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ノスタルジック解説ブログ

夜の熱海のこと①【昭和7年 女魔の怪窟より】

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夜の熱海のこと①【昭和7年 女魔の怪窟より】

この文章は、昭和7年に刊行された「女魔の怪窟」の内容です。
旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。

<夜の熱海と伊豆山温泉>

 静岡県は熱海を中心として、其の附近海岸一帯に温泉地は頗る多い。避暑にも避寒にも交通の至便上、都人士の行楽引きもきれざる有様、著者数回ならず熱海を振り出しに、この地方の温泉を巡遊したが、実際温泉としての効能は殆どそれを認められなんだ。只、贅沢旅行、遊蕩気分をほしいままにするに止まって居るのみ。しかしこれが、裏面観察としては、ここに紹介に値するもの、また以って少なしとはせない、熱海、伊豆山さては伊東の一夜、淫風漲るところ、あたら山水の明媚もけがさつつなき能わずである。即ち、著者が検分する事実について、其の一班を窺知し得られる。



さても変わった素人待合

 熱海駅に下車して、それから徒歩幾ばくもなく、予定のふるや旅館に投じた。まず入浴して疲れを休め、夕飯を済まして、散歩しつつ海岸通りに向かって行った。如何にも男女連れの遊散者が多い。海岸には町経営の公衆納涼所などが設けられてあって、いずれもここへ来ては腰を掛けて、海洋から吹いて来る涼しい風を納れては、館に帰るのも忘れてしまう程の快さ。やがて電灯が付いて間もなく、そこかしこの旅館では、三味線の音が聞ゆる。旅客は酒や肴だけでは旨くもない。芸者を揚げて一騒ぎとあって、いずれも芸者を酒席に侍らす。これだけならば平々凡々で何の変哲もないが、散歩の客も引き上げて、芸者も最早時間とあって、座席を退去する際には、必ず客を咥え込んで怪し気なる待合に連れて行く。

 熱海には公然営業の待合もあるが、また内証の待合もある。公然の待合に連れて行ったのでは、何かも公然となって贅費を要する。否芸者の方の収入が減るというところから、かねて内約して置いた内証の素人家に連れ込むといった風。

 然らば、どの家が非営業の待合、換言すれば淫売宿をする家かということは、一~二回しか熱海を覗いたことのない著者には判別が付かぬので、それを詮索すべく、こう考えた。何でも朝早く海岸付近の路地路地を徐歩しながら、芸者や客の帰る処を突き止むるに如かずと。翌早朝やって見ると、果たせる哉、待合から出てくる芸者や客もあれば、また、素人やの裏木戸から、出てくる芸者、客なんかに邂逅した。これで始めて其の巣窟を確かめたのであった。

 熱海は前面に渺茫たる海洋を眺め、後ろには山を以ってあうている。屈強の避暑避寒地には相違ないが、決して温泉としての利目はない。恰も東北における飯坂温泉の如く、淫蕩絃歌(いんとうげんか)の巷である。熱海に行って泊まらないという客は、いずれ懐があたたかい、団体客でもなければ、中流以上の生活に困らぬ客と見て宜しい。彼らは早くもそこを見抜いて、客の金を搾り取る策に出る。
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