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屹と儲かる東京の新職業【大正6年「東京の解剖」より】

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屹と儲かる東京の新職業【大正6年「東京の解剖」より】

この文章は、大正8年に刊行された「東京の解剖」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


六 屹と儲かる東京の新職業

廃物利用の金儲け

 何か商売を始めたいにも、資本が無くては困るなど言って、生活難に泣いている輩は、よしや資本があったにせよ、儲ける事を知らぬ意気地なしである。見給え、東京にはいくらでも素手で儲かる商売が転がっているではないか。而も、諸君の足元に金が落ちているのだ。それは何である?と・・・まァそう急がずに聞き給え。すべて金儲けは人の気づかぬ所へ眼をつけねばならぬ。穢いとか、下品だとか言っていては立身出世は出来ない。ここにこっそり伝授致そうという金儲けは、矢張り人の穢ながる商売の一つ。下水や流元から落ちて来る米、麦の類を拾い取って鳥の餌に売るのである。それとて何もない泥棒や乞食をするのではない。寧ろ立派な廃物利用商である。少しも恥ずる所はない。

 現に府下渋谷の炭家で、商売の傍らこの鳥の餌拾いをやって、二~三年の間に数百円の金を貯蓄し、その金で古長屋を建てて今日では小さいながら「家主の旦那様」と呼ばれるようになったとか。何と廃物利用の兼業も馬鹿に出来ぬではないか。


資本入らず鳥餌拾い

 さて其の方法はと言えば、石油の空き缶、天秤棒、柄のついた金網、これだけを資本に落ちている金を掬い取るのである。然しこれには時刻がある。朝、昼、晩の食事時。場所は兵営か学校の寄宿舎、又は大工場の下水等からその溝尻へ流れ落ちて来る米、麦、飯を時刻を外さずやって行って、彼の金網で杓り取るので、誰にも出来る芸当である。学校や工場の寄宿舎も目指す敵であるが、何事も大まかな兵営と来たら実に旨いものだ。僅か三十分か一時間の間に、一荷に握って天秤棒が折れるほど拾うのは何ら雑作もないとのこと。

 こうして拾い集めた米と飯を、直ちに養鶏業者へ持ち込むのである。すると養鶏屋では、その品質の良否を鑑別して値段を決める。例えば砂が混じっているとか、又は塵芥が多いとすると、その割で値が安くなる。然しもともと金網で掬い上げるのだから、そう大した混じり物はない筈だけれど、偶には人並みに働くことを嫌う奴が骨惜しみをして、雑物をふるい出さぬことがある。そんなのは別として、少し丁寧に揺さぶり出すと、大変違って来る。


片手間で一円以上

 値段は一升二銭内外で、一斗缶に二杯拾えば二とがから四十銭、それが一日三度、確かに一円以上になる。而も一銭の元手が入るのでもなければ、時間とてもホンの一寸した労力である。

 単にこればかりではなく、時としては意外の儲けものがあるそうだ。というのは、個人の家ではそんな事はないが、此の大きな若い男手によって炊事をされる兵営などでは、万事大雑把であるから、沢庵の一本物とか、鮭の頭などがそのままドっと流し出される。それを家へ帰ってから、よく洗って惣菜にしたり、或いは貧民窟へ持って行って売るので、是は意外の所得とする所である。この鳥餌拾いは時刻が一定しているから、他の商売を営みながらやる事が出来る。現に青山、渋谷界隈の兵隊屋敷に近い所では、半病人や老人などが隠居仕事にして、小遣銭取にしているとの事である。何にしても旨い商売だ。


釣師相手の餌商売

 前の鳥の餌拾いと並んで、元手入らずの家業は釣魚師相手の魚餌拾いである。以前は魚の餌として、ゴカイ、糸目蚯蚓などが用いられたが、ここ二~三年来、これ等の餌はすっかり廃って、今では蛭の全盛時代となった。この蛭を持ちるには誰が発見した事が分からぬが、釣師にしてゴカイや蚯蚓を餌にするのは既に時代遅れと言われる位に蛭餌が流行し出した。というのは他の餌よりも魚が蛭を好くものと見えて、これが一番よく釣れる。したがってこの餌の売れ行きのよい所から、ゴカイや糸目取りが漸次蛭取に化けるようになった。

 ゴカイや糸目を捕るには、干潮の時、例の熊手で泥溝を搔き回して、一匹二匹と拾うのであるが、これは干潮の時だけしか捕れぬので、殆ど日当にも当たらぬ事がある。ところが蛭は本所深川辺の横河や、仙台掘、郡部境の小川に沢山いる。そして捕捉法も極めて容易である。その方法は鉄板か瓦屑を麻糸に括り付けて、川の仲へ一晩も放り込んでおく。すると翌朝その糸を引き上げて見ると、瓦や鉄の裏へ三~四十匹の蛭が吸い付いている。それを取るのと、一つは小川の瀬戸片や板切れなどを引き起こして七~八十匹位づつは取る。都合一日百五十位の蛭を取るのは左までの難事ではない。


