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ノスタルジック解説ブログ

大正15年、大阪(全国名所めぐりより)

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大正15年、大阪(全国名所めぐりより)

大正15年に文芸社より発刊された「全国名所めぐり」より、「大阪」というセンテンスより。尚、旧仮名遣いと旧字体は可能な限り現代表記とした。


<大阪>


 「なには津に 咲くやむかしの 梅のはな いまも春なる 浦風ぞ吹く」。古は浪速と呼びて、梅に名高く、また蘆に名高いところ。今は大阪と賞して人口二百万以上に上り、本邦第二の都府で、海内無双の商売地として、市外の繁盛商機の活発、首都東京にも優るの観がある。旅客一度大阪駅下りれば、家屋の構造市外の区割り、道路の布置、市民の風采、また全く一種の商業的趣味を帯ぶるを発見する。市内大小の河川、四通八達舟揖の便を備え、南方攝津湾を控えて、海陸運輸交通の便を全うす。山城から流れる淀川は、京橋を過ぎて寝屋川と合し、更に西方へ流れて、ここに中之島を作り、余勢二流に岐れて、堂島川となり、土佐堀川となり、共に西南に奔り、末また合して安治川となる。これをしないの大河として、木津川があり、尻無川があり、東横堀川があり、西横堀川があり、長堀川があり、道頓堀川があり、東西に南北に流れる川々に架したる大阪名物の橋梁派、其の数全て二百四十有三、八百八橋の称また宜なりというべきである。中に難波橋、天満橋、天神橋を三大橋と称え、構造の偉外観の麗、本邦稀に見るところである。

淀川の川瀬の水車、小さき三十石舟に、静けき夢を載せて、根ながら伏見に着くのを無上の利便と考えしは、髷ある年寄りの昔語となり、水の都の多さかは、今区もの巣の如く、敷設せられた鉄道によって、一入の利を占むることとなった。京都から来て生めだの大阪駅を経て神戸に至る東海道線を初めとして、湊町駅から奈良名古屋に通ずる関西本線はあり、櫻の宮駅から木津に至る櫻ノ宮線があり、神埼から北福知山に至って山陰本線に接続する福知山線があり、梅田を発して市の東部を一周する城東線があり、梅田から櫻島に至る西成線があり、其の他南海鉄道があり、高野鉄道があり、線路交差複雑して、旅客の行く手を惑わせる感がある。

 大阪城派豊臣氏豪華の遺物、多い市を以って築きなしたる石垣、まず気魄を驚かせるものがある。北御堂は西本願寺門跡の御坊、規模の宏壮市中第一の仏閣とす。南御堂は東本願寺門跡の御坊、堂の裏座摩神社がある。市の鎮守神で社殿派壮麗である。御霊神社は市の遊園地、大阪の名物である文楽座がこの境内にある。久々知の広済寺内に、近松門左衛門の墓があり、誓願寺内に井原西鶴の墓がある。一は浄瑠璃本の作者として、一は浮世草子の作者として、共に今の大阪趣味の種を植えしもの、大阪に至れる人の必ず詣ずヴぇき所である、桃山は桃の名所、櫻ノ宮は櫻の名所、共に春時雑踏の地。天満神社は菅公を祀る。年毎の夏祭りはいわゆる関西の大祭礼として、興の祇園会と並称せらる。大融寺は弘法大師の開基、境内に澱気味の墓がある。中之島公園は市中第一の遊園地、東端豊国神社がある。八坂神社は多天門を祭る。社前の通りは難波の市場で、朝朝の雑踏は甚だしい。今宮神社は俗に蛭子神社といい、正月九日十日は、福徳を授けたまわる縁日として、賽するもの幾十万を数う。

道頓堀より千日前にかけては、川竹五座の芝居櫓を並べて、寄席あり、見せ物あり、義太夫あり、飲食店あって、東京の浅草、京都の京極と共に、天下の三大俗地というべきである。生国魂神社派市中第一の大社、近時回禄一災に罹った。高津神社は仁徳天皇を祀る。その絵馬堂は雪景を以って知らる。荒陵山四天王寺は聖徳太子の建立、天台宗の古刹、堂舎四十余宇あり、境内は公園となっている。一心寺は円光大師の開基で難波名号の霊場である。寺の裏門を出ると、河底の地に臨んで鬱蒼たる小高い丘がある。これが茶臼山で家康の陣を構えた所で、真田幸村六連銭の旗風、今尚翻るのが覚える。山麓に邦福寺があり、俗に雲水と云う。庭園雅致を極む。天下茶屋を過ぎて住吉に至ると、住吉神社がある。社殿派古風で神威が自ずから高い堺、濱寺共に形勝の地、西に面して茅停の海を控え、淡路島が眠るように波に浮かんでいる。海水浴の適地として夏は賑わう。

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