。然るに今まで虎の如き勢いで猛り狂っていた男は、そのあとを見送って女と支線のバッタリ遭った時、ニッコリと物凄い笑みを漏らした。その微笑が語る処の意味は最早語るにも及ぶまい。斯かる罪悪は珍しからぬ。まだまだ辛辣な手段を以て他を陥れようとしているのである。
浮浪人の群
流石に賑わう公園も午前二時三時となると急に静まり返って、漂泊人の一群二郡が木陰によって冷ややかなる夢を結ぶのみである。仰げば満点の星光、白銀の礫を投げたるが如く池の水面また電光を浸して揺るぐともなく揺らいでいる。何処のベンチを見ても人は折り重なり合って、結ばれぬ夢を結ぼうとしている。眠れぬ者は眠れぬ者と共に、同病相憐れむ互いの身の上話に余念がない。公園の真夜中この浮浪人を得意として甘酒担ぐ商人もある。空虚の財布が其の甘酒と代えられるという事も珍しくない。
「それはお前さんの身の上も気の毒だが、俺だって女房子供を連れて公園で夜を明かすなんざおくせきでサァね。それにつけてもあの因業家主は俺たち親子の眼の敵だ。」
と憤慨する男もある。ぼうぼうとして枝を張る観音堂附近の大銀杏の根元に髪を乱し泥にまみれて地上に横たわる男女もある。椅子に靠れて独りで忍び鳴いている老婆もある。其の他乞食の群れは言わずもがな、公園を根城にパクリ、泥棒を働く少年監獄を出て長い間の作業賞与金を計らず使い果たして将来を泣く男、無思慮な出奔の男女など、殊に夏の夜の公園はそれら浮浪人が三百余も屯しているのである。其の内四割はついに往くに処なく、眠るに家無き真の浮浪人なので幾ら追っ払っても夏の蠅同様、追い切れないとは、或る巡査の語った処である。濃厚な色彩で厚化粧した公園の裏面にはこうした呪われた影が潜んでいるのである。