一日約二円の収入

 こうして捕った蛭は魚の餌にもなるが、其の他の用途も少なくない。一寸以下の小さいのはすべて魚餌屋へ出す。これは一匹が五厘位だが、百匹あって五十銭、他に一寸以上の大蛭は医療用として病院へ得ると、一匹一銭五厘から二銭になる。これが五十匹で約一円、合計一日二円近くの収入になる。

 蛭の餌が釣魚に好いとはいい條、ゴカイや糸目でなければならぬ魚もあるから、多少この需要者もある。蛭が売れ出した為に、一時は非常に下落したけれど、その反動とでもいうのか、近頃は少し値が出て来た。このゴカイや糸目は元は深川附近ンお横河にもいたのだが、近年は工場から流される油の為にいなくなって、皆な大川筋へ出てしまったから、だんだん捕り場所も狭められた。そしてこれは一日精を出して稼いでも、高々五~六十銭にしかならぬので、今では男子の兼業か、又は夫人の内職という姿になってしまった。

 ゴカイや糸目を捕るより蛭を捕るのが楽で良い日当になるばかりでなく、問屋も蛭を歓迎するのである。それはゴカイや糸目は囲っておく内に死ぬのが多くて、持ちが悪いから、問屋でも少し位設けたのでは割が悪いとこぼしている。之に反して蛭は囲いようが良ければ何時までも活きているから、自然蛭の方を喜ぶのである。その蛭にも良いのと悪いのと二種あって、縞のと蚯蚓色をしたのとあるが、餌や医療に売れるのは鰌色をした縞の方である。之は捕って問屋へ持って行った時に厳重に除ねられる。

 東京ではこの餌屋お問屋が七~八軒ほどあるが、いずれも余り繁盛とまでは行かない。却って魚餌取の方が楽のようである。唯だ之は季節があって、十一月から三月頃までが捕る季節である。夏分は他の猟と同じく駄目で、寒くなってからの家業であるが、旨くやれば半年の季節に一年の生活費が得られるとのことである。


ペストで儲ける鼠捕屋

 黒死病が日本に発生して、大阪、神戸、名古屋、東京と次第に魔の手を拡げ出してから、各市役所では鼠一匹いくら、其の上抽せん法まで設けて、ペスト菌の媒介者たる鼠の撲滅に努めるようになった結果、職業の無い人が考え出して、今までは商売往来にもないこの珍妙な「ネズミ捕り」が、一個の商売として認められるようになった。而もこの職業だけは上手も下手もない。経験の熟練も要らない。唯だ子供などの眼に触れない鼠の出そうな所へ、捕鼠器をかけて廻ればよいのである。資本といったところで、一個四~五銭の捕鼠器が三十個、鼠を入れる石油缶が一つ、それに餌代として一日一銭もあればたくさんである。気苦労もなければ骨も折れず、誰にでも出来る。唯だ、少々汚いのと、人が鼠捕りというのを聞けば、いくらか気恥ずかしい位のことで、それも自分で狩猟家の一人であると思っていれば平気であろう。


鼠の捕方と其の収入

 猫が鼠を捕るのは大抵夜と定まっているが、鼠捕人が鼠を捕るのは昼間でなければならぬ。故に朝各所の下水や流元の溝板の下へ、人目につかぬように捕鼠器をかけて廻り、掛けた順番に検めて行く。若し鼠がかかっていた場合には、その外した捕鼠器は場所を変えてまた掛けておけばいいのである。一体、鼠という奴は他の動物より比較的敏く、二度とっ同一の場所ではかからぬものである。餌は生の薩摩芋を用いる。それも芋屋の切り屑で沢山ある・これは安いばかりでなく他の物では猫などが失敬するからである。場所としては成るべく料理屋とか、宿屋とか、或いは蕎麦屋、弁当屋等の食物を粗末にするような所の、下水や溝板の下を選んだがよい。鼠は自然食物の多い方へ寄って来るものである。

 捕獲した鼠は早速交番へ持ち込んで、捕鼠代金券と換えておく。然し多くの鼠を一度に同一の交番に持ち込むと、意地の悪い巡査などは厄介がって、いろいろ理屈を言うから、成るべく諸々方々へ分けて持ち込んだ方がよい。そして各区の交番で代金券を貰っておけば、其の区々の取り扱い銀行が現金と引き換えてくれるから、いつでも現金に代えられる。東京の市役所では鼠一匹一銭でしかないが、それでも結構商売になるそうで、一日平均六~七十銭頭は捕れる。多い時は百匹以上の事がある。平均七~八十銭になるというから決して悪い稼業ではない。第一子供でも夫人でも老人でも誰にでも出来るから世話がない。それに近頃、猫を飼う家が多くなった為に、却って都合がよいとのこと。猫に捕られたら鼠は減る訳であるが、猫の捕る分は極めて少量で、そして猫がいると鼠の方でもその積りで、屋内にいないで猫の来得ない下水や流し下に出没するようになるから、ツマリ猫が追い出し役となって、鼠捕人の手助けをしてくれるわけである。

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