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台湾地方【昭和5年「全国遊廓案内」より】

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台湾地方【昭和5年「全国遊廓案内」より】

この文章は、昭和5年に発行された「全国遊廓案内」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


台湾地方


台北市萬華遊廓
 台北市萬華遊廓は台北市萬華街にあって、萬華駅で下車する。勿論一廓をなした遊廓だ。台北市は府庁の在る所で、基隆港からわずか二時間位で到着する。市街の整然として来さぬ所は正しく外国に行った様な気分のする町である。市の東北に台湾神社がある。貸座敷数は約六十軒、娼妓約五百六十人位居る。写真店で、娼妓は全部居稼ぎ制だ。有効は全部時間制又は通し花制であるから、廻しは取らない「御定まり」。芸娼妓なら六円、酒肴附きで娼妓なら五円、同じく酒肴付きである。遊興税は五円以上一割となって居る。一時間遊びは二円見当。この地は芸者及び娼妓と芸娼妓の三種がある。


彰化街遊廓
 彰化街遊廓は台湾台中州彰化街西門にあって、鉄道は縦貫線彰化駅で下車する。貸座敷数は約五軒、娼妓は約四十人位居て、主に内地人及び少数の朝鮮人が居る様である。店は写真又は陰店を張って居り、時間制で廻しは取らない事になって居る。「御定まり」は四円と五円とあって、豫園は娼妓、五円は芸娼妓である。何れも台付きで一泊が出来る。一時間遊びは一円七十銭位。


花蓮港遊廓
 花蓮港遊廓は台湾花蓮港庁花蓮港にあって、汽車なら台湾本線花蓮港駅で下車し、船便なら基隆との間に毎日航行して居る。貸座敷は約十軒、娼妓は約八十名位居て、朝鮮人と内地人とほぼ同数だと言われて居る。「御定まり」は芸娼妓六円、娼妓五円位で酒肴付きで一泊が出来る。廻しは取らないので、何れもゆっくり遊興が出来る訳だ。


台中初音町遊廓
 台中初音町遊廓は、台湾台中市初音町にあって、汽車は台中駅で下車する。貸座敷は約八軒、娼妓は約八十人位居る。店は写真制、娼妓は居稼ぎである。「御定まり」は五円で娼妓が相方、芸娼妓は六円位で、両者とも酒肴付き一泊の通し花遊びである。廻しはない。情緒は一見料理店で芸者を揚げて遊興する感がある。楼名、浪花楼、小泉楼、大正楼、常盤楼、富士見楼、八千代楼、朝鮮楼、吾妻楼。


嘉義遊廓
 嘉義遊廓は台湾台南州嘉義町になって、汽車は台湾縦貫線嘉義駅へ下車する。貸座敷数約十軒、娼妓約七十人位居て写真店である。大阪式の時間制、又は通し花制で廻しは取らぬ事になって居る。「御定まり」は一泊酒肴付き四円位で、娼妓にも二枚鑑札を持って居る者も居るので、この場合は一円高見当である。一時間遊びは二円程。


台南市新町遊廓
 台南市新町遊廓は、台南州台南市新町に在って、台湾幹線台南駅から西南へ約十丁、乗合自動車は新町で下車する。賃十銭。台南には、鄭成功を祀った県社台南神社がある。台湾島は、今から約三百年前にはオランダ領であったものを、鄭成功はオランダと戦闘の上に占領した。後支那の清朝に占領されて明治に至ったもの。鄭成功の父は支那の明朝の臣、鄭芝龍で、日本に渡った時に、肥前の藩士田川氏の娘と結婚して、其の間に生まれたのがこの鄭成功であった。

 ここの遊廓は大正四年に現在の箇所に移転したものであるが、元は市内南勢街に在ったものだ。目下貸座敷は十四軒あって、芸者七十人、娼妓は百十人居る。鹿児島県の女最も多く、次は長崎県、熊本県の女である。店は写真店、芸娼妓は全部居稼ぎ制で、送り込みは芸者もやらない。遊興は時間制と、通し花制で、廻しは取らない。御定まり一泊は五円五十銭で、一時間遊びは二円だ。何れも台の物は附かない。

