この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
女を圖ぐる明治末期の六区
二、観覧車の公然の秘密
観覧車は言うまでもなく、浅草専売の娯楽場ではなく、又其の始めは淫猥を秘める道具でもありませんでした。殊に上野や、九段などにあった当時は、珍奇を売り物にし、純然たる娯楽場でありました。が、しかし、それ等が総て衰微し、遂に浅草だけになるようになってからは、様々な変態猟奇家が現れ、しかも、それ等の人たちの好奇心を満たす場所となりました。
わけても明治の末になると、それが一層甚だしく公然と、白昼淫猥なり行為が行われたものです。と言いますのは、世のあらゆる刺にはあきた連中が、怪しげなる女を携え、この観覧車に乗るといたします。無論、腰から上は、男女共講習の目前にさらけ出されています。しかしそれでも足が触り、手が触り、軈やがては触るべからざる處に触っても、尚且つ其の行為が腰から下の動作であり、挙動である以上、大衆は其の猥らな行為を美風良俗に反するものとして、これを責めるものがありませんでした。
それも其の筈です。この観覧車に乗ると、中腰で座る以上、他の人たちから内部を覗かれる怖れもなく、又、一般外部の人々から、内部の動作や、挙動を見抜かれることは、絶対になく、彼等変態猟奇家の為めに、至極誂い向きに出来ていたからです。
しかし、こうした美風良俗を害する行為は、決して長くは続きませんでした。やがれこれを取り締まる方法が出来、遂に猟奇家の恐慌時代がやって来ました。けれども浅草に於ける観覧車尾生命は比較的長く現在も、これに似たものが矢張り残っております。