この文章は、昭和5年に刊行された「浅草女裏譚」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
女を圖ぐる明治末期の六区
一、伏魔殿と言われた明治の六区
以上によって明治末期に於ける女芸人の何なることか、大体解ったことと思いますが、しかし、更に明治末期に於ける六区の実情を少し書いて見ることにします。
とりわけ明治末期から、大正にかけての浅草は最も得意なる時代で、且つ、又、最も繁昌せる時代でありました。でうsからしたがって、其の裏面に横る處の暗黒面も亦、著しいものがあり、特に目立つものがありました。殊に其の時代は、最も女が活躍した当時で、表面には女役者あり、娘義太夫あり、娘手踊りあり、肉体美を誇る女角力あり、女浪花節あり、乃至は、お尻のでかさを見せびらかす娘玉乗りあり、観覧車ありと言ったように、総てが女で至れり尽くせりであったのに、其の裏面には、矢場あり、新聞雑誌縦覧場あり、銘酒屋あり、而も、曖昧なる料理店あり、連れ込み専門のシキあり、浮浪的売笑婦ありと言ったように、民衆娯楽の中心地としての暗黒面の極致を遺憾なく発揮しておりました。言い換えますならば、貴い歴史を持つ日本一の芸場は、明治の末期に至り、完全に伏魔殿と化した訳けです。殊に当時芝居は無論のこと、活動館でも観客席が、男女別になっていませんでしたから、遊野郎共が女にいたづらをする位いなことは、寧ろ当然のことのように思われていましたが、中には銘酒屋の女や、舞台から飛び出して来た踊り子などが却って男を挑発したなどは、決して珍しくありませんでした。
これ等に就いて面白い話が幾らもありますが、今はそうしたごみごみした挿話式のものを列挙している暇もありませんから、それ等のことは、何れ何れの機会に譲ることにし、ここでは特に見世物、其の他女芸人の足跡を調べる事にします。