 妓楼は、置屋、揚屋、料理店の経営だ。芸妓の玉代は一時間一円二十銭。妓楼は、北国楼、布引楼、加賀屋、東楼、明月楼、豊本、皆花園、高砂、明石楼、鮮月楼、朝鮮楼、開門楼、富士見、金波楼、の十四軒。

 台南の民謡、
「門司を出てから、二夜は夢よ、恋し南の島へ着く。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。」
「君と南へ、北回帰線、月は新高山の上。ホーラ、ホーライ、ヨイトコナ、キタコラ、キタコラ、ヨイキタ、ホーライ、ヨイヤサ。」
「冬がいやなら、南の島へ、雪のない島、春の島。」
「夢が見たけりゃ、南の島へ、椰子の木かげで、恋のゆめ」

 付近にはオランダ時代の珍しい城址がある。


台南市台湾人遊廓
 台南市新町の日本人遊廓と小川一筋を隔てた向こう側に在る。台湾へ行って、真の台湾気分を味わうならば先ずこの台湾人遊廓へ行って見ねばならない。楼主から芸者から、娼妓迄が悉く台湾人で、妓楼十軒、芸妓百九人、娼妓九十四人居る。店は写真式で、芸娼妓は居稼ぎ制、廻しは取らない。費用は日本人のよりも一割方安いと思えば間違いない。唄や、舞踊や、鳴り物等は一切支那式だから面白い。


高雄市榮町遊廓
 高雄市榮町遊廓は高雄州高雄市榮町に在って、縦貫線高雄駅で下車すれば東へ約十丁の地点に在って、乗合自動車は榮町で下車すれば宜しい。高雄には軍港があり州庁があって、高雄州第一の都会である。ここの遊廓は明治三十八年に旗后に設置されたものであったが、大正八年に現在のここへ移転したものである。現在同業者は十一軒あって、娼妓は百五十人、芸妓は五十五人居る。娼妓は二~三十名の鮮人の他は全部内地の女である。各自貸座敷業者が、芸妓と娼妓とを同時に抱えて居り、中には二枚鑑札の女も居て、客の要求に応じて居稼ぎをやる事に成って居る。娼妓は陰店を張って居るが、芸妓も娼妓も送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一夜四円八十銭が最低で、それ以上なら色々ある。税は五円以上から一割取られる。娼妓には、大笑楼、金波楼、君之家、花の家、松葉楼、真榮楼、東海楼、幸楼、二葉楼、鮮月楼、朝鮮楼等がある。


馬公街遊廓
 台湾澎湖庁馬公街に在って、鉄道の駅は無い。一島嶼であるから鉄道を敷く余地が無いのである。けれども海路は非常に便利で、毎日本島との往復便船がある。ここの遊廓は明治三十九年に許可されたもので、現在貸座敷数が十四軒あって、娼妓が約百五十人居る。中には朝鮮人も居れば、本島人も居るが、内地人が一番多い。店は写真式で娼妓の揚げ方は居稼ぎ式で、送り込み制では無い。時間制だから廻しは取らない。ここの客は多く船員が多いので、時間遊びよりも一泊の客が多い。一時間約二円、一泊が四円五十銭、昼は午前六時から午後五時迄が豫園五十銭と云ま事に成って居る。五円以上は消費額の一割が遊興税として取られる。娼妓の中には二枚鑑札の女も居るから、芸者を呼ぼうとする場合には便利である。但しこの場合には、遊興費が約五割程かさむ事を覚悟せねばならない。妓楼は、都館、萬月、新正楼、開榮楼、松の江、朝日楼、太陽館、敷島楼、新喜楼、富の家、松の江分店、開福楼、松山楼、新榮楼、等である。



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