この文章は、昭和6年に発行された「カフェ・女給の裏おもて」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
上野界隈
・野暮で粹
銀座から、上野に来れば、直ぐ目に付くのはどこにともなく、野暮さが町の表に漂っていることである。それと同じように、カフェもどことなく、野暮っぽい。出入りする客も、銀座あたりの客に比ぶれば、遥かにリファインされていない。東北地方から上京して来たお上りさんらしいヅーヅー弁の客さえ見えることがある。とはいえ、ここんいは他のところで見られない一種の情緒が流れている。それは、今でこそ、ネオンサインの華やかな電光にかげをひそめているが、その昔、不忍池の雪をめで、月を愛した人々の、つまり、下町の風流人たちの、残して行ったゆかしい香りが、今もなお、どこに漂うともなく漂っているからだ。この香りがあればこそ、上野のカフェにも風流の客が出入りし、一抹の貴賓を残していると断言できるのである。しかも、その気品たるや、銀座にも、浅草にも、まして振興の新宿などでは、少しも感じられないものである。ではその感じとは?それは曰く言いがたしだ。上野の春、弥生、櫻客が散るともなく散りはてた静寂、それから不忍の池のそよ風が送るしめやかなバチの音、それにも似たゆかしさだ。
・鼎立する三大カフェ
上野に鼎立する三大カフェは、いわずと知れた三橋亭、キクヤ、世界の三つである。三つともそれぞれの特色で、はり合いながら売っているから面白い。
三つのカフェのうち一番大きいのは世界である。真ん中に大きい池があって池の水に五彩の電灯がゆれる。華やかは、華やかだが、経営者が肉屋の「世界」だけに、どことなく肉屋「世界」のカサカサしたかげがうつっている。これさえなければ、三橋亭を圧して、あっぱれ上野第一のカフェとなるのだが、図体ばかりが大きくて、どことなく粗雑で、こちこちしたところがあるのは、筆者いささかセンチメンタルになって、カフェ・世界の為に一滴の涙をこぼしておく。
さて、女給の数は、三十名。表カンバンはあの通り堂々たるものだし、それに女給の数が二~三十名にも上っているのだから女にいいのがいることはモチ。しづ子、やえ子、あたりがまづいいところであろう。
三橋亭は世界よりもカフェの形は小さいが、格はこれをぬいてやや上になる。それい世界からここへ来ると、ほっとする。どことなく上品でおちつきがある。カマビスしい女給たちの声々。ジャヅの音、むらさきの煙、女給の嬌声、客の笑声、それにつれる歌。だが、それにもかかわらず、どこかに落ち着きがある。それはこの店の持つ、えも言われぬ良さではある。
女給の数は、二十人。とりどりの美を競っているうちに、とくに人気が多いのは、何と言っても古顔である。てる子、あい子、じゅん子などがこの店のいい顔であろう。
自慢の料理は、エビフライ、ビフテキなどである。
三橋亭と世界の間に在って、ささやかながらも上野のカフェ一流として、古い顔を今も尚相当に人気で持ち続けているのは菊屋である。店の感じが、前記の二カフェに比ぶれば、あまりにも楚々とし過ぎており、冷たい感じがありすぎるが、かえってそこがまたこの店の呼び物となって、あまりにも、狂わしい現代のカフェにうみ切った人々の為に、愛せられている。一町あれば必ず一短。そこがカフェにみだりに上下をつけられない理由であろう。
女給の数は、前記二大カフェーからずっと落ちて十二~三人。人気のいい女は、ちゅう子にすず子。
このほかに上のには、カフェらしいカフェは幾んどない。強いてもとむれば、イトウ、イケノハタ、三河屋、ぐらいのものであろう。このうち、イケノハタは菊屋と並んで一時上野の二大花とうたわれたが、今はすっかりさびれ切って昔日の面影はない。
ああ、時代はうつる。