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ノスタルジック解説ブログ

女を圖ぐる明治末期の六区 4.何故役者買いが流行したか【昭和5年「浅草女裏譚」より】

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女を圖ぐる明治末期の六区 4.何故役者買いが流行したか【昭和5年「浅草女裏譚」より】

この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


女を圖ぐる明治末期の六区

四、何故役者買いが流行したか


 明治時代ひどく役者買いが流行したことがあります。それは何に故かと言いますに、其の動機は因より一様ではありません。が、しかし、其の重なる原因は、凡そ次の如きものでありましょう。

・環境の影響
 役者買いがひどく流行した原因は、当時の浅草が淫猥其のもので、総ての遊びの機関が完備していた為めに、自然遊び飽きた連中が出来、而も、それ等の者が何か変わった刺激を求め、新たなる興味を見出さんとしていたことが、とりも直さず直接の原因であります。言い換えますならば、芸妓にも、遊女にも、矢場の女にも、銘酒屋女にも、総て飽きた連中が、何か目新しい、濃艶な、変態的な、対象を求めだそうとしたのが、即ち女役者買いであったのです。こう言う訳で、先ず第一に環境の影響から、自然役者買いを流行せしめたものと言わねばなりません。

・芸妓の役者買い
 遊野郎共が女役者買いを発見した動機は、其の一面に於いて、芸妓の役者買いに感染されたものと見ねばなりません。何故なれば、当時、公園芸妓は、前にも一言しましたように、役者との関係が、非常に密接で、役者と関係がなければ、どんなに美人でも巾が利かなかったと言われた位いですから、従って其の影響は、直接に客に及ぼします。
「ちいと旦那、明日何々さんの、総見よ。あの方とてもいい方だわ。芸も達者だし、ですから一枚切符を・・・」とやられた日には、大抵の遊野郎も鬼の頭にならざるを得ない。そして、其の結果男らしく、雄々しくも、これが復讐を決意します。
「何言ってやがるんだい。おれだって役者買い位いはして見せるよ」と許り直ちに、その準備に取り掛かると言う寸法です。

・舞台の挑発
 都踊りは、浪花踊りに輪をかいた愚劣さで、名許りは都踊りであるが、其の実、愚にもつかぬ、お茶番式の芝居です。浪花踊りの方は、都踊りから見れば、多少充実した感もありましたが、しかし、矢張りお茶番式の芝居たることは免れませんでした。最も時には相当腕の達者な役者もありましたが、しかし、観客其のものが、芸を讃美すると言うよりも、却ってお茶番式な、而も、挑発的な卑猥なものを好むと言った有様でしたから、従って興行方針も、そうした方面に重きが置かれた訳です。

 ですから彼女達も、自然観客が喜ぶように、殊更に蹴り出しをほのめかし、遊野郎の眼玉を白黒させたり、転んだ時、股の白さを見せびらかしたり、淫猥な真似をして見せたり、其の他様々な離れ業をやって、ひどく観客を喜ばせたものです。そして、そう言う時の大衆の感激は物凄く哀れな程、歓声を上げて喜んだものです。

 殊に男女入り乱れての軽業や、シャン一枚の艶めかしさで、しかも、でかいお尻を振り振り、変てこな身振りと、淫猥さで、妙齢の娘が玉乗りをやる時など、当時の思想から言えば、それ自体がエロチックの極致で、気の早い連中などは、ひどく上気して、怪しげなる掛け声をかけたものです。然るに当時の芸人は、ここぞと許りシャツ一枚を境に、故意と、男が女を抱いたり、肩の上に乗ったり、腰や、腹の上を踏んで通ったり、怪しげなる手つきと共に、怪しげなる口吻を洩らしたりして、観客のご機嫌を窺ったものです。

 こう言う風に挑発されたことも亦、女役者買いを盛ならしめた直接の原因と言わねばなりません。

 この外にも役者買いを流行させた原因は、無論、沢山あるには違いありませんが、其の直接の原因は、大体以上の三つに帰着いたします。


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