この文章は、大正15年に刊行された「科学より見たる趣味の旅行」の内容です。
写真に関しては、熱海を取り扱った絵葉書から抜粋しました。
尚、絵葉書の年代に関しては,考慮しないものとしています。
又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。
<熱海の間歇泉>
所在地:伊豆熱海町字上町「大湯」
日本の代表的間歇泉
我が国における間歇泉は、伊豆熱海と、陸前鬼首、及び北海道登別と、主なるものは先ずこの三箇所ですが、登別の間歇泉はすでに定期噴出の実質を失い、鬼首のも甚だ小規模にて、到底、熱海の大湯には比すべくあらず。且つ、交通不便の山間ですから、どうしても間歇泉の代表者は熱海の大湯ですが、惜しむらくは、ここも漸く衰勢にあるようです。
大湯は熱海警察署の真向かいで、海浜を距すこと三町ばかり、海面より高きこと七十四尺の位置にあります。昔は真直に上方へ噴出していた相ですけれど、危険だというので、孔口の上に岩を組み立て、横へ噴出せしめる様にした為、余程壮観を減じたということです。回数も元は一昼夜六回、規則正しく噴出していましたが、一時、温泉乱掘の結果、非常に衰えて、ほとんど間歇泉の特性を失うに至りましたが、新しく掘った附近の温泉口を埋めて、辛うじてその勢いを回復し、殊に、大正十二年の震災後は、盛んに噴出するようになったので、町民は非常に喜んでいましたが、昨今は、また少し減勢して、一日一回となりました。しかし、依然として間歇泉たる特性と、その壮観とは未だ失っていないのです。
湧出口は石畳の間にあって、全部で四つあるようですが、主要なるものは一つで、蒸気と熱湯とを口語に噴き出します。最初まず熱湯がもくもくと勢い弱く湧き出ていますが、次いで、蒸気が猛烈に上騰し始め、その音響、地底を振動し、噴気いよいよさかんなるに及んでは、晴天に霹靂を飛ばすの概があります。しばらくして音響が一時止むと、今度は熱湯が噴出し始めて、復び凄まじい音を発し、轟々たる響は、恰も地中に雷を聴くが如く、奔併する熱湯は、二~三間を隔てた前面の岩壁にそそぎかかって四散し、蒸気は雲の如く、霧は雨の如く、しばらくそこの佇めば、衣類は濡れ呼吸は苦しくなって、容易に近付くべからず(又、噴湯の際、接近することは危険)です。
やがて勢い漸く衰えると、代わって蒸気を噴出し、蒸気が衰えると、又、熱湯を噴出し、かくの如きことをしばしば繰り返しつつ、四十~五十分間で終わりを告げるのです。
ある人の歌に、
「雷の はたたくなして 沸き出づる 湯の気も雲と 見えわたるかな」
この湧出口から出る湯は、地下の樋を通じて御用邸、
噏気館等に送られ、又多数の温泉宿にも分配せられています。船室は塩類泉で、鉱泉一リットル中に含む固形物総量9.235グラム、そのうち、5グラム半は食塩であって、食塩泉としては我が国の温泉中屈指のものです。