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ノスタルジック解説ブログ

夕張炭山の爆発【昭和8年 「明治・大正・昭和歴史資料全集. 災害篇」より】

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夕張炭山の爆発【昭和8年 「明治・大正・昭和歴史資料全集. 災害篇」より】

この文章は、昭和8年に刊行された「明治・大正・昭和歴史資料全集. 災害篇」の内容です。又、旧字や現代では使用しない漢字、旧仮名遣いなどは読みにくいために、現代様に改めました。


夕張炭山の爆発
明治四十五年四月三十日 東京日日新聞

 二十九日朝十一時、夕張鉱山第一鉱第二社庫、轟然たる大音響と共に瓦斯爆発。坑口に在りし坑夫二名即死、四名重傷す。坑内には二百六十五名の坑夫あり。生死不明なり。登川分署長以下数名、現場に駆け付け応急手当て中なり。
 又、岩見沢警察署長及び道庁本部よりも警部出張す。炭山事務所大混乱を極む(二十九日札幌電報)


惨死者の数、実に二百八十名
(五月一日、同上)

 二十九日朝、夕張鉱山第一坑台に斜坑、轟然たる大音響と共に瓦斯爆発したる事、既報の如し。

 今回の爆発はその勢い、頗る猛烈にて坑道扇風機、風口等全部破壊し、主要坑道は一時に落盤し、余勢坑外に吹き出し、事務所、安全燈、扇風機場等は半ば破壊し、坑道より連絡する斜道二十間は木端微塵となり、坑口にありたる運搬夫六名即死し、坑内に就業せる坑夫二百六十余名及び事務員雑夫九名は全て生死不明なるより、岩瀬工長偵察に入坑せんとするも、坑口より約五百尺の箇所、落盤閉塞し、坑内各所に火気を吐き出し、坑内の模様を知るに由なく、益々重大なれば直ちに坑口を密閉したるより坑夫等の家族、老幼男女数千名、坑外に出て泣き叫ぶ様、悲惨なり。

 更に斎藤技師、危険を冒して入坑せしも、三番坑道奥は瓦斯多量にて進む能わず、二十一番第一坑は炭口より千二百尺の箇所の排火ポンプ破壊し、坑内水深二尺に達し、死体捜査の手配は容易に付かず、因って応急手当を加え扇風機を回転せしめ、古谷、川淵両技師、捜索隊を組織し、二隊に分かれて入坑、二十九日夜までに死体十六を発見し、之を搬出せり。坑道は一里半ありて、ところどころに落盤台は破壊し、浸水により作業困難なり。

 坑外には黒煙となりて全身糜爛せる死体に縋りて、家族等の涕泣せる惨状、目もあてられず。

 登川警察署員消防夫を式して応援、岩見沢警察署長及び札幌鉱山監督技師、林氏も現場に臨み、徹宵救助に尽力せり。死体捜索は尚数日に及ぶべし。

 夕張炭山二十九日夜来、坑口北二番の火災に尽力を注ぎ、閉塞に力むるも何ら効無く、第二坑口の約半部を区画して閉塞の計画を成し、直に着手し、一日朝迄には大部分作業する見込みなり。

 三十日の調査によれば、入坑坑夫二百六十八名、小頭六名、技術院総数二百六十六名全部死亡せり。

 之に対し、坑夫三百余名にて救助に従事するも、坑内崩壊と瓦斯発生甚だしき為、意の如くならず。目下死体編出せしもの三十四あり。

 三十日午前八時に至り、坑内一部火災起こり、密閉に主力を注げるが、坑口に作業せし者、および通行者は爆発の災い罹り、為に死者一名、負傷者六名を出し、内重傷二名あり。負傷者は炭坑病院へ収容手当て中なり。坑内死亡者の遺族中、死体搬出せられざる者は尚。生還の希望を抱き居る者少なからず、悲惨なり。坑夫一同当分休業すべく、休業中は坑夫等は米其の他食糧に差支うべきを憂い、協議して会社へ請願し居れり。道庁財部警部長は警部一命を連れ、三十日午前十一時発、現場視察に向かえり。


酸鼻を極めし死体
(二日、同上)

 既報、夕張炭山の被害は北一番、二番、三番、四番の坑道にて損害は多大なり。坑口前に仮繃帯所を設け、高野院長出張、搬出せる死体検査の上、炭坑病院に仮設せる収容所に運び、遺族をして見分けしむるも死体は糜爛黒焦げとなり、何人なるか判じ難く、村役場員は事務所に出張して死亡届を受理し、直に火葬の手続きを為し居れり。岩見沢神社の宇野取締役、藤井技師、夕張より柴波医師、松野医師等出張応援せり。会社は死体判明せるものには最近三か月間の労銀平均一か月分を給與し、死体判明せざる遺族には不取敢米二斗、味噌一貫目を給し居れり。


死体累々、惨絶悲絶
(三日、同上)

 夕張第二斜坑は延長三千二百尺余りありて、北一番より五番となり、今回の被害は一番より四番迄なり、北一番、二番両坑は火気未だ絶えず、漸く四分板にて仮密閉せしも、時に坑内に爆声起こり、瓦斯を坑外に吹き出し、之れが為、負傷者三名を出せり。三日より煉瓦、粘土等にて本密閉に着手すべきも頗る危険にして三番、四番両坑は漸くにして密閉終了したれば、火気のおそれなく左風勢口の扇風機を中止してポンプにて灌水するも尚、三番坑に達せず。

 一日夜までに死体発見っしものは三十六なり。尚死体は一番坑五、二番坑九十四、三番坑八十八、四番坑九、其の他坑内雑夫四十あるも捜索不能なり。二日より捜索隊を組織し、三番、四番の両坑を捜索せり。北三番坑より死体九発見され、続々発掘さる。

 事務所は二日朝、精査せしに坑内死者役員八、助手二、工夫二百五十六、坑外死者坑夫一、負傷者十八、其内在郷軍人十二、壮丁五あり。

 会社より弔祭料として役員八十円、傭夫五十円、雇四十円、坑夫三十円支給す。発火の原因不明なるも多分、安全燈もしくは喫煙ならん。

 発掘せし死体は仮火葬場を設け、順次火葬に附せるも焼き切れず、惨死者総数二百六十四名、戸数百六十八、この遺族五百十七にして其の内親子とも死せるもの、夫婦死し老幼のみ残れるもあり。悲惨目も当てられず。

 会社より扶助料一人に付、七十円ないし百六十円を支給し、葬式料は一人に付き十円、其の他社員きょ金三百十円を贈れり。今回被害の第二斜坑は一日の採炭高は五百頓、昨年の出炭二十八万頓、採掘費六百万円、実に夕張目貫の鉱区にして全出炭の約二分の一を占め居れば、この損害は夕張炭鉱の致命傷ともいうべく、炭鉱汽船会社の損害は実に多大なりと。
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