この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
女を圖ぐる明治末期の六区
五、明治の女役者買いの真相
以上によって浅草に於ける女芸人の生活の一面を知る事が出来たであろうと思います。そこで私は進んで、当時に於ける遊野郎達が、女役者買いをする為めに、如何に脳味噌を虐待し、如何なる巧案の下に彼女達に近づいて行ったか、其の辺の消息、其の真相を明らかにして見ようと思います。
何故なれば、以上述べた處は、主として幹部以下の女役者であり、踊り子であります。ですから幹部級の者を征服するには、どう言う方法をとったか、無論、一面識もない者が、芸妓を呼ぶように、待合から電話をかけた處で、如何に其の道のスピード時代であったにしろ、そうそう手軽に事は運びません。
そこで彼等遊野郎達が、乾らびかけた脳味噌を虐待し、しぼりしぼって、巧案したものが、驚く勿れ、次の三大発見であります。
(一)海老で鯛を釣らんとする方法
この方法は、先ず目指す女役者に幟を贈るとか、其の他の物を送って近寄らんとする、最も堅実なる方法です。
(二)出方に代理交渉談判をさせる方法
これは芝居道らしく、しかも、最も堅実なる方法で、当時の遊野郎共は、大抵この方法で無事に交渉談判を締結したものです。
(三)文筆の力に任せてなづける方法
当時ラブレターによって、近寄り、漸次になづけて行く方法は、最も愚策なる方法として、多くはこれによらなかったが、海老で鯛を釣ることも知らず、又、出方を代理人として交渉せしめることも、何となく気極りが悪く、それかと言って征伏を思い切ることも出来ず悶々の情と共に当たってくだけの糞度胸で、「春日に見染めてなつかし」の極まり文句を書きます。そして、出そうか出すまいかと躊躇した後、「虎穴に入らざれば虎児を得ず」の格言を発見し、とうとう出して終うのです。そして、一度で返事が、来れば占めたものだが、二度サンドと出しても何の返事も名なければ、征伏思い切りの一條になる訳です。ですから当時、この方法は、多く用いられませんでした。
大抵は第二の方法である芝居の出方なり、茶子連に■か握らせて、代理権を付与したものです。そして、この方法は今日よりも、ずっと簡便で、而も、直ぐ要領を得たものです。だから当時の遊野郎は大抵この方法を選ぶのでした。そして、其の返事に曰く「今晩どこそこの待合で、お待ち下さい」と来たら、それによって総ての要求が解決されるのです。
と言いますのは、当時は今日と異なり、仮令大幹部でも、そうして出かける以上、所謂、二次会をも含ませて承諾していたからです。
處が今日では、幹部にあらずも、多少羽振りおいい女優になると、お座敷に出ていながら、「「あら、厭だわ。失礼な。あたしこう見えても芸術家よ。失礼なこと仰有るな」と臆面もなく、芸術家を振りまくことがあります。ですから、今日では、うかつに二次会など口走れませんが、当時は決して、そうした心配がなかったのは、大に恵まれているものと言わねばなりません。