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明治初年の江戸城址【大正8年 「東京府史蹟」より】

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明治初年の江戸城址【大正8年 「東京府史蹟」より】

この文章は、大正8年に刊行された「東京史蹟案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


江戸城址

 旧江戸城は本丸・西丸及び吹上・上林泉を主要部分とし、二の丸、三の丸これに連なり、田安門内井に西丸下の一郭を加え、之に外部を廻らしたる規模、頗る広大なる城郭にして、本丸を以って将軍の居館に充て、西丸を隠居所とし、二の丸は後世主として前将軍侍女の居館に充つ。天正十八年八月朔日、徳川家康入城してその居城となり、文禄二年、西丸創建され、家康将軍となり、慶長九年、江戸城増築の命あり、十一年本丸殿閣石塁、二、三の丸及び東北雉子橋より西南溜池落口に至る外郭成り、同十二年北側の郭、同十五年西丸石塁を修め、引き続き工を起こし、寛永十三年外郭成るに及びて、城郭の規模全く整いたり。

殿館は本丸及び西丸のもの、最も主要なるものにして、寛永及び萬治造営の本丸殿館を以って、最も壮麗なるものとし、天保度造営これに次ぐ。

明治維新皇居と奠められしが、其の城壁・櫓、猶お旧時のままに存するもの多し。今皇居の地は急西丸にして、其の正面は旧西丸大手門に相当し、宮内省の位置は旧紅葉山に当たり、徳川氏代々の霊廟ありし地に係る。而して竹橋兵営は旧田安及び清水家屋敷址にして、二重橋前外苑は諸侯邸宅の旧址なり。



 写真は二重橋内なる高塁上より北方を望みし景にて、左隅の石塁及び前面の水濠は旧西丸(現皇居)東面の塁濠なり。又、中央遠望の三重櫓は旧本丸の西南角に当たり、富士見櫓と称す。其の右下方なる城門は坂下門、更に其の右方なる二重櫓は旧三の丸の一角、現今内閣に属す。図中右端遠景の城門は和田倉門にして、水濠の右なる建物は旧大名屋敷の遺構なりとす。
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